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子どもの個性を伸ばすとは


※今回の記事は読んで下さる方によっては
誤解を招くような表現であることを
先にお伝えしますが、あくまで特定の人や事を
否定する内容ではありません。


2020年以降から令和になったあたりから
個性の時代、と言われていますが
それは昭和40年〜50代世代にとっては
個性とは真逆の時代。

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昭和世代が捉える、個性。とは



周りを見渡しても、
親はやりすぎてない?疲れないの?と思うんですがやりすぎているように感じるのは、なぜでしょう?

それは、昭和の競争社会に育った経験から生まれた
不安ベースがあるからかもしれないと思います。


この、令和という変化の多い
不安定な時代を生きるために、武装することが
必要だと考えるのかもしれません。


子どもにも必要なことを身につけさせなければ
生きられないという信念に基づいて。

わたしたち人間は、良くも悪くも
過去の経験や体験によって、思考の癖が生まれ、
信念になります。





思考の癖というのは
自分自身の本来の考えや感覚ではなく
過去に親や先生から植え付けられた
古くからの慣習です。


男だから、女だから、
長男だから、長女だから、
この歳だから、親だから、
大人だから、子供だから、
主婦だから、結婚してるから、
年末だから、年始だから、、、、、。

年末は大掃除、年始はお節料理、など。


これこれこうだから、こういうもの。


ふと気づくと
誰かの価値観や古くからの言い伝え、慣習は
日常のなかに数えきれないほどたくさんあるものです。もちろん、素晴らしいものもたくさんあります。

日本の食の発酵という文化や
海外にも誇れる日本酒、伝統芸能、手仕事、
古きを温め新しきを知るという考え方、温故知新。
風土を生かした日本家屋など
これ以外にも沢山。


素晴らしいものも沢山ある反面
古い既成概念もあります。

古い既成概念は自分にとっては必要のないもの、
でもみんながやっているから当たり前だよね?
みたいな、自分以外の慣習に従って生きていると
人生自体がものすごくチャレンジャーに
そして、苦しく感じます



世間一般的には
立派なひと、素晴らしいひと、
出来たひと、人格者、らしくは
見えますが、本人は幸せではなかったりね。



真実かはわからないのに、
採用しているのは、なぜかと言えば 
ずっと当たり前に慣れた慣習だからです。


やりたくない、けどやる。やらなきゃいけないから、みたいな


仕事もそうですね。
やりたくなくてもやらなきゃいけないことは
たくさんある。


やりたいから、は理由にならないと思っている。
やるべきこと、意味のあることじゃなきゃダメ!とか


自分に厳しいと
それが積み上がると、やりたいことなんて
感じることもなくなってきます



慣習と、自分の本当の望みや考えを分けると
人生が自然とリラックスモードに流れていく


ずっと続けてきた思考の癖に気づくのも
最初からは中々難しいですが
日々、少しずつ気づくだけでリラックスモードに
自然な形で流れていきます。


今回の本題、個性を伸ばす、と言っても
自分には個性なんてないと感じていたり
どう捉えるのかがわからない、とか。


そんな方には、個性の前に
もっと自分に優しく
自分に厳しくしないで。という気づきです





個性を伸ばす、とはなにか。

 
個性を伸ばす、と言いますが
個性という捉えどころのないものの根源にあるのが
子供の成長をどう見ているのかです

子供の成長や発達への考えは
大きく二つに分かれると考えていて
(考え方なので、個人の好みの問題で、肯定も否定もしていません。それこそ個性です)


ひとつは、子供は真っ白な紙の状態で生まれてくるから何もできない無、の状態であるという考え。

親や大人の条件や育て方が関係していて、
良い情報が成長に関わるから、どれだけ良い知恵や素晴らしい知識を増やすか、才能に繋がるものを見つけるかが大事。
親のやり方次第で子供は成長する、という親や大人次第という考えです。

もうひとつは、子どもには生まれながらに個性があって、親であっても他人であるし、所有物ではなく、ひとりの人間である。子どもには子どもの感覚や意思があるから
親ではなく、子ども自身の感覚を育む環境を尊重するという考え。



わたしは後者ですが、自分が育てられたベースは
完全に前者でした



ここで、大好きなエイブラハムの言葉を
取り入れます

エイブラハムが言うのは
親は子供をこの世に生み出した時点ですでに
役割は終えているんですよ

え?!って思いませんか?


この世に生を生み出した、生んだ。それで終わり?
親は関係ないの?!無責任じゃない?
そんな訳なかろうと。


だけど子どもにも、
子ども自身に指標があって、
感覚があって、
好きや嫌い、幸せを感じる感覚があるし、
何をしていたら自分自身が満足するのか。
それをよくわかっている


エイブラハムいわく、子どもは素晴らしい才能を
持っている。
ただ、親が邪魔をしなければ。のはなしだそうです


子どもは自分自身が幸せを感じる独自のルートを知っている


子どもは子ども自身の直感に従うことで
行きたい場所に辿り着くことを知っています。
(実際の道路案内ではなく、例えです)



親が子どもにできることは
道を教えたり行き方を教えるのではなく、
親自身がただご機嫌で、
日々、小さな喜びを感じることをしているだけだと
言います。


鼻歌でも歌いながら、コーヒーを飲んでいたり
ラジオ体操したり(昭和なんで。ディスってないです)


親の背中を見て育つ、とはよく言ったもので
結局は、影響を与えるのは「親自身が幸せかどうか」だとしたら

逆に言えば親の不機嫌は子供に影響を与えます。


不機嫌や不足や不満ではなく
親が、今いる場所で
子どもとは関係ないところで幸せを感じていて、
親自身が自分を自分で幸せにできること

見ていること


姿を見せることが何よりもの教育で
逆に、それしかできないとしたら。

人としても責任重大です!!!


自分の不足感から
子どもに教育という名の元に
必要以上に関わっている粘着質な大人

これは実在する人物のはなし。昔の母でした。


今ではお互いに和解しています。
その原因も伝え、お互いによく理解できたので
ばあばとして喜んで孫に関わってくれています。


わたしが母と和解できたのも
子どもを通してでしたので
もし、わたしが子どもに縁がなかったら
ずっと気づけなかったかもしれませんし
恨んでいたことは確実でしょう。



親に信じてもらえてない子どもの気持ち

子どもは敏感です。

大好きなひとに信じてもらえなかったら
誰でも悲しいですよね。


親と確執が生まれる原因も、
大人になっても
親との関係で悩んでいる原因も大元は悲しみ。


漠然とですが、理解はできます。


粘着質な親に縁があり、育てられた経験、
不足感から幼児教育をされた子どもの気持ち、
自分が親になり、経験を踏まえて反面教師になった


親にできることは、実はあまりない。ってこと。


だから、エイブラハムの言葉が
すんなり理解できたのだと思う


親ができること、子どもに与える影響


ご飯を作るのだって、中学生くらいまでの
15年くらい。
わたしは主婦向きではないので毎日作れません。

母は、毎日手作りの料理を作ってくれましたが、
それは、聞いたら「やりたかったから」
「楽しかったから」だそうです


わたしがもし、母の真似をして
毎日手作りの料理を作ろうとしたら
苦しいし
不機嫌になるのはわかります。


例えば、料理ひとつとっても
得意なこと、って違うんですよね、


母は、毎日コツコツ続けることが苦にならないし
料理を作ることそのものに喜びを感じる人。
好きなことは努力に感じませんよね。

わたしは、新しい野菜を発見したり、組み合わせを考えることに喜びを感じるので
インスピレーション重視。企画型です。
だから、同じ料理が作れないし、レシピ通りに
できない 笑


好きや得意は人それぞれ違います。
個性を活かすって
出来ない事はやらないこと、だし
やらないように工夫することでもあります。


もし、義務感で作るくらいなら、
一品減らしても美味しそうなお惣菜を選びましょう。


作りたい時に、作る。でもいいじゃない?
それこそ、女が料理を作るって誰が決めたんですか?日本は、家事に厳しい。


そういうわたしも子どもが小さい頃は毎日作っていましたが
ある時、義務感で作っていることに気づいたんです。

女なのに、作らない。母なのに、やれない、という謎の罪悪感もありました。


作らないことに罪悪感を感じるより
今、楽なことを選ぶことにしたら
楽しむ余裕が出てきたんです




いつまで経っても
子どもは違う人間で
子どもの人生を親が生きることはできないから
必要以上に罪悪感を持たなくていいし
責任も感じなくていい
(これは、わたしの母に対して)


子どもは、自分自身のちからで歩くので
親は、その成長を信じ、できるだけ良い側面を見るだけです。


それが、個性と言われるもので
個性は、伸ばす、というより
勝手に伸びていくことを邪魔しないことなんじゃないかと思います。


娘は15歳ですが、良き相談相手で、親友かも。

彼女は小さい頃から好き嫌いがはっきりしていて、自分は人間嫌いだと豪語してますが、
わたしから見たら、繊細で傷つきやすいだけ。
友達思いで付き合い上手。
感情を素直に言葉にしたり表現するのが上手いんです。
誕生日にはたくさんの、メッセージがきたり。
誤解されたり憎まれもするけど愛されキャラです。


羨ましい限り。本人には自覚はなく
才能だとも思っていないだろうけど
わたしにないものをたくさん持っている、
尊敬する相手です。


個性を伸ばそうとせず、
良い側面を見るだけで勝手にそういう人になります

親は子どもをひとりの人間として扱う。
子離れするほどお互いに良い関係になるというのは
本当のはなしです。


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