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障害は持つもの? あるもの?

3月3日のひな祭り。
ヴェルディVS浦和レッズ戦は引き分け。
勝ちは逃したけれども、勝ち点1ということで前向きに。

さて、しつこく繰り返しますが、毎日noteの目的はどこまでも↓

25日は必ずともっちさん関連のnoteを書くというところから派生して、5、10、15、20、25、30の5の倍数の日を関連記事を書く日ということにしたのだけれど、ともっちさんに書いた記事を確認してもらっていたら、「障害は‘持つ’ではなくて、‘ある’。なんで持つっていうの?」と、ご指摘を受けたワタクシ。

まがりなりにも福祉関連のフィールドで10年近く取材活動を続けてきた人間ですらこの有り様。

内閣府が毎年出している障害者白書でも、障害は持つものではなくあるものということが明記され、平成6年以降は「ある」の表現で統一されている。ということをいまさらながらに知る。

「持つ」というと意志が入ってくるが、意志を持って障害を「持って」いるわけではない。
持つものではなく、あるもの、なのだ。

が、市役所といった公的機関の広報ですら、「障害をお持ちの方」などと使われている例は数知れず(一見、気配りしたように見えるけれども)。

もっとも、「ある」だってベストな表現とはいえない。
「ある」には「ない」がセットになってしまう。
障害がある人と障害がない人。
健常者といわれる人たちだって、障害が「ない」と果たして本当にいえるだろうか?
あるからない、ないからあるへのグラデーションは、そうパッキリくっきりとはしていない。

いつも何かにチャレンジをしていて、超ポジティブ、自己肯定感MAXのともっちさんと話していると、超ポジティブや自己肯定感といった言葉にうっかり斜に構えそうになることも、なにかに悩んだりくよくよしたりすることも、瞬時にアホらしくなって、障害を抱えているのは本当はどちらだろうか?という気持ちになってくる。

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