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褒めてつかわす

最近、仕事でいろんな街に行くことが増えた。この前行ったのは、下町の風情が残る東京23区内のうちの一区。その街並みを写真に収めながら、”街の住み心地”を調査するのが、今担当しているわたしの仕事だった。

2019年3月5日(火)。
良く晴れたこの日に街を練り歩いていると、とある小学校の前を通りかかった。新1年生の入学に関するガイダンスでも開かれていたのだろうか。ちょうど校門から若い母親と、幼稚園生くらいの子どもたちがゾロゾロと出てくる。母親たちはみなピッチリとしたスキニージーンズなどに身を包み、高さのあるヒールを履き、手入れの届いた長い髪をなびかせていた。なかには黒いサングラスをかけ、まるでモデルのような出で立ちの母親もいる。

かたやわたしはというと、ネットで買った安いコートに、ユニクロの紺のロングシャツと黒いパンツ、足元はアディダスのランニングシューズ。”腰に負担が少ない”と聞いて購入したユニクロのリュックをもっそりと背負い、風に吹かれてパーマヘアーはぐちゃぐちゃだ。

あの美しくてキラキラとした母親たちは、いったいいくつなんだろう?もうすぐ28歳になるわたし。母親になっていても、おかしくはない年齢だ。彼女たちがわたしより年上でも、年下でも、その”美しい母親でいたい”という気持ちと、それに対する行動力には驚かされる。もし今私が”母親”になっていたとしても、彼女たちの一員には到底なれそうにないからだ。

と同時に、彼女たちへの漠然とした不安も覚える。
表向きはあれだけキラキラしていても、もしかしたら”ママ同士”のあいだには、これまで嫌なほど味わった「学校生活のカーストやコミュニティみたいなもの」があって、実はそのコミュニティに神経をすり減らしているんじゃないだろうか?(よくあるドラマみたいに)そんな彼女たちが本当に手放しで息抜きできる趣味などはあるのだろうか?家の中でもあんなにキラキラした振る舞いをしているのだろうか?だとしたら、その家庭に、子どもに、旦那に、本当に愛はあるのだろうか……?

ここまで考えたところで、少しだけ心がヒリヒリしはじめたので、これ以上、深く考えるのはやめた。


そんななか、なんとなく目についた坂を上がってみると、目の前には『隅田川』が広がっていた。これまでジックリと隅田川を見たことはなかったし、またただの「川」に感銘を受けることなどないと思っていたけれど、景色を遮る建物もなく、両手を広げたように大きく広がる『隅田川』は、思った以上に気持ちの良い景色だった。

わたしは土手の階段を下り、墨田川が眼前にあるテラスのブロックに腰掛ける。ポカポカとした日差しに目を細めながら、わたしはゆれる水面を眺めていた。しばらくして、左方向から水上バスが来た。わたし以外にテラスのブロックに腰掛けている人間はおらず、乗船している人たちのほとんどの視線が、わたしに注がれているのが分かった。手を振られたら振りかえそうと思ったけれど、結局誰も手を振らずに水上バスは過ぎ去っていった。
あとになって、さっきの自分は「仕事がなくて途方に暮れながら隅田川を眺めている女」に見えたのかもしれないし、だから水上バスに乗っていた彼らは手を振るのをためらったのかもしれない、と思った。

いろいろ書いたが、結局この日のわたしは「母親でもなくて、妻でもなくて、バンドとライターをしている27歳として生きていること」を静かに実感したのだった。それが良いでも悪いでもなく、ただただ、実感した。


2019年3月7日(木)。
バンド練習を終えてたあと、最寄りのスーパーで買い物をし、自宅に向かっていた。時刻は23時45分、オッ、もうすぐ誕生日だ。28歳になるんだなと考え、最初に浮かんだのが「28歳までよく頑張ったきたなあ」という感慨だった。あのときのアレがつらすぎて、ひょっとしたら死んでいたかもしれない…とか、そういうエピソードがあるわけではない。だけど、28年間というのは意外と長くて、多少なりとも頑張らなければ「28年」という日々は送れなかったと思うのだ。

特に、この5年間のなかで経験した大きな2つの別れについては、毎年たくさんのことを考えて、つらくなることもあった。けれど、少しずつ気持ちが整理されているのは確かだし、そうやってたくさん考えてきたら、もう28歳を迎える年齢になっていた。
だから、わたしは28歳になる自分を、よく頑張ったね!と褒めたいのだ。

家に着き、パソコンの前に座っていたら3月8日になった。27歳の自分にお疲れ様、と思った。


その日、夢に誰かが出てきた。でもそれが「誰」なのかは形がはっきりしていなくて、しかし身内であることに間違いなかった。一番近い感じがするのは、昔実家で飼っていた犬なのだけど、でもその存在自体が、父とか友人とか、犬とか、すべてをない交ぜにような存在だった。みんなまとめて、おめでとうを言いに来てくれたのかもしれないし、嬉しかった。そうして、久しぶりに「昔の実家」にいるような、人懐っこい気持ちを感じながら、誕生日の朝を迎えたのだった。

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