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幸せを探す旅

今は尚、現在進行形で「幸せを探す旅」に出ているつもりだ。

「幸せ」とは何だろう、という課題に最近は悩まされている。

「幸せ」は言葉として声に出すから成り立つものなのか。
それとも、実感するものなのか。

私にはその「幸せ」がなんたるものなのか分からずにいる。
だからそれを確かめるべく、旅に出ている次第である。

例えば、友達や親戚が結婚した時、
お決まりのセリフのように
「おめでとう。」という言葉を口にする。

でも、それって何だろう。
何でだろう。と
その違和感にぶつかってしまったのだ。

ネット上でも、
「幸せになります。」と公言している人を見かけるが、
結婚したら幸せが保証されるのか?と疑問に思う。

「幸せになる。」と言っている時点で、
現時点では「幸せではない」と言っていることにもなり得るのではないだろうか。

未だ解決しない問題の一つである。

そんなこんなを口にしていると
「捻くれ者だ」と言われるのだろうか。

でも、なぜ人はこの違和感に気づけないのだろうか。
むしろこの違和感を感じる人の方が、少数派なのだろうなとも思う。

この世は固定概念に過ぎないな、とつくづく思う次第である。

こうあるべき。
これは間違っている。
こうでなければいけない。

そういった折れ曲がった概念に縛られて生きているだなんて
それはそれは窮屈な話だなと思う。

…なんてことを常々考えてしまい、頭の中が凝り固まっているように感じる。
疲労は消えないのだ。

でも、心底興味深いのだ。

まだまだ真相にたどり着けずにいるが、
それも、この先を生きていく上での楽しみの一つでもあるのかもしれない。

そうやって私はこの人生を思う存分に楽しもうとしているのかもしれない。

どこかで感じた違和感が興味に変わり、
そしてそれが楽しさに変換されるのだ。

私もある意味、狂った人間の一人なのかもしれない。

正解がないのに探してしまうのは、何故なのだろうか。
とりあえず、正解はないにせよ、
自分の中でしっくりくる解答を見つけ出したいのである。

そして自分の中で自分なりに解釈し、納得した後、
自分の中での「正解」を見つけ出したいのだ。

こうして人は、
ステップアップしていくのだろうと思う。


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