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#小説

カミュの『異邦人』雑感

カミュの『異邦人』雑感

カミュの『異邦人』を読んでるんだけど考えさせられる。私が高校の時は、もうすぐ平成って頃合いだったけど、現代社会か何かの授業で三無主義って言葉を教わった。無関心・無感動・無気力、だったかな?ま、そういった若者気質らしい。担任からは、「お前らはオレからすると宇宙人だよ」なんて言われた。

担任の世代からすると、私らの世代は三無主義世代だったわけだ。ふうん、そんなもんかと思ったし、確かにな、って思ったり

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文芸批評断章46-47.

46.「ヴィタ・セクスアリス」

鴎外を動かしこの小説を書かしめたのは情熱でも苦悩でもなく好奇心だ。主人公の金井は科学者さながら自己を振り返り、観察し、記録する。そして作中に描かれる過去の金井もまた性的事象を科学者のように冷徹に見聞し、自ら体験し、記録する。そこがこの作品をユニークにし、また物足りなくもする。鴎外の悠々たる余裕派的態度はその客観的でそれ故に超然たる科学者的姿勢に由来するようだ。

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文芸批評断章45

45.島村抱月の「蒲団」評
島村抱月は『「蒲団」評』で言う。1)従来のきれい事しか言わない小説と比べれば、「芸術品らしくない」この小説はその限界を打破したものとして評価できるが、しかし同時に芸術品らしくないというまさにその点で弊害もある。2)主人公の妻の描写が不十分であり、主人公と子を抱えた家庭の関係が色濃くは描かれていないので、主人公の倦怠と煩悶がリアリティを欠く。3)「赤裸々の人間の大胆なる懺

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文芸批評断章44. 「少女病」から「蒲団」へ ―田山花袋小論

文芸批評断章44. 「少女病」から「蒲団」へ ―田山花袋小論

「少女病」(1907)から「蒲団」(1907)へ。ここには作者田山花袋のロマンチシズムからリアリズムへの脱皮が見られ、作家としての成長も見受けられ、同時に恋愛のいわば進化も見られる。ここでは、そういったことについてちょっとばかり筆を滑らせてみよう。

田山花袋は、自らが中年となって(といっても三十代半ばであるが)生活上も文学者としても活力が干からびてくると、若い女との恋愛を願望し、それが同年に発表

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文芸批評断章43. 田山花袋の二つの自然

文芸批評断章43. 田山花袋の二つの自然

自然には二つの意味がある。その二つの意味合いは田山花袋の代表作「蒲団」、並びに晩年の好短編「一兵卒」において確認できる。

自然概念について言えば、その意味するところは、一つは生き生きと生きたいとする生の欲望であり、そのために「蒲団」では枯れかかった中年男性は恋愛を望む。恋愛といっても片思いやプラトニック・ラブではよくない。できるだけ生き生きとしたいのであり、そのためには人として持っている精神も肉

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文芸批評断章40 田山花袋「蒲団」

文芸批評断章40 田山花袋「蒲団」

主人公の竹中時雄は三十代半ばの妻子ある作家であり、ある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯の手伝いをしている。三年前に三人目の子ができ、新婚の快楽はとうに尽き、社会と深く関わって忙しいでなく、大作に取り掛かろうという気力もない。朝起きて出勤し夕方に帰ってきては妻の顔を見、飯を食って寝る、の繰り返しである。「単調なる生活につくづく倦き果てて了った」(二)のである。それが原因なのか、少し鬱気味でもあるよ

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