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人口減少社会の未来学(読書感想)


書籍の情報

人口減少社会の未来学
内田樹 編
2018年4月30日第1刷発行
文藝春秋

書籍の目次と著者

・序論 文明的スケールの問題を前にした未来予測 内田樹
・ホモ・サピエンス史から考える人口動態と種の生存戦略 池田清彦
・頭脳資本主義の到来ーーーAI時代における少子化よりも深刻な問題 井上智洋
・日本の”人口減少”の実相と、その先の希望ーーーシンプルな統計数字により、「空気」の支配を脱する 藻谷浩介
・人口減少がもたらすモラル大転換の時代 平川克美
・縮小社会は楽しくなんかない ブレイディみかこ
・武士よさらばーーーあったかくてぐちゃぐちゃに、街をイジル 隈研吾
・若い女性に好まれない自治体は滅びるーーー「文化による社会包摂」のすすめ 平田オリザ
・都市と地方をかきまぜ、「関係人口」を創出する 高橋博之
・少子化をめぐる世論の背景にある「経営者目線」 小田嶋隆
・「斜陽の日本」の賢い安全保障のビジョン 姜尚中

感想

それぞれの著者の主張がコンパクトにまとまっていて、読みやすいと感じました。
以前の私は人口減少をネガティブに捉えていましたが、今ではフラットに考えを改めました。
幕末には日本の人口は3千万人でしたが、当時の人々は人口が少ないと悲観していたでしょうか?
人口の変動は社会変容の結果です。
人口減少については対策ではなく、対応を考えるべきだと思います。
気になる著者がいれば、本書を手に取ってみてください。

印象に残った箇所の引用

内田樹
26ページ
自分の手で敗戦処理ができるだけの余力がある間は(責任を問われるから)何もしない。ひたすら天変地異的な破局が天から降ってくるまで(あるいは「神風」が吹いて、指導部の無為無策にかかわらず、皇軍勝利が天から降ってくるまで)手をつかねて待つ。この病的な心理機制は先の敗戦の時に固有なものではありません。今もそのままです。手つかずのまま日本社会に残っている。現に、今もわが国の指導層の人々は人口減がどういう「最悪の事態」をもたらすのか、その被害を最小化するためには、今ここで何を始めれば良いのかについては何も考えていません。悲観的な未来について考えると、思考が停止するからです。自分がそうだという事はわかっているのです。それは無根拠に多幸症的な妄想にふけっている方が「まだマシ」だと判断している。
銀行経営者たちは、不良債権のリスクを知りながら、自分の在任中にそれが事件化して責任を問われることを嫌って、問題を先送りし、満額の退職金をもらって逃げ出し、銀行が破綻するまで問題を放置した。彼らは早めに失敗を認めて、被害を最小化することよりも、失敗を認めず、被害が破局的になる方が「自己利益を確保する上では有利」だと判断したのです。
どんな世の中にも、そういう利己的な人間は一定数存在します。これをゼロにすることはできません。けれども「そういう人間」ばかりが統治機関の要路を占めるというシステムは明らかに病んでいます。その意味で現代日本社会は深く病んでいます。

藻谷浩介
109ページ
東京で起きている急速な人口増加も、実はもっぱら「高齢者の増加」なのである。「空気」の世界では、「人口増加」と言えば、当然に「現役世代の増加」であり「納税者の増加」なのだが、実際に各都道府県で増減している人口年代別に分解すれば、図2の通りだ。
図の示すように、2010年→ 2015年に東京都で約36万人増えた人口のうち、3人に2人にあたる23万人は、75歳以上の増加である。残り3人に1人は65~74歳の増加であり、64歳以下の人口は3万人減っている。「東京一極集中は加速している」と述べる政治家、学者、経済人、マスコミ関係者、ブロガーの中に、この単純な事実を確認している人は何人いるのだろうか。加速は加速でも、これでは「後期高齢者の東京一極集中」の加速ではないか。
東京は過去半世紀で進んだ自らの著しい少子化を、地方から人口を奪ってくることでは、もはやまかなえなくなっているということだ。
自ら子どもを減らし、その分を他地域から奪ってくることで補ってきた東京都のような都会は、地方で子どもが減るのに連動して、自らも現役世代を減らしていかざるを得ない。出生率の著しく低い東京都(地方で言えば、札幌市や福岡市)に若者を集中させればさせるほど、彼らが残す次世代の数も減り、ますます日本全体の人口減少が加速する。「東京ブラックホール」論とも言われるこの見方は、センセーショナルにも聞こえるだろうが全くの事実である。

平川克美
147ページ
お金は、面倒な手続きや、付き合いや、おべっかを使うことなく、誰もが自由に生きていくことができるためのマジックツールなのである。人々は、それによって旧来の、しがらみの世界から自由になったとは言えるだろう。それは単に、しがらみから自由になることだけではなく、あらゆる人間関係の変更、モラルの変更を意味していた。団塊世代ならば共有していただろう、貧者の意地や、金に執着するのは下卑たことだという価値観は、バブルの多幸感の中で吹き飛んだ。誰もが金銭的成功を望み、所有財産が人間の価値基準であるような幻想を受け入れたのである。この幻想は、家族関係に重大な変化をもたらすことになっていった。お金は、人間関係の基礎を支えていた、地縁、血縁といった縁故というものの束縛を受けずに、人が社会で生きていけるための道具だったからである。お金があれば、人が、他者とつながっていなくとも、自立していくことは可能な時代になることが、社会的発展ということだった。そして、家族が解体しようが、村八分にあおうが、お金さえあれば、生きていける世の中にはなったのだ。

平田オリザ
209ページ
子育て中のお母さんが、子供を保育所に預けて、劇場に芝居を見に行くと、後ろ指を刺される社会と、生活保護世帯が劇場に来ると、後ろ指を刺される社会は、深いところでその排除の理論はつながっていると私は思う。

人口減少社会の未来学


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