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"自由"という名の"不自由"〜選択肢が効果を発揮するときとそうで無いときとは〜

選択肢が多いと人生を好きに生きられる?

先日の記事で、
人生を好きに生きるために必要なのは選択肢を持っていること、
というような内容で書いた一文があったように記憶していますが、選択肢がある時点で結局不自由なんじゃ無いかとも思ってしまいました。

こんな感じで頭の中で思い描く言葉の定義や言い回しは、ごちゃごちゃと変化します。

そんなこんなで、「自由」と「不自由」に対して描いている何となくの印象についてあえて突っ込んでいきたいと思います。

私の中で自由というのは、
選択肢の数が多いこと・・・
というのは背景の話で、
自分がこうしたいと思った時に準備されている背景としての選択肢です。

どういうことかというと、
選択肢が多いこと自体が自由に繋がるわけではないという事です。

選択肢が多いことが良いこととは限らない

ジャムの法則というのをご存じでしょうか。
人間は選択肢が多いほど、選べなくなってしまうという心理現象のことです。
こう考えると選択肢が多くあることばかりがイイことではないようですね。

要は選択肢というものをどのようにとらえるかが重要になってきそうです。
どういうことかというと・・・

例えば、
このジャムが欲しい‼‼と思って買い物に行ったときに、お目当てのジャムがあれば、それはそれで嬉しいですよね。

よりジャムがたくさん売っているお店ほど、
そのようなシチュエーションに出会える確率が高くなります。

でも、特に何となくジャムが欲しいと思って行った時に、目の前に100種類のジャムがあったらどうでしょう。
どれを買って良いかわからなくなりそうですよね。しかも悩む時間も長くかかる場合だってあるわけです。

選択肢がその効果を発揮する時というのは、その人の主体性に左右されます。
主体性が高い人にとっては、選択肢の量に対して自由度は比例しますが、
主体性が低い人にとって選択肢の量に対して自由度は反比例します。

自分が興味を持っていることに関しては、
出来るだけ精度を高めるために多くの選択肢があった方がいいでしょうが、
人生にとってそれほど重要で無いことに関しては、少ない選択肢の方が良いかもしれませんね^ ^

今回は『"自由"という名の"不自由"〜選択肢が効果を発揮するときとそうで無いときとは〜』について書かせていただきました^ ^

また、あしたね🌙✨

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