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優しい気持ちで

写真は、少し前にしれっと壁に描かれた
お姉ちゃん画伯の落書き。
ねずみと思ったら、
うさぎだったかくまだったか…(-o-)*

_*ni

今日もお迎えが遅くなってしまって、
弟くんは一番最後。
お姉ちゃんも最後かもなあ…と
ごめんねと思いながら学童に向かったら
最後から2番目でした。

玄関先で学童の先生がすぐに
お母さんすみません、余計なことを
してしまったかもしれないんですが…と
申し訳なさそうに言われるので、
親として何か足りていなかったかなと
ドキドキしていたら。

今日たまたま近くにパン屋さんが来ていて
その時間帯にちょうどお迎えが来た子達は
お母さんやお父さんとそのままパンを買って
嬉しそうに帰りよらしたんだけど、
(お姉ちゃん含めた)4人がまだその頃に
お迎えがきていなくて。
じゃあ、見に行くだけ行ってみる?と
その子たちを連れていってみたら、
パンを目の前にすると
やっぱり欲しくなってしまって。
4人なら、1人1個ずつだったら最悪
(保護者が買い取れませんと言われても)
先生たちが買い取って持って帰ることも
できるから、と1個だけ好きなものを
選ばせて買っちゃったんです。と。

お姉ちゃんの分の袋には、自分で選んだ
かぼちゃのパンが1つ入っていました。

仕事復帰した幼稚園時代からなのだけど
いつも遅くまで帰りを待っていて
1人また1人と親と帰っていくお友達を
今日もどんな気持ちで見てたのかな。
今日どんな気持ちで
このパンを選んだのかな。
先生のちょっとした優しさと
みんなと同じ小さな楽しみや幸せを
同じように経験させていただいたことが
本当にありがたくて。
代金と引き換えに
大事にそのパンを持って帰りました。

お姉ちゃん、家に帰ると
半分こしよう!と、
弟くんと私にも分けてくれました。

とっても美味しくてやさしいパンでした。

◌  ◌  ◌

今日も仕事で
やるせなさと悔しさとどこにもまっすぐに
ぶつけられない腹立たしさと
申し訳なさと時間の足らなさと
もどかしさと…
同じ方向を向くことも同じ思いでやることも
どうしてみんなこうも難しくしてしまうのか
私にできることと私がやれてることって
いったいなんなのかと。
そのうえでの犠牲や我慢やいろんな影響を
私はこどもたちに乗せてしまってるのかと
思うと本当に不甲斐なくて。

先輩には、
どうしようもない涙を受け止めてもらい
多分自分が(自己満足だけど)
頑張ってるよとかよくやってるよとか
掛けてもらいたかった言葉を
いざ優しくかけていただいて。

今日はこどもたちと
ゆっくりお風呂に浸かろうと思いながら
帰宅して、実際そうして、
合間合間の時間でふざけあって大笑いして、
こどもたち2人も力を合わせて
たくさん寝る前のお手伝いもしてくれて、
洗い物でガラスコップを割ってしまって
怪我した親指に絆創膏を貼ってくれて。

こどもたちも遅めの就寝。

今日1日を振り返りながら1文字ずつ
打っていたらまた少し涙が滲んできた。

今日の時間や気持ちが
いつかの自分や子どもたちの蓄えになって
今日よりもっともっと素敵な1日が
待っているのだと想いたい。

きっと、心が折れたり辛くなる人って
今の自分の延長線上にあるんだろうなと
常々思うし、お仕事を休んだり辞めたり
せざるを得なくなるきっかけは
本当に些細な出来事なのだと思う。
この仕事をしてきて、何度か同期や先輩が
頑張りすぎているのを見てきたから
やっぱり自分にも他の人にも
そういう思いはできるならしてほしくないと
思います。
そのきっかけが内々からのものならば尚更。
互いを尊重し守り合える職場や社会って
簡単ではないのだろうか。

原点はいつも、
自分や自分の大切な人が
心身ともに健やかであること。
そのための仕事人と家族で在りたい。

もらった優しさは
必ずいつかどこかの誰かに送ろう。




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