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【恋愛小説】この恋、保留につき。✾5mins short love story✾

木曜日の午後4時23分、取引先に電話をかける。

『お世話になります。田中様お見えでしょうか?』

「確認して参りますので、少々お待ち下さい。」

事務員と思しき電話相手はそう告げると保留音に切り替えた。電子音のオルゴールのようなメロディーが流れる。

何も考えずにただ電話の相手を待っていたが、その保留音がどこかで聴いたことのあるメロディーだった。そして何故か少し切なくて泣きたくなるような気持ちになった。

それは、ビートルズの"Hey Jude"という曲だった。

どれだけ有名な曲であろうと、半年前の私なら心にも留めないただの音に過ぎなかっただろう。この曲に意味をくれたのは貴方だった。いつも貴方がカラオケで歌っていた曲だった。たったそれだけ。それでも私の記憶に、心に深く刻まれた。

貴方は歌が上手くて、甘く低音な貴方の歌声を聴くことが心地よかった。歌いながら時々私の方を向いて、目が合うと微笑みかけてくれた。黒目が見えなくなるほど目を細めて笑う笑顔がとても大好きだった。

歌詞の意味は後で知ったけれど、優しくて穏やかなメロディーが、まるで私にとっての貴方の様だったから好きになった。



私が資格試験で緊張していたときは、私以上に私のことを信じてくれて一番応援してくれた。貴重な休みの日にも、カフェで四時間以上も私の勉強に付き合ってくれた。時折ノートから目を離して、向かいに座る貴方と目が合ったときにくれた笑顔で胸がいっぱいになった。

仕事で上手くいかなくて落ち込んだときは温かく抱き締めてくれて、切羽詰まって泣いてしまった時はいつも私が涙を拭う前に、貴方が涙を丁寧に拾い上げてくれた。

そんな時に貴方がくれた言葉があった。

「君は僕の大事な人なんだから、君ももっともっと自分に優しくしてあげてよ。」

新卒で自分への挑戦として、まだまだ男性社員が過半数を占める営業職に就いたけれど、完璧主義で負けず嫌いな私はいつもプレッシャーに押しつぶされそうだった。

私が大事に出来ない私を、代わりに沢山の愛で優しく包み込んでくれたのが貴方だった。

私にとってかけがえのない人であり、居場所だった。それなのに、そんな貴方の優しさに甘えすぎてしまった。



仕事の関係での飲み会が多く、帰るのが終電過ぎのタクシーになることもしばしばだった。女だからという理由で、男性営業に遅れを取りたくないと無理をしてお酒を流し込んでいた。私が蔑ろにしていた私のことを一番に心配してくれていたのは、やっぱり貴方だった。

その日も私は例のように、上司と取引先との飲みの席に行った。取引先とは初対面で、緊張して飲むピッチと量を完全に誤ってしまった。なんとか最後まで平静を保っていたがタクシーに乗り込んだ瞬間、睡魔に飲まれてしまった。

目覚めた時には見慣れたラグの上に横たわっていた。カーテンを閉めていないワンルームの部屋を、明け方の光が薄っすらと照らす。まだポケットに入ったままだったスマホを取り出し、画面の眩い光に目慣らしながら見ると午前4時14分、貴方からのメッセージと着歴が8件。

最後の着歴は、午前2時26分だった。飲みに行く時はいつも帰る時に連絡するようにしていたのに、しなかったからだった。



翌日、電話で別れを告げられた。

「君は君のままでいいんだよ。そんな君だから、好きになったんだ。でも…だからこそ、これ以上君が君自身を傷つけるのを見続けたくないんだ…

ごめんね。」

貴方は一言一言を大事にしながら、時折言葉を詰まらせながら、私の大好きな声で別れを告げた。電話口だったから表情は見ることはできなかったけど、貴方の声は震えていた。

祈るように、八回。

私に向けた通話ボタンを押した貴方を想像すると胸が張り裂けそうになった。ついに一度も繋がらないまま、明かした夜は貴方の心に陰を落して朝を迎えてしまった。



もう私の側にはいない貴方。


それなのに、今でもこうして私の世界に散らばった貴方の欠片を拾い集めてしまう。

貴方と別れてから数ヶ月、仕事関係の飲みの誘いも断れるようになった。お酒が無くても、上司や先輩と楽しくご飯に行くことも出来るようになった。

そんな自分を少し好きになれた。

そして、いつかまた新しい恋をするのだと思うようになった。だから、人並みに友達の紹介やアプリで知り合った人達とも出逢った。何度かお出かけをした人もいたけれど、私の中に友達以上の特別な感情が芽生えるような人はいなかった。


それなのに、今ふいに貴方との想い出を振り返ってしまい、私の心の奥底に沈めたはずの想いに気づいてしまった。




私にはきっとまだ貴方が恋しすぎる。



電話の保留音が途切れた。



「お待たせ致しました。」



『この恋保留につき』FIN

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