かもめ食堂に行きたくて
ああ、ついに観てしまったよ、『かもめ食堂』。
久しぶりに一人でお留守番の休日、用事も済ませたことだしと腰を落ち着けたとき、ふと観たくなったのがこの映画だった。群ようこ原作のフィンランドのお話、ということしか私は知らなかったのだけれど。
この先一生日本を出るつもりのない私が唯一行ってみたい国が、フィンランドだ。町並みや人々の暮らしぶりをはじめ、マリメッコのような北欧デザインの独特のかわいいアイテムもビシバシ好みに刺さる。国民生活そのものにも憧れるから、行ってみたいというよりは、生まれ変わったらフィンランド人になりたい、の方が正しいかもしれない。
かもめ食堂は昔、地上波放送されたときの録画を母が大事そうに観ていたことを覚えている。当時の私はまだ子供で、この映画の何かが起こるようで起こらないような時間の流れがいまいち理解できなくて、内容もほとんど記憶になかった。このゆったりとした物語の進行こそが北欧の良さなのだろうと、今ならわかる。
サブスクを開いて、いざフィンランドの旅路へ。観ているうちに、なぜだか“懐かしい”という気持ちに襲われた。ここは確かに異国の地フィンランドのはずなのに、一度も足を踏み入れたことのない場所なのに、どうしてなのだろう。かもめ食堂で提供される和食のせいだろうか。紆余曲折を経て集まった3人の日本人女性たちからだろうか。
いや、そうじゃない。画面上に流れるどこかとぼけた空気、人々の緩やかかつ強かな気質、食を味わうことの喜び。これはきっと、私たち日本人の中にもあるはずのものなのだ。日本とフィンランドは、どこか似ている。そんなこと言ったら人類みんな似ているようなものだけれど、フィンランドと日本は特に通じるものがある、気がする。
そこが日本であろうとも、フィンランドであろうとも、食べること、そして食を通して出会うことの尊さは変わらない。フィンランドで受け入れられてゆく日本食の鮮やかな彩りが、サチエさんたちが気まぐれで焼くシナモンロールが、おにぎりが、妙に心に残って仕方なくなる。
このままずっとかもめ食堂の世界にいたい、そう願った頃にはもう、エンドロールが始まっていた。ああ、それでもかもめ食堂は今もきっと、いろんな人たちと出会いながら営業を続けているはずだ。そう思わせてくれる凪のような説得力が、この映画にはあった。
原作のある映画を観るのは、いつもなんとなく気が引ける。映画そのものを観ることには抵抗がない、けれど、原作至上主義の私としては少しばかり勇気がいるのだ。
だけどかもめ食堂に関しては改めて、原作を読みたい、と思った。この物語が映像ではなく、文字であったらどうなるのだろう。きっと映画には盛り込めなかったエピソードや背景もあるはずだ。なぜだかかもめ食堂では、映画と原作のギャップによる失望を味わわずに済むような気がする。むしろ様々な媒体を通して、ヘルシンキの街角に佇む日本食のお店のことを、もっと知りたいと思える。
他の二人が言う通り、いつ聞いてもサチエさんの「いらっしゃい!」が素敵だった。無性に耳に残る「いらっしゃい」を、私も生で聞いてみたい。物語上のお店だと思いたくないくらい、心地のいい作品だった。
ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。