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「君の名は」に隠されたコミュケーション術

あなたは「身内でもトコトン褒める派」ですか?それとも「いやいや、何を言ってるの、人様の前で身内を褒めるなんて…お恥ずかしいわ、品がない」とお考えでしょうか。

私は、後者の両親に育てられました。「あなたはよく出来たお嬢さんをもって羨ましいわ~」だなんて、母親の知り合いが私の事を(マナーみたいな感じで)褒めてくれても「全然よ~、この子、外ずらだけはいいのよ~」と母。本当の事を言って(私は本当に外ずらが良い、正解!)謙遜して終わる。謙遜というより、完全なる否定、というのが近いかもしれない。

日本の古き良き、奥ゆかしい文化としては、それが「一般的」と言えるだろう。

先日、ちょっと面白いことがあって、それをTwitterで呟いたら、結構な反響を頂き嬉しかった。ちょっと自嘲ネタでもあったのだが、聞いて欲しい。(読んで欲しい、か)

この話、よく読んだら、身内をめっちゃ褒めている。

うちのパートナーの父親すごいっす。尊敬っす。というネタである。

もともと、このnoteでも、パートナー…というより、その彼の父親がどれだけ人格高い方なのか、私がどれほど有難いと思っているか、をついつい打ち込んでいる私。いや、パートナーも頑張っているけれどね!(謎のフォロー)

この日の、この気持ちの揺れは私の中で大変面白かった。

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ちょっと詳細を話すと、この電話は、Wi-Fiについての問い合わせであった。そもそも一会社で意思疎通が上手く行かず、ミスコミュニケーション?(色々あったので割愛)諦めて、他の会社に問い合わせたのだ。電話の最後に「契約します。頼みますよ。あなたの会社は、しっかり仕事してくれますよね」みたいな感じで、我々はピリピリしていた。(というつつ、ピリピリしていたのは私だけだったのかもしれない)

カナダのそういう所は本当好い加減だから…好い加減、いい加減、どうでもいい加減…そういう所が心地よくもあるのだけれど、なんというか公共交通機関とか停電とか道路とかインフラに関する事は「もっとしっかりするべきなんじゃないのか」と、我々はいつも思っている。

パートナーの父親はエンジニアなので、うちでよく会話のトピックとして上がるから…とも言える。

とにかく、その電話を最後に、いい加減にWi-Fiを繋げて欲しくて「最後に名前を教えてくれる?」と言った彼に、私は内心(よ~く言った!いいぞ!名前聞いとくの大事っ!責任感持ってくれよ~!頼むぜオペレーターさん!!)という感じであった。

それを「脅す」(言葉は悪いが)のではなく、感謝を持って〆た事が私はとっても衝撃を受けた。「かっこいい…尊敬…」とまで思った。

最近、外交の場面で、外交とは…コミュニケーション能力とは…英語力とは…国のリーダーとは…なんかと、なにかと話題になっていて私も興味深く思っていたが、今回このパートナーの父親のやり方は、まさに「コミュケーション能力の賜物」といって良いのではないか、と思う。

私も彼も、英語力で言うと同じ位のレベルっちゃレベルである。大人になってからカナダにやって来たうちの一員ら。

いいものはどんどん真似するスタンスで生きているので、このコミュニケーション術は私の中で、もう盗み済である。次、使うで賞。

とにかく、良い行いがあった時は、つい褒めちゃうよね!という話。でした。

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ところで、トロントに住んでいると「褒め上手だなぁ」と思う事が多い。我が子を、パートナーを、ペットを、褒める褒める褒める。そして、話している相手の事もよく褒める。それがとても自然で、褒められたからって強縮する必要もない。

Twitterをみていると、日本に住んでいる方も「ちょっと、我が子の絵を見て欲しい…天才じゃない?」とか「うちのパートナーのこういう所に惚れ直した」とか、みんな褒めたいんだなぁ、とも思う。褒めたいっていうか、本当は別に強縮したい訳じゃないんじゃないかなぁ、みたいな。

褒められたら嬉しいしね。けなされたら悲しいし。

ただ、こう、悪評も評価のうちって事で、次に活かしたりも出来るっちゃ出来るから、褒められ続けると学びがない、とも言えるだろう。

何事も良い塩梅が大事。良い加減、ですね。(上手くまとめた風)

ここで、思い出したフレーズを。

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「誉め言葉はあなたを気持ち良くさせ、批評はあなたをより良くする」

みたいな感じでしょうか。色々話しているうちに、当初の話から大分遠ざかってしまった感もあるが、こちらの言葉も大好き。

大人になるって、ネガティブな事もしっかり受け止め、成長していく事を諦めない、って事だと思っています。

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