見出し画像

高卒でも天職にめぐり合える? 学歴以外の"武器"の作り方


まずは自己紹介

こんにちは、アクセスありがとうございます!😆💕

今回は本題に入る前に、まず、ざっと私の自己紹介を。

  • 既婚、6児の母(男女3人ずつ、上は高2、下は3歳)

  • 仕事は在宅フリーランス(おもに出版物の校正)

  • 趣味は旅行、読書、パン作り、ジム通い。「三国志」大好きなので、20代は中国大陸のバックパッカー経験も。

こんな感じです😊

夫婦共働きで、なおかつ、少子化のご時世に逆らうような多子家庭(笑)ですので、リアルでマトモに自己紹介すると、「ええっ!」と驚かれることも多いです(もう慣れたけんね)😅

……なんですが。
じつは、以前の記事にも書いたように、私の幼少期はいまとは別世界でした。

両親とは小学生のときに死別し、以来、母方の実家で育てられました。
いわゆる「居候」ですので、高校卒業まで育ててもらえるだけでありがたく大学進学を考える権利すらありませんでした。

そういうわけで、私が高卒で就職したのは、育った家庭環境的には必然でした。
さらに言うと、「両親がいない、高卒の自分」には、結婚も無理だと思っていました。
性格はいまでも楽天的なほうですが、育った環境の影響が強すぎたので、自分の将来には悲観的だったと思います。

そんな私の運命に、その後、次々と奇跡が起こります。以下にその内容をご紹介します。


高卒就職の現実~私の社会人デビューは挫折から始まった


高卒で就職というと、いまの学歴カースト社会ではかなり不利といっていいでしょう。
でも、私が高校生だった頃は、けっして珍しいことではありませんでした。

その大きな理由は、私の育った場所が山梨の山奥(笑)で、庭にタヌキが出没するほどのド田舎だったということです。
同級生でも、四年制大学に進学する子は、よほどの秀才か親がリッチな子にかぎられ、大半の子が、よくても短大か専門学校、あるいは高卒で就職コースでした。((注)平成時代のお話です)

先に書いた家庭環境が理由で、私も高卒で就職しました。
その後、京都の佛教大学の通信課程に社会人入学し、第一子を産んでから学士をとりましたが、校正という天職に就いたあとなので、就職には影響していません。

私が新卒で入ったのは、県庁所在地にある個人経営の歯科医でした。

就職にいたる道のりはとてもスムーズで、幸先もよさそうだと思いました。
筆記と面接試験に合格し、電話でそのお礼を伝えると、私の入職を待ちわびるあたたかいお言葉をもらえました。
また、古い建物ながら寮も完備されていて、「これなら安心して生活できるね」と、祖母も大喜びしてくれました。

……ですが。

結論から言うと、私はその歯科医をたった3か月で辞めました
その理由は
「求人内容と実際の仕事内容がぜんぜん違った」
ことです。

具体的には、
求人→受付事務
実際→歯科助手 
 だったんです。

まあ、求人詐欺ですよね(笑)

でも、その頃は私も若くて世間知らずだったので、
上記を理由に、院長一家に辞職を申し出たあと、
苦い顔をした院長の母親から、

「『求人と違うって、今さら文句を言うなんて!
あんなに良くしてあげたのに恩知らずな!』<`ヘ´>」

と、自分たちの悪行(詐欺)を棚に上げた嫌味を言われても、
ひとことも言い返すことができませんでした……(:_;)

孫想いの祖母も、「あんたの育て方が悪いからこうなった」というような罵詈雑言を浴びせられても、黙って耐えていてくれました。

そもそも、私がその求人詐欺の職場を辞められたのは、
私から職場の泣き言を聞いた祖母が、
「そんなところ辞めて、うちに帰ってくればいいよ!」
と言って、出戻りを許してくれたおかげです。

祖母はだいぶ前に亡くなりましたが、彼女が私に与えてくれた
大きな愛にはずっと感謝しています。
自分もそんな大きな愛で、子どもたちが失敗したときも、
責めずに受けとめてあげたい
と思っています。

しかしながら、とにかくそんなふうにして。
私の社会人生活の第一歩は、大きな挫折で始まったのです。


高卒ならではの選択肢の少なさ……あんなに努力した日々は無駄だったの?



高卒で、庭にタヌキが来るほどのド田舎で、
ただでさえ条件のいい仕事が少ない中で、
私が就職先に唯一希望したのは、
「高校で一生懸命に勉強した簿記を活かしたい」
ということでした。

そして、高校の就職相談室で、
先述の歯科医の求人票(受付事務)を見て応募したところ、
「簿記の資格を持ってるなら、ぜひうちに来てほしい」と言ってもらえて、
ものすごく喜びました。
簿記は本当に大好きで、いくら勉強しても苦にならないほどだったので、
先生の勧めで、簿記の県大会(そんなものがあるんですよね!)に出場し、個人戦で入賞して全国大会まで行きました。
就職しても毎日簿記ができるなんて、そのときの私には夢のような話でした。

でも……いざ就職してみると、実態はぜんぜん違いました。
就職してみたら、私がやりたかった仕事には、すでに別の人がついていて
私は求人票に書かれていなかった歯科助手の仕事をさせられました。
仕事中は筆記用具や電卓、パソコンを使うこともなく、
ただひたすら、院長や先輩歯科医のお手伝いをしたり、
タオルや白衣などの洗濯をする毎日です。


「高校で勉強した簿記を活かしたい」
「得意なことを活かして、自分の力で食べて行ける人間になりたい」
という希望は、無惨にも打ち砕かれました。
なんのために3年間も必死で勉強したのか、わからなくなりました……


なにげなく始めた通信講座が、天職への入口だった


歯科医を辞めたあとは、しばらく人間不信になり、外に出るのも怖かったです。

最初は庇ってくれた祖母たちも、退職から一か月もたつと、
「早く次の就職先を決めなさい」
と要求してくるようになり、家にいても針のむしろ状態でした……😖

もちろん自分でもわかっていました。
もう高校まで卒業させてもらったのだし、
このまま無職でいるわけにはいかないことは。

とはいえ、また自分で求人票を見て応募するのは怖かったので、
手始めに当時、叔母が勤めていたゴルフ場でキャディの仕事をしました。

もちろんゴルフなんてやったこともないし、キャディの仕事だってぜんぜんわかりませんでした。
でもお給料は破格に良かったし(当時はまだ景気が良かったので、学歴・年齢関係なく、手取りで30万円以上ありました)
なにより叔母の紹介なので、中年女性だらけの職場でも、
最初からフレンドリーに受け入れてもらえました。

そこで一人暮らしのためのお金を貯め、運転免許も取りました。
そしてキャディを辞めて家を出て、次は本屋や和菓子屋でバイトをしました。
ただ単に「本が好き」「和菓子が好き」という単純な理由で仕事を選びました。
どうせ高卒だし、県内には事務系の就職先自体少ないし、
もう簿記を活かせるような仕事には就けないだろう、とあきらめていました。

そんなとき、「校正実務講座」(通信講座)というものがあることを知り、
受講することにしました。

小さい頃から本を読むのは大好きだったので、
この講座を修了したら、本屋に並ぶ本の校正を仕事にできるんだ、と、
萎えていた心に火をつけられました。

でもやっぱり、世の中そう甘くはないようでした。
取り寄せたパンフレットに、
「専業主婦だった私が、校正の仕事で月3万円稼げるようになりました!」
とあったのです。

ようするにこれは、
「子育て中だけど、できれば在宅で仕事をしたい」
という主婦層(家計の大黒柱は夫)をターゲットにした講座なんだなと思いました。

子育て中で、フルで働くことが難しいお母さんたちにとっては、
月3万円の収入でも家計の足しになるなら、勉強する意味はあるでしょう。

でも、これは逆に言うと、
「(私みたいな)独身の女が、校正の仕事だけで食べていくなんて無理」
ってことですよね……だって、月に3万円しか稼げないんだから。

ちなみに受講料は4万円弱、講座修了のリミットは一年だったと記憶しています。
当時の私にとって4万円は少なくない金額でしたし、
修了しても仕事に結びつくかもわかりません
なので悩みましたが、一か八かやってみることにしました。

「生活費は本業で確保して、校正は副業でやれればいいかな」
そう気楽に考えて、仕事をしながら課題も全部提出し、半年で講座を修了しました。


まさかの展開⁉ 筆記試験なしで校正会社の契約社員に  


ところが、です。
どうも私の人生は、めちゃくちゃ運の悪いこともあれば
思わぬ幸運に恵まれることもあるようで……😅

「校正実務講座」修了後、すぐに受験した東京の校正会社で、
筆記試験もなく面接だけで合格をもらえたんです🎉

面接してくれたのは社長と校正部のやり手部長で、
採用はほとんどお二人の会話だけで決まってしまいました(笑)

社長:「ちょうど新しい部署を立ち上げたばかりで、あと一人人材が欲しかったんだよね。ねえ部長」
部長:「そうですね。この子は通信講座も修了してるそうだし……校正記号とかは理解してるよね?」
私:「あ、はい」
社長:「じゃあ、採用は決まりということで。来週から〇〇市の現場に行ってください」

ってな感じで、あっさり採用と上京(引っ越し)が決まりました💦

いや、世の中そんなにうまくいくわけがない💧
だいたい、お給料はどれくらいなんだろう……
やっぱり3万円?(→擦り込み強すぎ(笑))
月3万円じゃ、とても生きてけないんですが……😖

そう思って聞いてみると、社長はすぐに答えてくれました。
時給制なので、繁忙期と閑散期で多少の差はあるけど、
最低でも月収25万円は保証できるよ、と

おおっ、やったぁ!😆
手取りで25万円もらえれば、上京しても、贅沢さえしなければ
じゅうぶん一人暮らしができる金額です。

これが私の仕事人生の大きな転機になりました。
新卒で失敗した歯科医と並べて考えると、
まさに「捨てる神あれば拾う神あり」です‼

通信講座を修了したものの、校正の実務経験はまったくない、
ただ若さだけが取り柄の高卒女子を拾ってくれた
当時の社長と部長には、本当に感謝しています!😭


まとめ~高卒でも、諦めなければチャンスはある!


その校正会社には、つごう3年ほどお世話になりました。

生活協同組合の広告校正という仕事は、大変でしたが大好きで、人間関係にも恵まれていました。
でもその後、また大きな転機が訪れ、全員の祝福を受けて円満に退職しました。

大きな転機とは、留学です。
会社近くの図書館で見かけた「中国の公費留学制度」に応募して合格し、一年間の語学留学をしたのです。
子どもの頃から「三国志」が好きだったので、中国留学に憧れていましたが、先述の家庭環境などの理由ではなから諦めていました。

合格した公費留学では、授業料や寮費、航空券などすべて無料(両国政府の援助)で留学できるので、私にとってはまさに夢のまた夢が叶った心地でした。
第一次選考の作文試験に合格できたのは、校正会社の同僚に厳しくも的確なアドバイスを受けたおかげです。ここでも私は、心ある素晴らしい人とのご縁に助けられました。

中国留学の後は、香港で会計の仕事に就きました(ここでやっと簿記の資格が活かせました!😭)。

その後、末期がんになった祖母の看病のため、香港の会社を辞めて日本に帰国しました。

祖母を看取ってからは、おもに中国語の校正や翻訳・通訳をしていました。

それから、以下の記事でも紹介したように、結婚・妊娠を機に、在宅業務をメインとする校正会社を受けて合格しました。

そして現在まで約20年間、在宅ワーカーとして校正の仕事をしています。
現在の仕事ではマタハラもなく通勤の必要もないため、子育てとの両立もできました。
でも、上の会社のように、妊娠や子育てに理解のない会社に勤めていたら、子どもは6人どころか、2人目も厳しかったと思います。

さらに↑のように、この会社では「簿記」と「校正」をドッキングしたお仕事も任されました。
今まで勉強してきたことは、すべて無駄じゃなかったんだと、報われた想いでいっぱいでした。
ここでも私の運命を良いほうへ導いてくれたのは、心ある人とのめぐり逢いでした。


終わらない学歴社会。でも本当に大事なのは、学歴以外の長所を見てくれる人との出会い



冒頭でも書きましたが、私は幼い頃に両親を亡くし、母方の親戚の家で育てられました
親戚は田舎の農家で、家族の人数も多く(最も多いときで8人)、けっして裕福ではありませんでした。
なので、勉強は好きでしたが、大学に行くことは最初からあきらめていました。

祖母にも再三言われていましたが、高卒でも自立して食べていける人間になるため、高校は商業科に進みました。
そして、就職に有利になると信じて、簿記やプログラミングの勉強に励み、在学中に日商簿記2級や、全商の情報処理1級、漢字検定2級などを取得しました。

その努力は、最初の就職に失敗して水泡に帰したものと思っていましたが、上の写真でも紹介したように、その後の仕事人生で確実に役に立っています。

ですので、高卒で就職することに決めても、在学中はしっかり勉強しておいたほうがいいと思います。

とくに高校生でも挑戦できる資格は、積極的に取得しておくとよいでしょう。
どんな学歴でも、定年まで40年近く働くわけですから、なんの気なしに取得した資格や知識が、意外なところで役に立ったりします。

私自身の経験を振り返ってみると、高卒でも天職に就けたのは、
自分自身の努力(という名の「あきらめの悪さ」(笑))
もありましたが、それ以上に、
学歴以外の長所を見ようとしてくれた、心ある人との出会い
が本当に大きかったです。

最初の就職に失敗して、人間不信にまで陥った私を、
拾ってくれ、救ってくれた方々に、仕事を通して少しでも恩返しをしたい。
その一心で今日まで働いてきました。

学歴は大事ですが、でも、それがすべてじゃない。
もっと大事なことは、自分の「スキ」を見失わないこと。

たとえ否定されても、バカにされても、
自分の「スキ」は何かを考え、それを宝物として持ち続けること。
そうしていれば、その宝物がやがて、あなたを心から応援してくれる人々を引き寄せ、良い方向に導いてくれるかもしれません✨

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あなたの未来が「スキ」と幸福で満ちていますように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?