目に見えないものを信じること

子供の頃、不思議に思っていたことがある。
それらは大抵は大人になった今思い返してみるとごく当たり前のことだったりする。

バケツに水を溜める時、蛇口から勢いよく水を出す。
するとみるみるうちに水は溜まっていく。
ある時、蛇口にホースが取り付けてあった。
ボクは、ホースの先をバケツに入れて蛇口をひねった。
バケツの中で、やはり水はみるみるうちに溜まっていく。
でも水が出てくるところは子供のボクにはわからなかった。

不思議がるボクに親父は、
「全てが目に見えるとは限らないんだ。見えなくてもホースの先から水は出ている。
大人になれば目に見えないものもわかるようになるんだよ」と言った。

ボクは今でもこの時の親父の一字一句と、水に跳ねた太陽の光と、親父の眩しそうにした顔を
はっきりと覚えている。多分5歳か6歳くらいだったろう。

親父はボクの“何故””どうして”にしっかりとつきあってくれる親父だった。
親父にしてみればつまらないことでも、ボクが興味を持てばそれにしっかり応えてくれた。
ボクが小さな子供だった時には、だけど。

親父は昭和11年に鹿児島で生まれた。
だから幼少の記憶として戦争を知っている。
家の前を、これから知覧の特攻基地に向かう兵士を乗せた列車が走る。
親父の家の前は山の下にあり緩やかなカーブの為、汽車はいつもそこでスピードを落とす。
子供だった親父は山になった栗や柿やみかんを兵士を乗せた汽車に投げ込んだ。
すると兵士たちが身の回りのもの、着ていた服やマフラー、万年筆などを投げ返してきたと言う。

そんな話をボクは子供の頃、親父のひざの中でよく聞いた。
あの頃、親父が大好きだった。

中学に上がり、高校生になる頃には親父と口をきかなくなった。
ケンカや窃盗で補導された時、一緒にいた仲間たちの親はみんなすぐ迎えにきた。
でも親父だけはその日のうちには絶対に来なかった。
それで一晩警察の仮眠室のようなところで寝かされた。

ある時、やはりなにかで捕まって、ボクだけがまた署で夜を明かした。
翌朝、親父が車で迎えにきた。警察に頭を下げるでもなく、ボクを引き取ると
お互い黙ったまま車に乗り込んだ。やがて自宅の近くまで着たのに通り過ぎ、
30分ほど車を走らせて、荒川の土手の上で車をとめた。

どれくらい時がたっただろう。
ふと親父を横目で見ると、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

親父は根っからの九州男児だ。
男は絶対に泣くな、泣くなら便所の中でひとりで泣けとボクに教えた人だ。
その親父がボクの隣で泣いていた。それまで親父の涙なんて想像すら出来なかった。
ボクは胸が張り裂けそうになった。あの時の心境は今でも言葉に出来ない。
驚きや罪悪感や反抗心が入り混じって爆発したような感じ。
ボクが中学2年の冬の話だ。

それからまったく親父とは口をきかなくなった。
でも勉強はした。必死で勉強した。
そして高校生になり、大学生になり、ハワイに一年留学して帰ってきた日に
何年ぶりかで親父と話した。その時のことも覚えている。

「お前の布団、母さんが干しといたからな」

ボクは親父が大好きだ。
月に一度くらいしか帰らないし、帰ったってそんなに話をするわけでもない。
でも大人になってわかったのは、全てのものが目に見えるわけではないってこと。

ボクが親父をどれだけ愛しているか、そして親父がどれだけオレを想ってくれているか、
目には見えないけれど、ボクらはお互いにわかっている。

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