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#144 なぜ、書くのか。

ついこの間「書こうとするきっかけは何か」と問われ、
私はなぜ書きたいと思っているのだろうかと
数日の間、個人的議題にあがっていたため、
思考したことについて、またつらつらと書いていきたいと思う。

考えている中でひとつ浮かんできたこととしては、
「自分の考え/気持ちを他者に伝えたい」と思う気持ちが
私が書くことに向かわせているのではないかと思った。

例えば、恋。
好きな人に自分の気持ちを伝えたい時、
私はただ”好き” ”好きです” ”好きなの”の2文字~4文字では、
全くもって終わらせたいと思わない。
私は”好き”という感情は1通りではないと思っている。
どのように"好き"なのかを手を変え品を変え、伝えたいと思う。
色んな角度から今ある感情を見つめて、
今伝えたい最適な方法で相手に"好き"を伝えていく。

具体例として恋愛を持ち出してはいるが、なぜそれがいいと思ったのか、
なぜ素敵だと思ったのか、そんな日常の些細ないいね!を解像度高く、
かつ正確に、主に言葉という手法を用いて伝えていきたいのだと感じている。

自分の考え/気持ちを言葉で表現して他者に伝わって嬉しかった
という原体験は、小学校のときだった。
私は自分の鬱屈した気持ちや悲しい気持ちを比喩表現を多用しながら
詩に落とし込み、それが佳作に選ばれたり、
自分の創作した文章が外国の方に認めていただいたり、
もちろん担任の先生に「読んでいると、どんどん読みたくなる文章ですね」と褒めてもらったりと、知っている・見知らぬ他者に幾度か認めてもらって
かなり嬉しかった思い出が沢山ある。
原稿用紙に大きな花丸がついている思い出はかなり鮮明に残っている。
中学校~高校にかけても、学校の中で作文が選ばれたり、小説の描写の仕方を褒めてもらう機会があり、自分の”書くこと”に対する熱量は高まっていった。
大学以降はこのnoteという場所で、学校以外の公の場で書くことで
見知らぬどなたかに、私の伝えたいことを伝えるという活動をしている。
完全にライフワークである。終わりなき旅でもある。

書くことについて自分の人生を振り返ってみたが、とにかく私は、
相手に自分の考え/気持ちが正確に・おしゃれに(センス良く)伝わったとき、
私はとても嬉しい。
そこには金銭的なものは求めてはおらず、
ある意味個人的なただの自己満足・精神的充足感が欲しいだけなのかもしれない。

そう。センスも大事にしている。
ただ正確に相手に伝わればいい、というわけでもない。
それだったら機械でもできる。
私でなければ伝えられない方法や言葉で、すなわち、
私のセンスでなければ生み出すことができない言葉で相手に伝えることで、
相手も私でなければ受け取れなかった状況が作り出せると、なお嬉しくなる。

時間は有限だから、この一瞬一瞬が特別なものになればよいなと日々思っている。過ぎ去っていく時間の中で、私たちは言語をもち、コミュニケーションをすることが大半なのではないだろうか。
コミュニケーションをするときに、無味無臭なものでは詰まらない。
時にはシンプルな言葉の方が刺さる時もあるし
彩りや明度も出しながら伝えていく方が心を動かすこともある。

伝えたいという気持ちの賞味期限が切れないうちに、
自分なりの言葉で相手にこれからも届けていきたいと思った。
まとまりがなかったですが、今日はここまで。
お読みくださり、ありがとうございました。

いつもありがとうございます!