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#ひとり暮らしのエピソードマガジン

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『はじめてのひとり暮らし安心ガイド』の発売にあわせて、みなさまんが書いてくださった #ひとり暮らしのエピソード をマガジンにまとめました。 お部屋探しから引っ越し、暮らしのあれこ…
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#日記

【企画】今年はテーマ2本立てでやります!#ひとり暮らしのエピソード #お部屋探しのエピソード(募集期間2024/1/25~4/15)

今年も「ひとり暮らしのエピソード」企画やりたいなあと思いつつ、まったく同じだと楽しくないかなあと悩んでいたら、1月が終わりそうに…。 考えているだけでなにもしないのは一番つまらないやつだ。少しでも参加してくださる方がいればうれしいし、過去の記事を読み返してくれる機会になるかもしれないし。 3年目だし、スピンオフしてみます! 今回は基本テーマと別に、違うテーマも作ってみます。 テーマ #ひとり暮らしのエピソード     #お部屋探しのエピソード ひとし暮らしのエピソード企画

真夜中のインターフォン

ひとり暮らしをして予定外のインターフォンは無視するようになった。 実家は埼玉の住宅地で、「ピンポーン」となったら「はーい」と出ていくようなのどかなエリアなので無視なんてとんでもない。 今でも実家に帰るとインターフォンの画面を覗かずに母親は玄関に駆けていく。 ひとり暮らしを始めてからインターフォンでは何回か怖い思いをした。 1つ強烈な思い出がある。 今のマンションは、まず入り口で第一の関門(ビデオ付きインターフォン)を通り、次のドアで第二の関門(ビデオなしインターフォン

ひとり暮らし

30数年前京都出身の私は千葉県の流山市というところでひとり暮らしをしていました 世間知らずのままひとり暮らししていました 世間知らずなので消火器を買わされそうになりました 断ったら売りに来た人は怖い人に豹変しました 世間知らずなので宗教の人の話を聞いていたら毎週やってくるようになりました。あまりに毎週やってくるのでバイト始めました 世間知らずなので住所移していたら知り合いひとりもいない流山市から成人式の案内が来ました。知ってる同級生誰もいないので行きませんでした 住

高校生までの当然が不便に変化した

ひとり暮らしの期待は 両親が不安そうな顔で見送ってくれたのを尻目に 空港の搭乗手続きから始まっていた 「わたしなら、上手く暮らしていける」 19歳になったばかりの自分は虚勢で始まり 入学式で、鼻を折られた わたしと一緒に都会へ来たスーツは、皺 予定では、新品のスマートな姿を想像していた パンプスだけは、磨かれて だけど、肝心なスーツに皺があった 実家なら、ここで 「おばあちゃま」祖母に差し出し アイロンをかけてもらう 高校生までの当然が、不便に変化した 入学式は、大

自分が気付かない心の状態を、代わりにキャッチして、伝えてくれる人がいること

子供の頃から自分の夕飯を作ることもあったし、お米を研ぐことも、茶碗洗も出来ていた。服も自分のセンスで選んでいたし、経済的にも自立していたから一人暮らしで不便はなく、むしろ完璧で楽しいだろうと思っていた。 しかし、日常業務を熟す能力があることが、一人暮らしができる能力を持っていることと異なると知る。 なぜそんな当たり前なことに気づかなかったのだろう。 …………… エスカレーターを降りたとき、 「ちょっと待って」 と話しかけられた。振り返ると、後ろから来たのは細マッチョのイケメ

無自覚の渇望

カミュ『異邦人』を読んだ時、自分にとって大きすぎる出来事を前に身動きが取れなくなる感覚と、それゆえに日常の些末な場面をやたら鮮明に記憶している状態には、少なからず心当たりがあると感じたものだった。(実際の内容は全然違うので、何故こんなふうに感じたかを問われると困ってしまうのだけど) 私で言えば祖母が亡くなった翌朝の事と、もうひとつ、初めてのひとり暮らしを開始した夜の事。 実家を出たのは2011年3月10日だった。 涙する母に見送られて乗り込んだ高速バスに揺られること数時間

『阿佐ヶ谷姉妹』は氷河期世代の希望の光であり、理想郷の伝導者である

『阿佐ヶ谷姉妹』を認識するようになったのは、2018年の女芸人No.1決定戦 THE Wの優勝からだ。 それからしばらくは、阿佐ヶ谷姉妹はほんとうの姉妹だと思っていた。 だから、阿佐ヶ谷姉妹に血縁関係がないと知ったときは驚いた。 と同時に、阿佐ヶ谷姉妹の関係性を知れば知るほど、まさに、二人の姿は追い求めていたドンピシャの理想像でもあった。 阿佐ヶ谷姉妹の出会いは、劇団『東京乾電池研究所』在籍中である。同研究所での1年間の養成期間終了後、卒業公演の選

自炊の味に飽きてくる、がわかった一人暮らし半年目

一人暮らしをして数年になる友人がみんな言う、「自炊の自分の味に飽きたんだよね」という言葉。 以前はふうんと聞き流していたそれが、今、突然めっちゃ刺さる。 まあ、たしかに実家でも正直テンションの上がらないご飯とかはあったし(文句をいっているわけではないのです)、飽きる日も来るかもしれないとは思っていました。でも、何となく自分が自炊をしているという事実に満足していたし、鍋とか簡単な料理も好きだし、まだまだ行けると思っていました。 それが、急にぽっきり、飽きてしまいました。

ひとりぼっち暮らしを救ってくれた愛知県の皆様に感謝を込めて#ひとり暮らしのエピソード

大学を卒業しがむしゃらに研修を受講し ようやくなんとか1人でもお仕事が出来るかな?と思い始めたころ、辞令をいただきました。 異動先 東海支店〇〇課 入社して半年のことでした。 転居を伴う移動があることもよく分かった上での入社だったので、異議はありません。  ただ、辞令は突然って本当なんだな。 と感じ、その日1日はフワフワした感じがして何度も椅子に座り直していました。 いつもは厳しい隣の先輩が、優しい笑みで、そんな私を見守ってくれていました。 なんとかなるでしょ。

ひとりも悪くないものだよ

一人暮らしを始めて、3年が経とうとしています。 おや、経ったのかな?もはや記憶にないです。 メディアパルさんが企画をやっていらっしゃるので、 記憶をたどりながら参加してみたいと思います。 ▽メディアパルさんの企画の詳細はこちら きょうは一人暮らしをしてみて、 たのしい?さみしい?かについて 書いてみようと思います。 もしかしたら、 また違った視点で書くかもしれませんが 今回はスタンダードでいきましょう。 結論、わたしは一人暮らしをしてみて 「たのしい」が大半です。