毒親育ちと自分の性格

物心ついた時から母親のことが嫌いで、私は普通じゃありませんでした。
普通のメンタルだったころなんて、あるのでしょうか。

気づいたら「死にたい」と思っていたし、小学生のころから離人症に悩まされてきたし。
その頃には起立性調整障害やむずむず脚症候群にも悩まされていました。

小4で自分の腕にカミソリをあて、勉強机は彫刻刀で彫った「死ね」の文字でいっぱいでした。

最初の私は、おそらく母に対する憎悪が強く、メンタルは強かったように感じます。
虐待されても平気でした。

様子が変わったのは、高校生になってから。
母が、過干渉束縛タイプに変異したのです。

私のメンタルは大荒れしました。
人権を奪われGPSで監視され外出禁止され…。

高校時代はいわゆる「メンヘラ」になりました。
摂食障害と境界性パーソナリティ障害になりました。(未診断)

18歳で社会人になり、生きづらさに気づきました。
その生きづらさは「毒親育ち」「アダルトチルドレン」と呼ばれるものでした。

でも私は社会人、親にどんな扱いをされてもそれは言い訳にはならない。
怒鳴り声で心臓がバクバクするのも、母との二人暮らしでメンタルがやむのも、全部甘え。

そう思っていたら、いつの間にかノイローゼ(抑うつ神経症)(うつ状態)になっていました。

20歳、セルフカウンセリングで境界性パーソナリティ障害を脱却しました。

21歳、子供を産みました。

徐々に再発しているのは感じていました。
1か月ほど鬱が続き、元気になる。

どんどん元気な日数は減り、鬱の時間は増えていきました。
パニックも強くなり仕事に支障が出たので、精神科に行きました。

そこで、「うつ病」と診断されました。
その瞬間、なんだか安心しました。

自分の辛さは、甘えじゃなかった。
お薬で治るものなんだ。

それから投薬治療が続き、1年1ヵ月目。
鬱で寝込む時間はかなり減りましたが、未だに治っていません。

完璧主義と自己否定が強く、「自分は甘えちゃいけない人間だ」と思い込んでいる節があります。
実際、生活できないので私は明日正社員に転職します。

私は他のうつ病患者さんのように治療に専念しながら障害年金で生活することはできないんです。
それは私が給料の少ない夫を選んでしまった罰だと考えています。

それでも、夫はうつ病に理解を示してくれているので、まだ助かっています。
平日は家事しないですが。

最近、双極性障害の疑いが少しあり、もともとの自分の性格を思い返してみました。
しかし、メンタルが健康だった時期がないので、分かりませんでした。

元気な時はありました。
結構はつらつで、おしゃべりで、笑い上戸で、浪費家。

でもそれが双極性障害の躁状態かもしれないと言われると、そんな気もしてきます。

まぁ、抗うつ薬2種類飲んでいて躁転していないのを見ると単極性のうつ病なんじゃないかな、と思いますが。

うつ病と診断される前は、寝込むほどではない軽いうつ状態とハイテンションで娘を愛でる状態が2か月くらいのスパンで切り替わっていたので、どうだかわかんないですね。

でも家庭環境が悪かった人は、もともとの自分の性格ってよくわからないですよね。
ストレスにさらされて生きてきたんですもんね。

次回のメンタルクリニック受診の際には今までの感情の変化についてお話してみようと思います。
今の主治医には毒親育ちだったことすら話していないので…。


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