仕事と私と希死念慮

私の仕事への考え方

私は母に精神的・肉体的虐待、過干渉束縛を受けていて、ストレスを与えられるのが当たり前になっていました。

母から逃げるために大学の学費という借りを作りたくなかったというのが一番の理由でしたが、仕事というのはストレスを受けてもその対価としてお金が手に入るという、素晴らしいものだと感じていました。

そして、仕事をするということは社会の役に立つ、誰かから必要とされるものであり、居場所がなかった私にとって初めての居場所ができたような気持ちになりました。



仕事①新卒正社員

高校卒業後、新卒で入った会社は小さい個人経営の会計事務所でした。
会計事務所では、企業から書類を預かり領収書をチェックし、1年分の収入・支出をソフトに入力するという仕事をしていました。

商業高校を卒業したので、一通りの簿記の知識があったため仕事は楽しかったです。
しかし、一つの仕事の区切りが1年単位なので、データの入力をしてしまえば新人の私にできることはなくなってしまいました。

7.5時間、フルで何もしない日が続くことも多かったです。
「なにかやることはありますか?」と聞いても「本でも読んでて」と言われ、自分の存在価値がないな、と思っていました。

そんな時に母からの過干渉・束縛が激しくなり、仕事での無力感も相まって抑うつ神経症(のちにうつ病と診断される)を発症しました。

自分の唯一の居場所である職場は、ただ暇を持て余すだけの場所になり、鬱の影響で(わたしはどうやら過眠になるみたいです)仕事中に居眠りしてしまうようになりました。

ご飯も食べれず、日中は強い眠気で居眠りを防止するためにトイレに行ってカッターで腕や太ももを切る、強いうつの波が来ていてもたってもいられなくなる、パニック発作が起こる。

最終的には仕事に行けなくなりました。
職場に休みの電話もかけることもできない日もありました。

そんな中、リボトリールという、むずむず脚症候群の治療で出されていたお薬を過剰摂取してしまい、救急病院で入院してしまい、さすがに限界を感じ主治医に診断書を書いてもらい、休職することにしました。

事務所の所長に診断書を提出して休職の申し出をすると、「君みたいな人は仕事せずに自由に過ごすといいと思う」「正直働けない人を雇ってはいられない」と言われ、退職を促されました。

退職の頃には鬱も悪化しており、退職願の自分の名前すら、職場の人が作ってくれた見本を見ないと書けないような状態でした。
そして、退職しました。


仕事②妊娠中の短期契約社員

次に働いたのは、療育施設の一般事務でした。
夫が妊娠発覚の直前に仕事を辞め、実家の自営業を手伝うようになったのですが、営業で売り上げが出せなければ1日中働いても日当0円という、厳しい仕事でした。

そのため、生活費の滞納が続き、夫に訴えるも普通の企業に就職してくれず、痺れを切らした私は妊娠7か月でハローワークに行き、2ヵ月の短期契約の仕事を見つけました。

どうやら産休の代理だったようで、仕事は本当に何もありませんでした。
過去の書類のハンコ漏れがないか、探すくらいでした。

ただ、電話は多くかかってきていたのでそれほど苦痛ではありませんでした。
2ヵ月で退職すると分かっていたのも良かったのかもしれません。

私は妊娠後期までつわりがあったため、毎朝吐いてから仕事に行っていましたが、職場のみなさんが優しかったのもあり、楽しく働くことができました。

そして、生活はいったん立て直すことができました。


仕事③産後の契約社員

現在働いている仕事です。
大学の経理事務をしています。

夫がまともな定職に就かない(当時まだ実家の手伝いしていました)ことによる生活の不安定さと、そんな状態なのに家事育児を一切やらないことによる不満が爆発して、専業主婦でいることが苦痛になったので0歳の娘を保育園に預けて働きだしました。

時々仕事が回ってこなくて暇な日が何日かありましたが、今までの職場の中で一番仕事が多くて楽しかったです。
仕事もしっかり覚え、上司には特別気に入られるくらいに頑張っていました。

娘が小さいので月に1回は熱を出してお迎え要請されました。
それでも専業主婦の息苦しさに比べたら話の通じる大人と話せる、自分のペースで好きなように仕事ができるのが楽しかったです。

それなのに、いや、今まで心からのSOSを無視し続けてきたからなのか、2年目の年度末ごろにうつ病になってしまいました。
パニック発作が起こって落ち着かない、午後は疲れて手が震えて仕事にならず、日中また眠い、忙しさに追われていないとすぐ希死念慮に襲われる。

休職から復職し、職場に戻ると私の席はなくなっていて、最も暇な部署のお手伝いみたいな仕事をすることになりました。
もともと、無理して復職したため、1日中何もしないことでまた希死念慮の声が大きくなっていきました。

そして現在に至ります。


なぜ希死念慮に襲われるのか

YouTubeで「しにたい」と調べると、益田先生の動画が出てきました。
その中では、死にたいと思う根本には何か原因があると言っていて、「私にも何か原因があるのかな」と思うようになりました。

ここで最初に戻るのですが、私は虐待を受けておりストレスを受けるのが当たり前の人生でした。
社会人になれば忙しさにより考える暇もなくなるうえ、受けるストレスも込みで給料がもらえるんだと思っていました。

だから、忙しさもストレスも与えられないことが私にとってとても不安なことだったんです。
存在価値が揺らいでしまったんです。

私は職場に必要とされていない、社会に必要とされていない、ただ在籍するだけで給料をもらっているだけの給料泥棒、私はいらない存在。

そう思っていることに気づきました。
そして、暇だと人は余計なことを考えてしまうものです。

午前中はうつ病患者にとってつらい時間です。
そんな時に「自分はいらない存在」だと頭によぎると、そりゃ死にたくもなります。
死ぬのが正しい選択だと本気で思ってしまいます。

今の仕事出勤日数はあと6日。
朝起きてすぐアルプラゾラムを飲むと抑うつが酷くないということが判明したので、あと6日それで乗り切ります。


4月からは新しい職場

今の仕事の契約を今年度を持って切られてしまったので、2月に転職活動をして新しい職場が決まりました。

眼科の医療事務です。
一度、目が悪くなった時にその眼科に行ってみたら県立病院か?と思うくらい、待合室からあふれんばかりの患者さんがいて違う病院に行くことにしました。

その患者さんの量を見たときに、「本調子じゃない私にこんな多くの患者さんをさばけるのか」と不安に思う一方で、「これならきっと忙しくて鬱になっている暇もなくなるんじゃないか」という期待もありました。

うちは貧乏でしかも借金もあるし、夫は日給月給なのに仕事をさぼります。
だからこそ、私のうつ病がどんなに悪化しても、私は絶対に働かなければならないんです。

娘を育てる責任がありますからね。
だったら自分の心のSOSも聞こえないほど忙しく働けるところのほうがいい、と私は思っています。

暇は心を壊します。




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