人生、辻褄が合わないことだらけ。
「人生、辻褄が合わないことだらけだよ。」
何かがおかしいと違和感を覚えては、そして感じ取った。
でも、それを伝えることが許されなかったり、
伝えたところで嫌悪感を抱かせてしまうこともあった。
その場面では、「真実かどうか」という問題は、さほど重要ではなく、
そもそも白黒付けよう、というところに着目していない。
意思疎通は難しいな、とつくづく思った。
自分が考えていることや思っていることが、
そのまま相手に伝わらずに、また別のモノとして捉えられ、
そして、すれ違っていく。
気持ちはいつだって一方通行だ。
そう、物事が進むように仕組まれているのだろうか。
東京は狭いようで広かった。でも、何故か空は狭かった。
窮屈なくせに虚偽や真実ではない情報で溢れかえっていた。
街に出ると、必ず人とすれ違う。
繁華街では地面が人で覆われていて、アスファルトの部分はほとんど見えなかった。
大きなショッピングモールでは、日本人より外国人観光客の方が多かった。
香水と、人間の匂いとが混じり合って息を止めては思わず息を呑んだ。
具合が悪くなりそうだった。
そして、正解も、間違いもないようなこの街に、
捻くれ者は多数存在していた。
ああ言えば、こう言う。
意見のすれ違いが当たり前だった。
ぶつかり合ってはその度に摩擦(誤解)が生じた。
季節の変わる匂いはしな
漂うのは、排気ガスと下水の匂い。
鳥の声を街で聞くことは少なかった。
あたかも自然に生えたかのように聳え立つ木々は、人工的なものだった。
人の手によって、耕作され、意図的に植え付けられたモノに過ぎなかった。
地面を歩く鳥は、カラスより鳩が多かった。
鳩はふくよかな体型をしていた。
鳥たちは、人間に対して警戒心はないようだった。
怖がる素振りもせずに、むしろ自分たちの方から人間に近寄ってきていたくらいだった。
雨が少なかった。
降ったとしても小降りだった。
必然的に傘を持ち歩くことが減った。
そして、天気予報も見ることも少なくなって、
気温も気にしなくなった。
天気は、圧倒的に晴れ間が多く、そこに雲は無かった。
空には綺麗な青色が広がっていたけれど、
やっぱり空は狭かった。
そんな東京生活に嫌がりながらも慣れてきてしまっていることに気付く。
「適応していく。」という例えが正しいのだろうか。
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