On The Road 2005 代々木オリンピックプールでの出来事

それは2005年、つまり去年の浜田省吾のライブでのこと。

10月15日、代々木オリンピックプール公演。

その日は、やり残したことがあって休日出勤していた。いや、もともと休日などない仕事だ。
夕方仕事を終えて空虚な気分のまま、自然と足は原宿に向かっていた。
もちろんチケットはなかったが、近くに行けば少しは声が聞こえるかも、という淡い・・・
というかズルイ期待をもって、会場の代々木オリンピックプールに向かった。

原宿駅につくと、結構な雨が降り出していて、駅で傘を買って歩き出し、横断歩道を渡ると、
“終わりなき疾走”が聞こえてきた。ドキドキした。姿は見えないけど、浜省が1万数千人の
前で歌っていると思うと、顔が自然とほころんできた。
ぼくと同じように、チケットはないけど・・という人が数人、受付手前のテントの周りで
微かに聞こえてくる浜省の歌に耳を傾けていた。

“誰かどこかで”が流れ、“片想い”が流れ、“青空のゆくえ”が始まると、ぼくは
吸い寄せられるように入り口の、もっと音がよく聞こえるほうにトボトボと歩き出した。
しばらく呆然と立ち尽くしながら、傘をさしたまま聞き入っていた。ぼくにとっては
とても大切な歌で、思い出もあり、大好きな曲。自然と涙があふれてきた。

その時、突然声をかけられた。
40歳くらいのその女性は大急ぎといった風情で、「チケットがなくてここにいるの?」
とぼくにと聞いてきた。突然のことで混乱していると、実は不幸があってこれから
帰らなければならない、チケットが1枚余っているから、良ければ見ないかとおっしゃった。

浜省のチケットを取るのにどれくらい苦労しているかは知っている。そんなチケットを簡単に、
しかも見ず知らずの方から頂くわけにもいかないし、と躊躇した。それでもすごく勧めてくれて、
お代だけでも払おうとしたけど、結局受け取ってもらえず、ぼくの手にチケットを1枚渡して、
握手をして足早に立ち去っていった。大きなバッグ抱えたその後ろ姿をしばらく見送ったあと
興奮状態のまま、とりあえず会場の中に入っていった。座席がどこかも確認しないまま・・・。

中では“さよならゲーム”が始まっていた。係に案内されるまま、どんどん前へ前へと
歩いていった。驚くほどステージが近づいてくる。浜省のライブには過去6回行っているけど、
6回ともスタンド席の上のほう。アリーナは初めてだった。

“10月15日 国立代々木競技場 アリーナ A6ブロック 147番”

ふたり分の座席がそこには空いていた。本当はご夫婦で来られるはずだったのかな。
でもふたりでは来られなくて、それでも彼女は1時間だけライブを見て泣く泣く
帰られたのだと思う。

ライブは最高だった。武道館以来3年と9ヶ月ぶりの浜省のライブ。ライブの間、何度も笑い、
何度も歌い、何度も泣きながら、でもそのチケットをくれた女性のことを考えていた。
情けないほど遠慮して、でも興奮して混乱しているぼくに、強い笑顔で手にチケットを握らせ、
「これからも浜省を応援していきましょうね!!」と言って立ち去られた、あの瞳と後ろ姿。
もっときちんとお礼を言えばよかった。何かお礼を、と思っても女性に連絡先を聞くのは失礼だし、
急いでいる風でもあったし、ぼくも今日は名刺持ってなかったし・・と自分に言い訳したりして・・。

「本当にありがとうございました。ライブ、最高でしたよ!!!」

2004年2月に娘が生まれて父親になった。でも9月には妻をなくした。
娘は、もともと結婚に反対だった妻の母親に引き取られていった。
もう1年以上会えていない。半年近く、仕事も出来ず、落ちていた。
何度か死ぬことを試みたけど、いつか娘が大人になったときに、親がいないのは可哀想だと思い、
踏みとどまった。その間、ぼくを支えてくれたのは両親と、音楽だった。

去年出た“My First Love”というアルバムは、浜省の中で一番好きなアルバムになった。
正直最後の2曲は聞くのがとても辛いけれど、“いつかまた会える日がきた時”、
妻にも娘にも恥じない日々を送りたいと、今は思っている。

それでも実はライブにいくのは怖かった。妻と来る約束をしていたし、彼の歌を生で聞いて
感情的になって、辛かったことを思い出してまた落ち込むんじゃないかと。
だから会場の外から様子を伺おうとしていたのかもしれない。そんなぼくの背中を
あの女性がそっと押してくれた気がしている。

チケットをくださったあの女性に、“ありがとう”が伝わることと、その方がおっしゃっていた
不幸が、少しでも些細なものであって欲しいと祈っている。

こんなこと、もう二度とないだろう。ぼくはこの日のことを、きっと一生忘れない。

その後、浜省のオフィシャルサイトの掲示板に、その女性に向けて感謝の気持ちをのせた。
何人かの人から反応をいただいた。それはとても嬉しかった。
結局、チケットをくれたその人に伝わったかはわからない。

ぼくが妻と過ごした時間はほんの3年にも満たない。でもその月日は、ぼくの人生の中で、
初夏の晴れた日の木漏れ日のように、秋の静かな海の波頭のきらめきみたいに、
まぶしくキラキラと輝いている。出会いがなかったら、失う絶望も知らずに済んだろう。
それでも、付き合い始めの頃のときめきや、一緒に住むようになった時の嬉しさ、
娘の出産に立ちあったあの時の人生最大の感動も知らなかった。

M、パパは世界で一番大切な君を手放してしまった最低の父親だ。
父親失格だよね。本当にごめんね。
でもね、パパは自分のことも君のことも不幸だとは思ってないんだよ。
だってこの世には、やさしい心の持ち主が沢山いて、時々やって来ては
そっと背中を押してくれるんだよ。

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