自己決定の連続が、地に落ちていた自己肯定感を爆上げしてくれた
ことばって泉のようなものだと思っている。
自分の意思とは関係なく、絶えずコポコポと湧いているもの。
ただ、心が動いたり刺激を受けたりすると、それが突如として噴水のように勢いよく噴き上げてくることがある。
その逆もしかり。
ただ、湧き出た泉水が溜まる池にはキャパシティがあって、池から地面へと沁み込んでいくには時間がかかるから、噴水が続けば当然、溢れてしまう。
これまでの人生で、その池にはダムを創ってみたり、汲み上げて排水するシステムを導入したり、試行錯誤してきた。
けれど、まあ自前の設備だからあんまり精度は良くなくて、頻繁にメンテナンスが必要だったりする。
噴水が続いているのに、忙しくてメンテナンスが行き届かない時がある。
溢れてしまうと困るから、私は、全身ずぶぬれになりながら、両手のひらを必死に噴出し口に押し当てて、観念したように泉が静まるのを待つんだ。
そんなここ1~2年。
ハッと気づいた時にはもう、池は涸れそうになっていた。
とあるきっかけがあって、私は自己紹介記事を書こうと決めた。
それで数日前にようやく書き上げたのが、これだ。
結構時間がかかったし、特に序盤、泉をひねり出すのに苦労した。
けれど、一度湧き出すとぽこぽこ止まらなくて、後半はもう、それは見事な噴水に……。笑
書き終えてもなお、勢いが止まらない噴水を横目に、池が溢れないための排水作業として今こうして書いているというわけである。
またひとつ、肩書きが増える
自己紹介記事を書くきっかけになった「とある」ことについては、まだもう少し、自分の中に温めておくつもりだった。
けれど、この文章のために説明が必要な気がするので、さらっと書くことにしよう。
この2月から、「さとのば大学」という言わば未来型の4年制大学を運営する株式会社アスノオトにジョイン(入社)することになったのだ。
他のいろいろとの兼ね合いもあって、正式な入社は4月から。
3月いっぱいまでは「見習い」みたいな形で、勉強させてもらっている現在である。
(リモートワークなので、紫波に暮らし続けることに今のところ変わりはない)
さとのば大学は、2018年にクラウドファンディングでの資金調達を達成してリリースされたプロジェクト。
日本全国の様々な特色ある地域に学生たちが散らばって、そこで実際に暮らしながら地域のプロジェクトに入って実践で学び、同時にオンラインで各地域を繋いで、日本全国の仲間たちとともに先進事例を学んだり、各々の実践をシェアして切磋琢磨したりする、というまさに「地域を旅する」大学だ。
実は、前身となる「地域共創カレッジ」というオンライン講座を、地域おこし協力隊時代に受講していたというご縁があった。
大学にする、という構想を聞いてめちゃくちゃ興奮したし、いつか、何かの形で関わることが出来たらいいなと思っていたので、これからそこに関わっていけるというのはすごく嬉しくて、同時に、しっくりきている。
そのへんの話はまた、正式にジョインしてからちゃんと書きたいなあと思っているので割愛するのだが、今すでに実際の「さとのば大学」の講義にちょこちょこ参加させてもらって、あの頃の記憶が蘇るような感覚でふつふつとしている。
私って目立ちたがり屋だったんだ
プロフィールをまとめていて、気づいたことがある。
幼少期、私は目立ちたがり屋だったんだなあということ。
授業中に手を挙げて発言する。
大好きな音楽の授業で大きく口を開けて歌う。
好きなことや得意なことをみんなに伝える。
そうやって小学校生活を始めたから、確か小学3年くらいの頃、初めていじめ(というか仲間外れ?)を受けて驚愕した。
事の発端は、新学期の「じこしょうかいシート」だったと思う。
「すきな食べ物」とか「すきな科目」とか色々な「好き」に関する質問に答えて、全員分が教室の後ろに張り出されるものだった。
一番最後の質問は「すきな〇〇」と空欄になっていて、それぞれ自由に書いていいですよ、ということだったから私は「すきなひと」と書いて、当時好きだなあと思っていた子の名前を3人くらい挙げて提出した。
多分、人間としての好きだったのだと思うけれど、それが3人とも、男子だったのが問題だった。
掲示されてすぐ、教室がざわざわし始めて、それは隣の教室から見物に来るくらいのもので、私は周りの女の子たちから仲間外れにされるようになった。
名前を出した男子本人や、周りの男の子たちからは、ちょっとからかわれるくらいだったから、私もそこまで気にしていなかった。
でも、そういう小さな事件がちょこちょこと起きていって、
──みんなの前で「自分」を出すことは、悪いことなんだ
と学んだのだった。
気付けば、目立ちたがり屋の自分は押し殺さなければいけない対象になって、
──どうせ自分は嫌われる
と自己肯定感もどんどん低くなって、目立ちたがり屋だったことすら忘れてしまっていた。
誰かが敷いたレールを降りた瞬間
地域おこし協力隊として紫波町に来ると決めたとき、私は人生のレールが切り替わっていく音を聞いた。
そう、本当にこの耳で、聞いたのだ。
それまでの私はトロッコみたいな裸の箱に一人で乗っていて、誰が敷いたのか分からない一本のレールの上をただただ走らされてきた。
踏み外してしまいたい、どこかへ行ってしまいたい、と数えきれないほど思ったのに、結局、勇気が出なくて、小説という形で主人公に託すことくらいしかできなかった。
そんな嫌だった自分が、社会人になって、転勤という不可抗力で仙台という縁もゆかりもない場所に飛ばされて、
あれ?もしかしてレールを外れても生きていけるんじゃない?
と気づいたのだ。
誰かのレールはここでおしまいにしよう。
ここからは、自分の足で、自分が行きたいところへ歩いて行こう。
そう決めたとたん、ポイント切り替えおじさんみたいな人が現れて、ギギギギギ……と線路が切り替わった。
いよいよトロッコを降りて、私は紫波町に来たのだった。
認められること・褒められることの恐怖
紫波町に来ると、町として地域おこし協力隊の受け入れが初めてだったこともあり、町で出会う誰もかれもみんな、地域おこし協力隊?なにそれ?という感じだった。
家族や親戚がいるわけでもない、結婚して旦那さんの転勤についてきたわけでもない、裸一貫の24歳女子に向けられる目はハテナに溢れていて、
「なんで紫波町に来たの?」
「なにがしたいの?」
と1万回くらい聞かれた。笑
だから私は、
「こどもたちがみんな自分らしく生きていけるような社会を創りたいんです」
と、今まで話さないようにしてきたけれどずっと心の中で燃えていた自分の夢をとことん語った。
いつしか味方や仲間が増えていって、地域おこし協力隊としてではなく、「たっしー」として見てもらえるようになって、私の夢を認めてくれたり、手伝ってくれたりする人まで現れた。
ただ正直なところ、
──夢って本当に叶えちゃっていいものなの?
──結局平凡に終わるのが私の人生のはず。
──私なんて、そんな器じゃないのに……
と、過大評価されている感じがものすごく怖かった。
失敗した時にがっかりされたくないから、認められたり、褒められたりすることが怖くてたまらなかった。
どうせ私のことだから、絶対失敗するし。
そうやってビクビクしながら過ごした、3年間の任期だった。
そんな最中に受講した「地域共創カレッジ」は、私にとって本当に大切で必要な時間だったと振り返って思う。
自分の原体験を深掘りして表出するという初めてのことに戸惑い、それでも溢れてくる感情と言葉をひたすら書き留め、仲間の力も借りて自分と向き合い続けるうちに、どん底を掘り当てて、泣いて、そうして浮き上がってきた。
こういう経験を大学時代にしていたら、どうなってたんだろうな~と、今大学生の年齢で「さとのば大学」を受講している人たちが羨ましく感じたりもするけれど、私にとってはああやって出会ったこのタイミングが最適で必然だったのだと確信している。
ビクビクしながらも、私は紫波町でいくつものプロジェクトやイベントに挑戦させてもらって、予想通り、やっぱり失敗した。
失敗しては、謝って、反省して。
すると、また応援してもらえた。
それを繰り返しているうちに、私は、何だか自己肯定感が爆上がりしているようだ、と気づいたのだ。
自己肯定感が高くなったのは何故だろう
当初、認められることが増えたから、自己肯定感が高くなったのだろうと思っていた。
でも最近、
自己決定する生き方になったから、自己肯定感が高くなったのだ
と気づかされた。
子育てや教育の文脈で、こどもの自己肯定感を高めるには「自分で決める経験」をさせることが大切だ、と書かれることがある。
靴下を履きたがらないこどもがいたとする。
この子の心理の中には「だってうまく履けないんだもん」という気持ちがあるかもしれない。
そんな時は、
──〇〇ちゃんは上手に履けるよね~、えらいよね~、頑張って履こうね~
という声掛けではなく、
──今日は、アンパンマンの靴下とキティちゃんの靴下どっちがいいかな?
と彼女自身に選ばせた後で、頑張って履こうとする彼女を見守り、履けても履けなくても、
「自分で決めてえらかったね、頑張ってるところ見てたよ、私は嬉しくなったよ」
とこちらの気持ちを伝えてあげる。
みたいなティップスなのだけれど、これって、自己決定したことによって大好きな人に喜ばれる経験がこどもを育てる、ということなのだと思う。
これは実際に保育士としてこどもたちと接してきた中で試し、本当にそうだなと実感した。
結局大人も全く同じで、たとえ結果がどうであれ、自分で決めて行動したという実感の積み重ねが、心を育ててくれるのではないだろうか。
自分のために「稼ぐ」人でありたい
岩手の人は、「働く」と言う代わりに「稼ぐ」という言葉を使うことがある。
稼ぐ、と標準語で言うと、「お金をたくさんもらう」とか「お金のために働く」とか、なんとなくお金のイメージを強く感じるだろう。
私だけかな?
岩手の人が、体を使った仕事終わりに「今日も稼いだな~」とビールを飲んだり、雪深い日に「稼がなくっちゃ」と雪かきに精を出したり、「連休も稼ぐぞ!」と専業ではない家の田んぼの手入れに出かけたり、という姿を見ていると、そこにお金のイメージは伴わない。
これはまだ岩手5年目ペーペーの私なりの解釈なのだが、
「労(ねぎらい)に値する働き」をすることを、稼ぐと表現しているのではないかと思う。
お金ではなく、「労」という対価。
自分から自分への労い、のようなイメージ。
だから、頑張った、というニュアンスを含んでいる気がする。
その感覚って、すごく素敵だなと思った。
自分で考えて、
自分で決めて、
自分で動いたことに対して
「自分、頑張ったなー」
と思えることは、お金とは違うベクトルの報酬だと思う。
しかもそれが、誰かが喜んでくれたり、直接お礼を言われたり、喜ぶ顔を目の前で見ることが出来たり、代金という形で評価をもらえたりするならば、こんなに幸せなことはない。
誰かの役に立っていると実感できることも、やはりそういった報酬だろう。
自己肯定感が高まり、目立ちたがり屋を取り戻した私は、そういう報酬をもらえることがたまらなく嬉しい。
だから、自分のために、「稼ぐ」=頑張る人でありたいなと思っている。
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