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本当はみんなと同じ小学校に行きたかった

なぜ、このnoteでともっちさんや脳性麻痺のことを綴っているかは、下記のnoteをお読みいだたけたら嬉しいです。
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幼稚園まではみんなと一緒に地域の幼稚園に通い、そのまま幼稚園の友だちと同じ小学校に行くものだと思っていたのに、教育委員会の許可が下りなかった。
養護学校、もしくは、学区外の支援学級の二択。

県立の養護学校と支援学級がある小学校に見学に行った時の衝撃は忘れられない。幼稚園時代のともっちさんはまだ歩けていたし、車いす生活にもなっていなかったから、‘障害児’と出会う初めての機会だったのだ。

ともっちさんの脳性麻痺のことはこちらのnoteにも↓

「幼稚園児にとっては、マイナスのイメージ。絶対に行かない」と決意した
ともっちさんだったけれど

「義務教育だから、学校に行かなきゃいけない。大人の勝手なルールに付き合わせられる」

結局、当時、家から一番近い、都立の養護学校に見学に行き、先生の明るさに負けて、「この学校なら行く」と言ってしまった。

こうして始まった養護学校。
幼稚園時代、自分が障害児だと意識せずに過ごしてきたともっちさん。
重度の障害のある障害児たちを前に、まだ車いす生活になっていなかったともっちさんは、戸惑った。

「障害児とどう接したらいいの?」

いまでは重度の障害のあるともっちさんだが、このときの経験があるから、いわゆる‘健常者’側の人たちが、障害者を目の前にしたときに戸惑う気持ちがよくわかる、という。

「学区内の支援級に通えていたら、また人生が変わっていたかもしれない」と、ともっちさんはいうけれど、いまのともっちさんができあがるためには、すべての選択とすべての経験が必要だったんだろう。



3.11に祈りを込めて
今日もまた存在できていることに、存在してくれていることに、感謝を

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