風立ちぬ・菜穂子/堀辰雄
積読本📚の中から、
「風立ちぬ・菜穂子/堀辰雄」
を拝読しました📖´-
(2023,11,26 読了)
いつか拝読しようと積読📚していたところ、「風立ちぬ」がオンライン読書会の課題本となったのでこの機会に引っ張り出しました。
私が拝読したのは小学館文庫から発行されているジブリ作品「風立ちぬ」のモチーフとなった二作品「風立ちぬ」と「菜穂子」が収録されているものです。
「風立ちぬ」はサナトリウム文学と呼ばれることを読書会で知りました。
サナトリウム文学ではないけれど、以前拝読した「いのちの初夜/北條民雄」と同様、闘病の末死に向かう人を描いたものは胸がギュと苦しくなります。
ただ、「風立ちぬ」は美しく描かれているのでそこまで悲壮感は漂っていませんでした。
死に向かう婚約者にそっと寄り添う主人公。
いつか終わりの来るつかの間の幸せではあるけれど、2人にとってかけがえのない濃くて密な時間。
その様子を静かに眺めている読者の私の心まで浄化してくれます。
素敵な物語で拝読できて良かったと思ったのですが、続いて拝読した「菜穂子」の方が私的にインパクトが強く、「風立ちぬ」はそよ風のようにサラサラと私の頭を通り抜けてしまいました。
さて、「菜穂子」。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、私の本名と全く同じ名前のタイトル。
それもあって「菜穂子」は拝読せねばと思っていたのです。
そして今になってやっと拝読するタイミングを迎えたのですが…
まず「菜穂子」には前日譚となる「楡の家」という物語があります。
本書にはこちらも収録されていました。
「楡の家」は菜穂子の母の手記です。
一見仲睦まじく思える母娘ではあるのですが、どことなく何かが噛み合っていないような、お互いがお互いのことを意識しているからこそ生じるズレのようなものがあるなと感じました。
そのズレがなんだか切なくて…そしてまるで自分事のようで。
そして「菜穂子」を拝読し始めてびっくり。
主人公・菜穂子の幼なじみが明。
明…あきら…
あきらと言う名前は私にとってとても馴染み深いもの。
事ある毎にあきらという名前の人物が私の周りに登場するのです。
そんなあきらという名前がまさかこの物語にまで登場するとは。
ただの偶然といえばそれまでですが、こんな偶然ってありますか。
菜穂子とあきらという名前になんの因果があるのか、ますます気になってしまいます。
その上この物語の菜穂子の性格。
ずっと何かを求めてもがいていて、変容を夢見ていざ行動に移すのだけど結局は元いたところに落ち着くしかなくて。
まさにこれ。私の中にずっと渦巻くもの。
何かが足りないのです。
考え方次第だと考え方を変えようとしても何かいつも満たされていない。
中途半端なところでいつもぐるぐるして、心がずっとモヤモヤするのです。
この物語の菜穂子と私は環境も時代も全然違うのですが、内なる声がまるで私と似ているのでこれまたびっくり。
母への想い、あきらとのご縁、自分の生き方に対するとまどい。
菜穂子という名前の持つ運命なのかと思いたくなるくらいですが、菜穂子という名前の人たちがみんなそういう運命を辿っている訳ではないでしょう。
しかし、なぜこんなにこの物語を自分事のように感じるのかと問われたら、やはり菜穂子という名前がもつ力のようなものがある気がします。
この物語はタイミングを見計らってもう少しじっくりと深掘りしながら再読したいと思います。
これから長い付き合いになりそうな一冊です。
ちなみに両親は堀辰雄の物語から「菜穂子」という名前をいただいた訳ではないそうですが、一応そういう物語があることは頭にあったそうです。
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