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思春期の私を導いてくれた雑誌「Vingtaine (ヴァンテーヌ)」

先日、とある2010年のファッションスナップに「このダサ感、どうして当時はイケてると思っていたんだろう」などと呟かれたツイートを、友人が「懐かし過ぎる」コメント付きで紹介していた。

友人は、その「白レース、水色デニム、小花柄、フリル、薄茶色の合皮ベルトやサンダル」といった流行りにはあまり興味が無かったようだが、「大学時代」と覚えているようで、恐らく我々は同年代かな?と思わされた。

そして、彼女は「このスタイルが一世を風靡していたころ、私はDomaniという雑誌を読んでいた」と言っていた。同じ雑誌は読んでいなかったが、私もこの流行りには乗らず、当時はモード系の雑誌を読んでいた。

そんな事を思いながら、ふと、数あるモード誌とは別に「お気に入りの雑誌」があって、中学生くらいから図書館で借りて読んでいたなぁ、と思い出した。

なんとなく雑誌名のフォントを覚えていて、頭文字はV、ヴィンテージとかそんな感じの名前だった。休刊になってしまった、「ミラノ女性スナップ」とかよく特集していた。

そんな些細な記憶だけで検索を掛けたら、ちゃんとヒットした。今どきのテクノロジーはすごい。

Vingtaine (ヴァンテーヌ)」

Vingtaine (ヴァンテーヌ)は、アシェット婦人画報社(現:ハースト婦人画報社)が発行していたファッション雑誌。同社が発行する「25ans」(ヴァンサンカン)より下の年齢層、20代の独身女性を読者対象としている。1989年9月、婦人画報社(当時)より発刊された。単なるコーディネートの実例の列挙に終わらない編集方針が好評で、その上の年代層にも人気があった。ムック『ヴァンテーヌスタイル』など関連書籍を発行したほか、読者の意見を参考にした、パンツとスカートのそれぞれに似合う2デザインのカーディガンなどを企画・製作して通信販売を行うこともあった。メイクやライフスタイル、カルチャー面の情報も多く掲載されていた。-Wikipediaより抜粋

な~んだ、単なるファッション誌か…と思われる方もいるかもしれないが、当時、小娘だった私にはとても大人なオシャレ雑誌で、ファッションの楽しさを教えてくれた教科書のような存在だった。「写真で見るおしゃれさ」みたいな事だけじゃなくて、文章で「本当のおしゃれとは、気品とは」みたいな哲学を説いていたことも好きだった。

中学生当時、mc Sistertという雑誌も好きで買ったりしていたが(奇しくも同じ出版社)そして高校生の時は古着ブームに乗っかりつつ、独自のスタイルを模索していたが、ヴァンテーヌが芯として存在していたことは自信を持って言える。

そして、調べていたら

今もなお新鮮に響く「ヴァンテーヌ」のおしゃれ哲学が、もし2020年に甦ったとしたら‥?「ヴァンテーヌ」で編集者人生をスタートした大草ディレクターによる特集を、全4回でお届けします! ーサイトより抜粋

というウキウキワクワクな企画にぶち当たった。

雑誌自体は2007年に休刊となってしまっているので、私は編集部の掲げていた読者層「20代の独身女性」に当てはまらないまま10代を終えた。30代の今、またもやその層に当てはまらないが、読んでみてとても懐かしく、時代の流れも汲んで、引き続きかっこよかったので、ここでシェアしたい。

第一回目からの抜粋からどうぞ。

シンプルで上質な定番アイテムを、コーディネートによって、洗練された自分らしいスタイルへと導くセオリーが満載だった「ヴァンテーヌ」。その哲学はいまもなお色褪せない。また「甘辛バランス」をはじめとした独特のおしゃれ用語も多数生み出しました。

そう!シンプルで上質なアイテム…この頃、母親のクローゼットを漁り、セットアップや白のドレスシャツなど、拝借し出した記憶がある。

母と私のサイズは同じ。母の方がウエストや肩幅など、骨太な私と比べて華奢ではあるのだが、実にラッキーであった。母の「いい服」を手持ちのアイテムと合わせ、自分のスタイルを確立していったのもこの頃。

個人的には、首が短い丸顔なので、シャツはボタンダウンで3つ位開ける着方が好き。また、薄手の白シャツを丸首のセーターに合わせ、色を見せたりするのも好き。袖は基本、折り返し。

あぁ、懐かしい。覚えている、こういうセオリー。

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こちらは第二回目。

『ヴァンテーヌ』が創刊した当時は、バブル景気で、世の中全体が熱をもったように華やかだった時代。そんななかで、キャリアウーマンでもない20代の女性がテーラードのマニッシュなジャケットを着ていると「女を捨てたの?」と思われるような空気感もありました。ハイヒールが主流のなか、足元はローヒール、そして“辛口スタイル”をうたった提案はかなり斬新だったはず。でも『ヴァンテーヌ』の提案するファッションとは、不特定多数に向けて“モテる”ための服や、いい男の人を引き寄せるための服、という考え方ではなく、家族やパートナー、職場の人や友人など、近しい人との関係性の中で自分が心地よくいられるための着こなしだったのです。

へえ!そんな時代背景が。私が母のワードローブからよくお借りしていたのは、ジャケット。当時お気に入りのネイビーの金ボタン付きジャケットから始まって、「自分にはノーカラージャケットが合う」と気付いたのも、この雑誌からだったような気がする。

春と秋が短いトロント、ジャケットを着る機会があまりなく、寂しい思いをしているこの頃。

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あ~、この着こなし、かわいい。こういう所にピンクのバッグ持ってくるところヴァンテーヌっぽい。コンサバなアイテムを、ちょっと着崩す、遊び心があるのがいい。私だったら、足元は白スニーカーか、同じ系統のピンクのバレエシューズ、甲が見えるペタンコパンプスとか合わせたい。

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そして第三回。

もう題名からしていい。「迫力のあるおしゃれ

20代の女性を対象としていた「ヴァンテーヌ」が40代、50代のミラノのマダムの格好良さを”迫力のあるおしゃれ”として度々取り上げていたのは、おしゃれを年齢ではなく、その姿勢で捉えていたから。

そう、ミラノマダム!私はパリでもなく、NYでもなく、ミラノマダムの着こなしが大好きだった。それは迫力だったのか。ミラノに行ったことはないが、ミラノマダムに未だに憧れている、と言っても過言ではない。

“迫力のあるおしゃれ”の”迫力”とは、年齢を重ねて身についた存在感や自信、とも言い換えられます。それは、歳を重ねたからこそにじみ出るチャームポイント。その人自身の意志や前向きな気持ちが強い美しさとなって、コーディネートを支える“迫力”になるんです。
”迫力のあるおしゃれ”は、その人の内面の豊かさを表します。いつまでも可愛く、いつまでも守られていたいーー若い時の未成熟で控えめな可愛らしさももちろん素晴らしいものですが、そこから一歩進み、今の等身大の自分自身をファッションに反映させていく作業です。
20代の若い女性向けだった『ヴァンテーヌ』が、ミラノのマダムを代表とする”迫力のあるおしゃれ”のエッセンスを取り入れていたのは、20代には20代の、そして40代には40代の格好よさと存在感がある、と考えていたからでした。それを生かすかどうかは、年齢の問題ではなく、その人自身のおしゃれに対する姿勢だということ。歳を取ることを後ろ向きにとらえず、ある種の“強さ”をファッションに取り入れてみませんか。それは、これから先のおしゃれをもっと豊かに、自由にしてくれると思うのです。それに足る内面は、すでにあなたに備わっているのですから

ああ、好き。

「若さが全て」というような、女子中高生ビジネスの真っ只中にいた自分に、「かっこいい大人もいますよ」と導いてくれたんだなぁ。

この、大草さんがおっしゃる「歳を重ねたからこそにじみ出るチャームポイント」に、今は、なるほどなぁ、となんだか感慨深い。

実は、30代になり、地元の同い年の友人らとの会話は「体の不調」と「老化」についてが主なトピックとなった。(そして「子ども」私は子どもがいないので、そこはスキップ)それはそれで楽しんでいるが、実の所、ちょっと「お腹いっぱい」感がある。

カナダで暮らす今、年齢に臆することなく、好きな恰好が出来、周りもそれに対して何か咎めることがない。「年相応の恰好」というマナーは、北米ではあまり聞かれない。更に「アジア人は若く見える、老化しない」と本気で他のグループから思われていて、私も多分に漏れず10代、20代に間違わられたりする。それは、良い事なのか、悪い事なのか何とも言えないが(例えば、北米でも若く見られることは、社会人としてただ”幼い””頼りがいがない”等のマイナス面でもあるから)事実として年齢を気にすることはまれなのである。

PMSなど年齢を重ねるうちに症状が変わったり、顔の皺も増え、体形の変化等、私も「老い」を感じることはあるが、それを「負」と捉えずに「人間だから」「年齢を重ねたからこそのかっこ良さもある」という「事実」としてこれからも受け入れていきたい、と思う。

10代の時に、40代のかっこ良さを説いてくれて、ありがとう、と言いたい。

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そして、。色の組み合わせや、肌のトーンに合わせたカラーなど「色の楽しさ」もヴァンテーヌが教えてくれた。

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パキッとした赤に、このターコイズを合わせる所とか大好き。リップのカラーも好き。

色合わせについての特集もすごく独特で、私の色彩感覚を育ててくれてありがとう。(何回言う)トロントでも、面白い色合わせをしていると褒められることが多い。

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最終回の第四回がこちら。

記事には全編を通して、数多くのコメントが寄せられている。多くの方が雑誌をまだ保管していたり、コーナーや特集を懐かしんだり、愛されていた雑誌なんだなぁ、と実感する。ライフスタイル特集や、旅情報なんかも好きだったなぁ。そんな中、私が一つだけ気になった点がある。

外国人モデルの起用」についてである。

雑誌は、表紙から紙面に至って、ヨーロッパ系のモデルの方々が多く起用されていた。当時は何も気にした事はなかったが、カナダに暮らす今、単純に「どうしてかな」という疑問が拭えない。

多くの方が「外国人だったからかっこよかった」と語っていた事もちょっと気になった。

日頃から、美容商品やアパレルの広告、多くのヨーロッパ系モデルを目にする日本。また、謳い文句の「美白」もある。

トロントは移民や、様々なバックグラウンドを持つ人々が多く暮らしていて(私もその一人)、肌の色や髪質がみんな異なる。美容商品やアパレルの広告は、多人種、民族で形成されている。ファンデーションも沢山のカラーが売っている。実は、カナダでも、とある人種、民族グループの中で「白ければ白いほどいい」みたいな「美白」と似たような感覚があり、企業がそれに応えたり、また違法な成分を含んだ商品を販売したりと、問題視されていたりはするのだが。

https://www.cbc.ca/news/health/marketplace-skin-whitening-lightening-beauty-shadism-1.5454257

私は、もっと日本人、または他のアジア人、さらに他のエスニックグループがモデルをしてもいいんじゃないかな、と思っている。それが、自分の美しさを「自分だけの美しさ」を肯定していくこと、または他者への理解に繋がるのではないか、と思う。

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また、今回、こうしてヴァンテーヌおしゃれ哲学を改めて読んだことで、おうち生活でTシャツ&レギンスな毎日にカツを入れられた気分。

まあ、おうち生活でなくても、トロントに来てからだ~いぶカジュアルなんですけど。カジュアルの概念をかる~く超していくカジュアル具合ですが。

おしゃれって楽しいですよね。おしゃれしてどっか行きたいな♡と思わされました。


*写真と大草さんのコメントは、以下サイトより抜粋させて頂きました。



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