『奴隷会計』と『キルスコア』 ダークサイドを知るための書籍紹介
最近読んでよかった本を2冊紹介します。
奴隷会計: 支配とマネジメント
ケイトリン・ローゼンタール(みすず書房)
なかなか強烈で、普段なら忌避してしまうようなタイトルが図書館で目にとまって読んだ一冊。
人材にできる限り長く、生産性高く働いてもらうための”科学的な”マネジメント手法が、実はアメリカ奴隷制時代のプランテーションでかなり発達していったものだった。当時の会計帳簿を見ていくと、人間(奴隷)を資本としてカウントし、増減(つまり出産と死亡)を記録し、減価償却の概念も適用していたことがわかっていく・・・という、現在の倫理観で見ると虫唾が走るような話(読んでいて結構しんどかった。)
奴隷制は終わっても、そのノウハウはフレデリック・テイラーで有名な「科学的管理法」に引き継がれていき、経営学・マネジメント理論の基礎に受け継がれていった。ということは、現代の僕らもその延長線上にあるノウハウをありがたがって学んでいるということになる。
ビジネスで使う「戦略理論」が戦争に端を発している事実と同じ様に、僕らが目を背けてはいけないバックストーリーであると僕は感じた。
最近よく目にする「人的資本経営」を否定するつもりはないのだけれど、企業が人を資本とみなして(たとえ善意からでも)管理したり、育成投資したりすることへの違和感を僕はどうしても拭えない。
少なくとも、人が人を資本とみなして管理することの裏にある悍ましい歴史を知った上で、企業や組織のあり方を考えるべきだと僕は思う。
ザ・キルスコア:資本主義とサステナビリティーのジレンマ
ヤコブ・トーメ(日経ナショナルジオグラフィック)
僕らがこのままの暮らしを続けていくと、気候変動や環境悪化を引き起こすことは知っている。それによって生活ができなくなったり、命を落とす人がいることも知っている(今も、熱波で人が死んでいる。)
では、そうした「ライフスタイルによる死」は一体どれくらいの大きさなのか。僕らは僕らの選択によっていったい何人くらいを死なせてしまうのか。それをキルスコアとして算出する一冊。
結論から言うと、先進国で平均的な生活をする僕らは、その一生のライフスタイルを通じて、約1人の人間を死なせることになる。というのがこの本では示されている。もちろん、すべてが個人でコントロールできる選択の責任とは言えず、生まれた国の政策やエネルギーバランスなどによって半分くらいは決まってしまう。
同じようなことは喫煙や飲酒、長時間労働などにも言えて、僕らは毎日の選択によって自分の将来の命を少しずつ削っている。今のライフスタイルと自分や他者の生命を天秤にかけている、ということは(意識しないけれど)僕らが当たり前に行っていることだ。
そんなキルスコアを知った上で、まだそのライフスタイルを続けますか?という強烈な問いを読者に投げかけつつも、絶対主義・完璧主義に陥ることも気をつけようとこの本は伝えてくる。生活のすべてをいきなり変えることはできない。けれど、キルスコアを減らすためにできる小さな種はたくさんある。個人のプライベートな消費選択にも比較的簡単にできることがあるし、投票行動など国の政策に影響をあたえる行動はさらに効率が良い。
僕が最近テーマにしている”サステナブルな社会への移行”には、「希望やインセンティブを語るアプローチ」「罪悪感や倫理観に訴えるアプローチ」と色々あるけれど、この本は「僕らが背負っている数字」を冷静に、真正面から訴えてくる。
著者のヤコブ・トーメ氏は1989年ドイツ生まれで僕と同い年。とても刺激を受けた一冊でした。
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