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私が躁うつとわかるまで①〜はじめてのブレイクダウン〜

「これは心療内科に行かないとまずいかもしれない」と思ったタイミングは2 回あります。

結果を言えば2回目にときに実際にクリニックへ診療し、初診から約2ヶ月後に躁うつの診断が出ました。

今回は1回目の時のことを書きます。

それは2018年10月、兄の結婚式が終わったその日の夜でした。


その前日、私は当時住んでいた京都から実家がある千葉まで帰らなければならなかったのですが、私の体はベッドに横たわったまま全く動きませんでした。

その理由は過食でした。結婚式の数ヶ月ほど前から頻繁に私はものすごく食べていました。

ポテチ3袋、菓子パン3個、箱入りのチョコパイ、コンビニスイーツのケーキ
などを購入して、一気に食べていました。

さすがに食べ過ぎから気持ち悪くなって食べるのをやめると、怪獣のように全てを食い尽くす自分が怖くなり、罪悪感に苛まれ、とてつもない自己嫌悪に陥いっていました。

そしてお腹が空くと、その自己嫌悪を一瞬でも忘れるためにまた食べていました。

過食のループに囚われていた私は、結婚式の前日にもひどく落ち込んでいました。


結婚式なんて行きたくない、親戚や昔あったことのある兄の友人たちにこんな私の醜い姿を晒したくない。

ていうかそもそも今家を出たくない。。。

という気持ちでした。

とは言っても、「このまま帰省ができないので結婚式は欠席します」なんて許されないし、親族のドタキャンなんて聞いたことがない。

明日着る振袖の着付けも予約しているし、久しぶりに会う親戚に笑顔をふりまかなくてはいけない。

私は社会的常識を逸脱してはいけない。

という思いから、新幹線の終電1時間前にようやく腰が上がり、無事帰省することができました。

結婚式はそつなく進行しました。

しかしそれは親戚のおじさんらしい、たわいもない一言でした。

「まゆちゃん久しぶりだね。お顔まんまるになったね(笑)」

こんな言葉、気にする必要も価値もないことなどわかってはいましたが、しっかり傷ついている自分がいました。

直前までお菓子やらパンやらを暴食していれば顔もむくんでいるだろうし、過食期間は数ヶ月にも及ぶので当然体重も増えているだろう。

こんな醜い自分が外に出るのも嫌なのに、ましてや着飾って、お行儀よくしていないといけないところに誰が居たいと思うか。

ギリギリのところで踏ん張って社会性と自尊心を取り戻して今ここにいるというのに。

その叔父の一言で前夜の自己嫌悪が勢力を回復し、私の頭の中は、

いかに今自分が醜くてここにいてはいけない存在なんだという意識に支配されました。

家に帰った途端私は大号泣しました。

突然の涙に驚く両親に「どうしたの」と聞かれても、「すごく疲れたの」としか言えませんでした。

悲しみや怒りなどではなく、体のストレス状態がMAXになったことによる発散反応のような感じで、自分自身もその反応に驚きました。

この大号泣がきっかけとなり、初めて両親に自分のうつ症状と過食症状を告白することになりました。

両親は私の告白を受け入れ、「一緒に病院へ行こう」と言ってくれました。


後日談ですが、そのあと心配した母は京都へ来てくれることになり、心療内科を探したのですが、どこも数ヶ月先まで予約が埋まっており、婦人科に診察してもらい様子を見ることにしました。(PMSのひどい版だとまだ信じていたため)

両親に告白したことや母がしばらくそばにいてくれたことで私の過食やうつ状態は回復し、心療内科のことなど忘れていくのでした。

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