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やっぱりアナログがいい。

4月に新しいスケジュール帳を買った。
去年はスマホのスケジュール帳だけで管理していたのだけれど、やっぱり紙が恋しくて戻ってきてしまったのだ。

一昨年使っていたのは、確か百均で買ったハリネズミの可愛いスケジュール帳。
今年はもう少し利便性が欲しくて、目当ての月をめくりやすくてメモもついているものを選んだ。月ごとにメモがついているタイプではなく、カレンダーが一通り一年終わってから最後にまとめてメモのページがあるタイプにしたのがこだわりポイント。

その月のカレンダーの次の見開きにメモがあるタイプもいいけれど、私はその月の出来事とはあまり関係ない雑多なメモをしがちだ。つまりは普段使いのメモ帳とスケジュール帳を兼ねたものが欲しかったということ。


今はスマホの無料アプリでお手軽にスケジュール管理もメモもできるけれど、それでも私はアナログから離れられない。

昔から、紙に書くことへのこだわりは強かったような気がする。

小学校に上がる前からパソコンを使いこなしていた割に、私は中学生になっても自作の小説を紙のノートに書き連ねていた。物心つく前から紙にものを書く(描く)という行為が身体に染みついていて、そうしているのが一番心地よかったのだ。

さらに私は筋金入りのノートコレクターだった。授業用のノートは持て余すほどあるというのに、気に入ったデザインのノートを見つけると思わず買ってしまう。そして新しく手に入れたノートに新たな物語を綴りはじめる。
おかげで最初のページばかり埋まった空白だらけの可愛いノートで、私の机は溢れかえってしまった。

ある時期は縦書きのノートにはまっていた。けれど縦書き罫線のノートは意外にも店頭に並んでいなくて(意外でもないかもしれない)、近所のイオンの文具屋さんのあのコーナーにあるあのノート、と相当限定された場所でしか手に入れられなかった。

ある時期は縦書きかつ手のひらサイズのちっちゃなノートブームもあった。筆箱にも入ってしまいそうな小ささのノートに、豆粒みたいな小さな文字で物語を書く。この小ささはいい感じに授業中の内職がやりやすくて、しかも友達同士で回し読みされるときもこっそり回しやすいから重宝していた。

大学生になっても、文具屋さんに来るとテンションが上がってしまう。もちろん吸い込まれるのはノートコーナー。みんながルーズリーフやiPadで授業ノートをとる中、私はいつまで経ってもノートに板書をとることがやめられない。
オンライン授業になっても同じで、パソコンを開きその傍らでノートも開く。その場でWordを開いてメモする方が絶対効率がいいのに、やっぱりやめられない。

創作歴は長いくせにnoteを始めるのが今になってしまったのも、おそらくこのアナログ中毒のせいだろう。


デジタル化で便利になっていく世の中だけれど、紙媒体はいつまでも消えないでほしい。

小説なんかの本も同じ。本屋さんで偶然の出会いを果たして、本棚に並ぶ姿をうっとりと眺めて、たまに一冊選んでお出かけのお供にする。
電子書籍派からしてみるとかさばるし不便じゃないか、と言われそうだけれど、このかさばり具合こそが本への愛着を増してくれる。
言葉の物理的な重みを感じることができるのは、紙の本の醍醐味だ。

だからもちろん、スケジュール帳も紙にこだわってしまうのだった。なんというか、デジタルにはない「手元にある感覚」がすき。ぱらぱらとページをめくって目当てのページを探し出したり、わざわざ手書きでメモをとったりする手間に限っては、私にとってなくてはならないものだと思う。

これから就活やらレポートやら発表やらに追われる時期がやってくる。この一年間は、雨の日も風の日も雪の日もこの子と一緒に、あらゆる出来事を乗り越えていきたい。ちょっとした愛しい手間とともに。



ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。