見出し画像

私のぽんこつ働き者時代「どん兵衛のうどん」

いちばん長く経験した仕事が劇場でのマネジメント業務。案内係のバイト募集の求人を姉が見つけ、
「アユ、こんなん向いてそう!」と勧めてくれた。
この導きは直感でピーンと来たのか、めずらしくすぐにヤル気になって履歴書を送ったのがはじまり✊
オペラ、オーケストラ、ミュージカルなどの専門知識も知らない中、接客したさで飛び込んだ。

クラシックはキライじゃなかった。
父はよく家でクラシックをレコードで聴いていたし、私は子どもの頃ドラムとピアノをほんの少しだけかじった。そして何より、聴いていた音楽によって当時の情景を思い出すほど、私の人生にはBGMとしていつも音楽があった。だから、耳には勿論、心にも身体にも心地よい職場だった。

アルバイトスタッフをしばらく続けたのち、統括責任者の役割を担う社員になった。私は仕事か睡眠か、というくらいどっぷりと仕事漬けの日々だった。1日の大半を仕事に、自宅に帰るのは睡眠の為、という生活を長いこと続けた。
それでも仕事が楽しくて全然苦じゃなかった😌

実家に住んでいたから、ご飯は母にお弁当を持たせてもらってた。でも朝から晩まで職場にいると必ずコンビニで何か買い足さなくては空腹で倒れてしまう。当時の私の身体は、母の手料理、楽屋食堂、コンビニ、そしてカルピスで出来ていた😅

朝、出勤してお昼前に母のお弁当🍱を平らげ、コンサートを1つ担当する。夕方から、コンサート以外の管理業務に取り掛かる為、コンビニに行っておにぎりやパスタやサラダを食べて腹ごしらえをする。

ある日、技術スタッフと話をしていたら、食材の話になった。「マックスバリュで買った」みたいなことを話していたけど、私は“マックスバリュ”の意味が分からず。。

😃「マックスバリュって何ですか??」

🧒「マックスバリュみたいな庶民的なもの 
  知らないの?スーパーだよ!」

ちーーーん…😱

😃(心の声)「ヤバ😧 なんか有名っぽい😱😱
      料理できないのがバレてしまふ。😱」

当時、料理したことなんて無くて、スーパーで買い物もほぼしたこと無かった。子どもの頃、母に連れられて行っていたのはダイエーさんかコープさん(←生協のことを関西ではコープさんと言う)だけ。
商品に触れたことも無かった。

それからすぐに「〇〇(←私の名字)はマックスバリュを知らないらしい」という話になった😓
でも「成城石井やピーコックでしか買わないらしい」とか「庶民が利用するスーパーなんて行かないらしい」とか、ちょっと違う方向に話が膨らんでいるようで私の心配しているような広まり方はしなかった😅  セーーフ😮‍💨🌀(←セーフじゃない笑)

ある日の夕方、同僚が食べてるカップ麺に惹かれた。なんだかすごーくいい匂いがする👀✨
私はそれまでカップ麺とやらを食べたことがなかった。後になって母に確認すると、カップ麺は無かったけど、たまに袋麺は野菜を足した状態で食卓に並んでいたらしい。
母よ、素晴らしいーー。

私はその日初めてどん兵衛のきつねうどん🍜を買ってみた😆どきどきする😆
張り切ってフタを開けると袋が何個かお目見え。
予想外のことに頭がフリーズ😃
「へ? なにこれ😱 袋がいっぱい😓」
 (↑お湯を注いでいる姿だけは見てた🧐)

開けたフタを押さえ、作り方を読んでいたら
女の上司に怪訝そうな顔で

上司:「なんしてん😒」
      (↑大阪弁で‘何してるの?’の意。)
私:「作り方読んでますー。😳」

眉間にシワを寄せ、呆れて口が縦に開いていた。
うどんごと取り上げられ、何も見ずに具材の袋を
さばいた後、再度カップを差し出され、

「ん。お湯!!😤」と促された。

こんな優しい上司だった٩( ᐛ )و♡
私は本当に恵まれていたと思う🙄 うん絶対に。

それからというもの、味をしめた私は、冬の寒い日にはどん兵衛を頂くことにした🍜♥ 手足がポカポカしてきて眠たーくなる。(←ダメじゃないか)
それからコンビニの「お湯入れるだけのコーナー」を研究🍜✨春雨ヌードルやあさりの味噌汁とかにも挑戦してみた😏なかなか美味しかった。(←生意気)
こんな食生活を10年続けた。
お料理に目覚めるのはこの仕事を辞めたあと。
そのお話はまた次回😚

Ayumi☽




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?