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何者かになるということ

働きたくない。
就活を意識しはじめた頃から、漠然と、それでいていやにはっきりとそんな思いがある。

社会人はみんなすごい。一度でも社会に出ようとしただけで、私にとっては国民栄誉賞並みにすごいことだ。

すごいけれど、私もあの中の一部になるという未来が到底想像できない。

先日、マイ◯ビとやらのオンラインセミナーとやらを受ける機会があった。
当たり前のように語られる「インターン」「企業研究」「自己PR」。正直ついていけなかった。内容についていけなかったわけではなく、社会人として働くという将来を当然のように受け入れている、そんな周りの意識についていけなかった。

なんというか、就活関連の話を聞いたり準備を進めたりすればするほど、向いてないなあと感じてしまう自分がいる。まだこれといって何もしていないうちだから前向きになれないのは当然だろうけれど、それ以上に私自身を苛むものがあるような気がするのだ。


5つの頃にはもう、将来の夢が絵本作家だと豪語していたことを覚えている。幼稚園では外で遊ぶ時間よりも圧倒的に絵本を書いている時間が長かったし、家に帰ってからも紙やパソコンに向かって常に何かを書き続けていた。小説じみた怪文書に手をつけ始めたのもその頃だった。

絵本から小説や漫画に媒体を変えながらも、高校に入るまで創作だけはやめなかった。最終的な将来の夢は、ざっくりと作家だったはずだ。高校時代は単純に時間がなくて全く書く時間がとれなかったけれど、今もこうして物書きを再開している。


たぶん、私はあの頃の自分を裏切ってしまうのがこわい。そして過去の自分に囚われたままでいる。

創作から一度離れたのに戻ってきたのは、私にはこれしかないということをどこかで確かめたかったんだと思う。今まで友達以外の誰にも自分の作品を発表したことがなかった私がここに来たのは、過去の自分を信じ続けていたかったからだ。

今まで世間的に「正しい」とされる「普通」の道を真っすぐ、一歩も踏み外さずに歩んできた。それが幸せなことだということは自覚している。けれどその一方で、大人になって現実を知れば知るほど、私が何者でもない人間だと実感させられていく。

このまま私は「正しい」と「普通」に埋もれて生きていくのだろうか。


私は働きたくないわけじゃない。何者にもなれないのが嫌なんだ。

いや、何者でもない人間なんていない。誰もが誰かにとって意味のある存在だし、その人なりの考えややり方がある。社会人がみんな埋もれている存在だと言いたいわけではないし、決してそうは思わない。
ただそういう話ではなく、私に関しては、みんなと足並み揃えて進んでいく道では何者にもなれないような気がしてしまうのだ。

普通の社会人として普通に働く中でも得られるものはあるだろうし、おそらく悪い人生には転ばないと思う。ただ、これがかつての私のなりたかった姿なのか?と自分に問うてしまう瞬間が少なからずありそうで、それが苦しい。

夢を諦めたくない、というよりは、純粋に夢を抱いていた頃の自分を見捨てたくないという気持ちの方が強い。物書きになるという夢が今現在の私の夢なのか、私の中にいる過去の私が持ち続けている夢にすぎないのか、それすらもわからない。
今の私にわかるのは、たったこれだけのことだ。


これから絶賛モラトリアム記事を出していくことになると思うけれど、これも私のリアルタイム就活体験記ということで未来の私のために残しておきたい。

就活はまだ始まったばかり。そして、私が最終的にどんな道を選びとるのかもまだわからない。なんだかんだ言いながら普通に働いているのかもしれない。

未来の私は、どんな表情で、どんな思いを抱きながらこの記事を読むんだろう。



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