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【エッセイ】鳥かごと赤い薔薇

☆横浜・元町&鎌倉を舞台に、鳥かごをめぐるある夏の出来事。スズメのヒナと小学生の女の子の心の成長、出会いと別れの物語。3600文字。※スズメの写真は実際に私が記録用に撮ったものです。



鳥かごと赤い薔薇


【鳥かご、差し上げます!】
『スズメの雛を保護した3日間だけ使用し、保管していた大変きれいな鳥かごです。近くまで取りに来てくれる方、ご連絡ください。』

 年の暮れ、毎年恒例のやっつけ仕事の大掃除に取りかかった。新居に引っ越してから1年が経ったというのに、未だに処分できていない不用品を、今度こそと一大決心をして臨む断捨離だ。鎌倉に越して来た前後は、部屋のリフォームの細かな確認作業と複数の仕事の締め切りが重なり、倒れそうなほど忙しかったのだ。引越し屋のお任せパックで作業を頼み、不用品もとりあえず段ボールにまとめて運んで、押し入れに突っ込んだ。新居での生活が始まるとすぐに、私はある本の制作に取り掛かり、そしてまた、(過去8回の引越しの度に繰り返したことだけれど)片付け作業は止まったまま放置されることとなったのだった。よくぞと思うような年代物が発掘されては感心し、懐かしがってはひっくり返して眺めたり、作業は遅々として進まない。さらに、押入れの天袋の奥を探ると、パステル系の色合いの段ボール箱の中から真新しい鳥かごが一つ出てきた。それは、スズメのヒナのために3日間だけ使用した小さな鳥かごだった。

 市のリサイクル掲示板の「あげます」コーナーに鳥かごを登録してから、4カ月が過ぎた春の日のことだった。誰からも問い合わせなく、諦めてそろそろ捨てようかと思い始めた矢先に突然舞い込んだ一本の留守番電話メッセージーー。明るく、礼儀正しく、感じの良い女性の声だった。

「はじめまして、リユース掲示板で鳥かごの件を見て、茉莉花さんの連絡先を教えてもらいました。あの鳥かごは、まだいただけますでしょうか? 市内○○に住んでいるYと申します。またお電話します」 

 こうして、海の近くに住んでいるというYさんと私は我が家の最寄りバス停で落合い、鳥かごの受け渡しをすることとなったのだった。


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 5年前、夏休みのある日の夕方、私は娘と二人、自宅からすぐの元町商店街の入り口にあるスターバックスコーヒーでテラス席に座っていた。大きな犬連れの女性、青い目の親子や品の良い老婦人。いつものように店内と道行く人々の姿を眺めつつ、少しだけのんびりとした夏休み気分を抱きながら、娘とのお喋りを楽しんでいた。すると、チィッ、チィッという短く鋭い鳴き声が微かに、どこからともなく聴こえてくる。二人して周囲をきょろきょろと見回してみるが、その姿は見えない。娘が席を立ち、鳴き声をたどって足元をくまなく探して歩く。

「ママ、来て!スズメのヒナだよ!」

 近寄って見ると、隣の店舗の壁際でスズメのヒナが一羽、なんとも無防備な姿で鳴いている。巣から落ちてしまったのだろうか? ひとしきり二人で驚いたのち、通りの向かい側の街路樹の上をせわしなく行ったり来たりしながら、懸命に鳴いている親鳥の存在に気づいた。ヒナはまだ上手に飛び上がれないのだ。親鳥もなす術も無く、互いにそれぞれの場所から呼びかけ合うように鳴いている。このまま夜になれば、車に轢かれたり、あるいは猫に狙われるかもしれないーー。私達は考えを巡らせたのちに、結局、娘の両手のひらにヒナを乗せて我が家へ連れて帰ることにしたのだった。

 その晩はにわかに忙しかった。仕事から帰宅した夫はすぐさまホームセンターへと飛んで行って、鳥かごを一つ、ヒナにあたえる餌を一袋買って戻ってきた。私たちは保護したスズメのヒナの世話の仕方を一通りネットで調べた。そして、親スズメは巣から落ちたヒナを探しにやってくる習性があるということ、毎日同じ場所、同じ時間帯に連れていけば親鳥と会える可能性が高いことなどを知ったのだった。

 娘はヒナに「ピータン」という名前をつけ、エサを与え、観察日記をつけた。愛らしい小さなピータンは人を怖がりもせず、手に乗せてスプーンで練り餌を与えるとよく食べた。うとうとしてくるとそのまま、きゅーっと寝てしまう。私がパソコンに向かって仕事をしていると、その脇に置いたタオルの上に乗って寝てしまうこともあった。たった3日間でもヒナの成長は目覚ましく、鳥かごから出してやるとリビングの中を果敢に羽ばたく。その度に、飛距離はぐんぐんと伸びていった。

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 3日目の夕方。私と娘は二人、娘が幼稚園時代に使っていた紺色の帽子の中にピータンを入れて、その上からタオルを被せ、あのスタバへと向かった。幸い、比較的空いている時間帯だ。私達はピータンを発見したときと同じテラス席に陣取り、コーヒーを飲みながら気長に待つこと30分。顔なじみの店員が心配そうに覗きにやってきて、娘と帽子の中のピータンに声をかける。

「やはり来ないのだろうか…」

 そう思い始めたその矢先、ついに親鳥らしき一羽のスズメがパッと現れた。 親スズメは頻繁にこちらへ向かって飛んできては戻ってを繰り返し、ヒナに呼びかけるように大きな声で叫んでいる。帽子の中でピータンも応答するが、一向に飛び立たとうとしない。

「がんばれ、ピータン!飛べ!」

 テーブルから少し離れた地面に帽子を置き、娘と二人、手に汗にぎりながらピータンの様子を見守る。ピータンはチィッ、チィッと応答するが、一向に飛ぼうとしない。やはりダメか?まだ長い距離を飛べないのだろうか? 娘がテーブルから身を乗り出して帽子に向かって言う。

「ピータン!ジャンプ!飛べ!」

 1時間ほど経っただろうか。商店街の街灯がオレンジ色に灯り始め、石畳の通りはすっかり人通り少なくなってしまった。薄暗い中、姿の見えない親子の掛け合いだけが、寂しく断続的に聞こえている。今日はもう飛べないだろうーー私たちは再び、幼稚園帽子の中のピータンを抱えて帰宅することになった。

 4日目の朝。その日は土曜日だった。娘は鳥かごの中のピータンに名残惜しそうに声をかけてから、学習塾へと出かけて行った。そして、今度は夫が帽子の中のヒナを抱えて元町へと出かけていった。

 別れはあっけない物だった。夫が例の街路樹の下へ行くと、ヒナの声を聞きつけた親鳥がすぐさま現れたという。親鳥の呼びかけを聞くと、ピータンは帽子から親鳥の元へ、さっと飛び立って行った。ほんの一瞬の出来事だったそうだ。

 塾から帰宅し、からっぽになった鳥かごを見て声を出さずに泣く娘に、夫が話して聞かせる。でも、お母さんのところへ戻れてよかったよね、ピータン。今頃、山下公園やアメリカ山、近くを飛び回ってるよね……。自分自身を諭すように言う娘の頭を撫でるうちに、私の瞳にもじんわりと涙が滲んだ。こうしてピータンはほんのちっちゃな思い出と鳥かごを残して、あっという間に私達の元から飛び立って行った。

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「茉莉花さん!」​

 待ち合わせの時刻、18時を少し過ぎた。バスから降りて手を振りながら駆け寄ったYさんは、電話の声から想像したとおり、素敵な女性だった。私より一回りほど若い彼女は、スラリとした長身にジーンズのカジュアルな出で立ち、そして赤いバラの入った小さなブーケを手にしていた。

 道路の向かい側のバス停に移動してYさんの帰りのバスを待つ短い時間、私はピータンの物語を彼女に話して聞かせた。Yさんはスマホを繰りながら二羽のインコの写真を見せ、彼女とインコの話をしてくれた。実は今のインコの鳥かごはピータンの鳥かごと全く同じものであること。お散歩用にもう一つ、同じ鳥かごを買おうかと考えていたときに、わたしの掲示板の書き込みを見つけたこと――。 10分にも満たない時間で、私たちはとてもたくさんのことを話したような気がする。そして、お礼にと私に差し出した赤いバラの入った花束は、Yさんが庭の花を切って自分でまとめたものだという。彼女がバスに乗るのを見届けてから、私はブーケを抱えて家路についた。

 自宅に戻って小さめの花瓶を選び、水を入れてブーケを挿した。ダイニングテーブルの左端に置いてみる。開け放ったリビングの窓から、湿気と潮を含んだ風と一緒に、ウグイスののど自慢、雀たちの元気なお囃子の音が流れ込む。

「うん、なかなか良いじゃない?」 

ひとりごち、ご満悦でキッチンへ向かおうとしたその時、テーブルの上のスマホが震えて一本のショートメッセージを受信した。送り主はYさんだ。

「ピータンの鳥かごと素敵なお話をありがとうございました。大切に使います。また鎌倉の町のどこかでお会いできたら嬉しいです」 

 私は花瓶に挿した花をちらりと見やって、思わず口元を緩める。吹き込んだ風に乗って、赤いバラがひときわ強く香った。


「鳥かごと赤いバラ」茉莉花/文・写真 (2018年)

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