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女の子をめぐる、ぬいぐるみの奇跡

無名のぬいぐるみが奇跡を起こした実話をご紹介します。うすうす全人類が感じている通り、奇跡は誰の人生にも起きているんですね!!

奇跡の実話を集めて全米で大ヒットさせた男

19年前にラジオで紹介された奇跡がアメリカでベストセラーになった。

アメリカを代表する人気作家ポール・オースターの本『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』である。

(※オースターはあの村上春樹氏が影響を受けたすごーーい作家)

オースターは全米のラジオで、リスナーから本当に起きた物語みたいな出来事を募集して朗読!このラジオが大ヒットし2001年に本として出版!日本では2005年に新潮社から和訳が出版された。

私はラジオパーソナリティ画家と名乗り、金沢でラジオDJをしながらアート活動をしているので、ラジオがアメリカ市民を動かしたことに個人的にものすごく感動してしまった。

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』には、外国映画で見たことがあるような魅惑的な偶然がいっぱい。

例えば、人生の選択に迫られた時に必ず転がるタイヤが見えた男性の話。おばあちゃんの食器セットを引っ越す時に無くしてずっと後悔していたけれど、大人になってからリサイクル市で再会した女性の話などなど。

あなたの人生にもないだろうか?

ドラマティックすぎる偶然がやまもり!!

「お母さんの名前が同じだった」「ここにいる全員がB型だった」みたいな小さな偶然から、「北海道行きの飛行機が遅れた時にたまたま松山千春が乗っていて歌ってくれた」みたいな大きな偶然まで、色々あるのが人生である。そういう体験談をラジオで募集して全米で盛り上がったそうだ。

この本を読んで、運命やご縁が確かに存在することを更に信じるようになった。

で、私のナショナルストーリー(奇跡の実話)がぬいぐるみのお話である。

おばあちゃんが買ってくれたぬいぐるみ

おばあちゃんが買ってくれたぬいぐるみが奇跡をくれた。きっと天国のおばあちゃんの力も働いたのだろう。

桃太郎が生まれる瞬間みたいなぬいぐるみの「もも太」が、だって涙がでちゃう、女の子だもんな奇跡を起こしてくれた。

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もも太はこの写真のような、昭和を代表するバラエティ電波少年の時の松村邦洋さんみたいな感じの顔立ち。ふくふくとした赤ちゃんのぬいぐるみだ。

もも太というのは私がつけた名前である。人気アニメのキャラクターだけがぬいぐるみではない。ほとんどのぬいぐるみは歴史に名を残さない市民の手で作られ、名前を与えられないまま売られている。羽生結弦くんにも愛してもらっているプーさんだけが特別で、世界中のテディベアのほとんどに名前がない。だから、ほとんどのぬいぐるみは、各家庭の子どもたちによって初めて名づけられることになる。

私の宝物「もも太」

小学3年生の時に「私の宝物」という作文で、もも太について書いた。母のアイデアでもも太の体重と身長を測って詳細に作文にしたら、教室で大うけ。私が笑いをとる快感を覚えた大きな出来事である。当時はものまね芸人になりたいと思って、宝塚の男役になりきって国語の朗読をしていた。教室で巻き起こる笑いが大好物な子どもだった。

私は今も、子どもの頃と同じように、もも太についての文章を書き、もも太の絵を描き、アートだと言い張っている。

陶器になったもも太

もも太の陶器を作ってみた。そして個展を開き、陶器を販売してみると、「子どもの誕生祝にいい」「この茶碗でごはんを食べたい」「コーヒーカップのコレクションに加えたい」と言って、ありがたいことに大人が購入してくれるのだった。

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顔はめパネルになったもも太

個展で飾るため、もも太の顔はめパネルも作ってみた。このパネルを兵庫県のギャラリーのオーナーが気に入ってくれて、なんと初めての県外での個展が決まってしまった。

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金沢市主催のクリスマスイベントで顔はめパネルを展示した時は、記念撮影した写真を今年の年賀状にすると言う親子まで現れた。

ちょっとドキドキ。そもそももも太を作った創造主さまは別にいる。もも太のぬいぐるみをデザインした人に著作権の侵害で訴えられないかと被害妄想してしまう。まさかそんなことあるわけないよね。もも太の創造主さまはきっとびっくりして笑ってくださる。いつかもも太を作った人に出会えたら、もも太への愛を告白するんだ。

JR様とコラボしたもも太

【JR西日本金沢支社】のノベルティとして「あぶらとり紙」をデザインした時、「もも太」を描いてみた。金沢城や兼六園、寿司やカニ、北陸新幹線や輪島塗、白山や里海、石川県の宝物にまぎれて、ちゃっかりセンターにもも太を描いてしまった。

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もも太アート大阪の陣

昨年、天童よしみさんの「道頓堀人情」を胸に、大阪までもも太を売り込みに行ってみた。ラジオDJとして憧れのFM802主催のアートイベントに出かけて、もも太の絵をアートディレクターに見てもらったのだ!

男性のアートスタッフは私の個性を面白がってはくれたが、絵に魅力を感じてはもらえなった。しかーし!!女子スタッフなつきちゃんがぬいぐるみを描いていることにすごく共感してくれた。

「もも太くんを見ていると、ぬいぐるみの雪ちゃんを思い出します。なんだか雰囲気が似ているんです。すごく大事にしていた雪だるまのぬいぐるみで、私は雪ちゃんて呼んでいました。友達も同じぬいぐるみを持っていて、友達はゆきみちゃんって呼んでいて。雪ちゃんは袋を背負っていて、その袋の中に入っているんです。ちょっと変わったしゅわしゅわした生地でできていました。子どもの頃は雪ちゃんの絵ばかり描いてました。なつかしい」となつきちゃんが言うのである。

大阪で同じぬいぐるみを持つ人に出会ってしまった

なつきちゃんの雪ちゃんを私も持っている!

運命に心臓がごっつごっつとふるえた。なつきちゃんが雪ちゃんと名づけたぬいぐるみを、私はゆき丸と呼んでいた。雪だるまのぬいぐるみだから、だいたいの少女が雪のつく名前をつけがちだったのだろう。

長い話になるが、奇跡を全部記しておきたいので、順番に記憶をさかのぼっていこう。

もも太をおばあちゃんに買ってもらってから、もも太に似たぬいぐるみを集めるようになった。小さな目と、のほほんとした雰囲気と、ずんぐりむっくりがポイントだ。そんなもも太に似たぬいぐるみコレクションで、初めて仲間に加わったのはゆき坊だった。このようにネギぐらいの大きさのぬいぐるみである。

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このゆき坊をお母さんに買ってもらった翌年、同じ顔のぬいぐるみに出会った。

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ゆき坊は進化していた。

ゆき坊が、プレゼントみたいな袋に入った姿でマイナーチェンジして売られていた。弟が生まれたみたいな気分だった。この時も「奇跡」とか「運命」という言葉を使って、私は大興奮し、お母さんにぬいぐるみを買ってもらった毎日抱きしめた。この奇跡のぬいぐるみは、ゆき丸と名づけた。これが大阪のなつきちゃんも持っていたぬいぐるみである。

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ゆき坊とゆき丸。そっくりなぬいぐるみを一年越しに手に入れてそこで奇跡は終わったと思っていた。昭和時代の小学生の頃のお話である。しかし、それから30年後、平成を経て、令和になって、この雪だるまの兄弟ぬいぐるみがもう一つの奇跡を運んでくれたのだ。

もも太。ゆき坊。ゆき丸。小学生の私がしょっちゅうしゃべりかけて、おしゃべりできたらいいのにと本気で思っていた大事なぬいぐるみたち。

もも太の絵を見て、なつきちゃんが雪だるまのぬいぐるみを思い出してくれた!!!

時空と距離を越えて、点と線がつながって、松本清張ミステリーの如く、小さなドラマが起きた!なつきちゃんと私は、これが男と女だったら恋に落ちているレベルだねと興奮しあった。

他の人にとってはすごく小さな偶然だろうけれど、私にとっては何十年もかけて、サンダーバードで大阪に行って、やっと辿りついた奇跡だった。

もも太を見て、雪ちゃんを思い出してくれたことが本当に本当にうれしかった。大阪に行ってよかった。美大を出ていないし、絵が超絶上手くもないけれど、大人になってからアート活動を始めてよかった。

なつきちゃんと私は10歳ぐらいの年の差があり、住む場所も北陸と関西で離れているのに、同じぬいぐるみを特別に愛していた。

もしかしたら、もっともっとぬいぐるみの奇跡はあるかもしれない。

会社で煙たがられている愚痴ばかりのおばさん、お人形のようにスタイル抜群のモデル、金髪のやさぐれロッカー、死にたいとつぶやく家出寸前の中学生。別々の場所に住む、価値観や見た目が違いすぎて、リアルで友達になることは一生ないであろう女達が、同じぬいぐるみを愛しているもしれない。

これは絶対に調べるべきだろう!

私はいつか「あなたのぬいぐるみ展」という企画展をやってみたい。

SNSでぱっと集めてさくっとHPにしてもいいのかもしれないけれど、せっかくだから素敵な一軒家にぬいぐるみを並べて飾ってみたい。

大阪に住むなつきちゃんは、ぬいぐるみについて「隠すほどのことじゃないけれど、とてもプライベートで大事すぎる思い出がある」とメールをくれた。

女子の秘密を覗き見できる「私のぬいぐるみ図鑑」

アイドル、女優、OL、スナックのママ、クリエイター、ひきこもり、主婦、いろんな人のぬいぐるみ図鑑をいつか本にできたらいいな。

ぬいぐるみの奇跡は誰にも語られることなく、女の子の部屋に眠っている。そう思うと、ぬいぐるみ愛は更に加速していく。こんなにあけすけな時代になっても、まだ守られている女の子の秘密に唾を飲み込むのである。ごくっ。

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最後に私だけの相棒を紹介しておこう。もも太の隣にいるぬいぐるみは私のオリジナルキャラクター「きのこ坊や」だ。もも太を愛しすぎて、ついには自分でもぬいぐるみを作ってしまった。

「きのこ坊や」のぬいぐるみは、2008年に作ってから12年間、人気者になるための試行錯誤を続けている。絵本にしたり、ラジオのゲストと記念撮影したり、きのこ展を開いたり、思いつく限りのことをやりまくってくる。

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私がもも太を抱きしめるように、いつかきのこ坊やを見知らぬ少女が抱っこしてくれないだろうか。

私はきのこ坊やを相棒に、もも太、ゆき丸、ゆき坊の作者と持ち主をこれから探してゆきます!!

この奇跡をまだ終わらせたくない!!

ネットの海にこの手紙を小瓶に入れて、今、放流しました!

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きのこ坊やとの歴史はFacebookレモンさんのビタミンラジオ局【まつおかりえチャンネル・ふっふっフライデー】でご紹介しています。ぜひぜひ聞いてみてください!

YouTubeではきのこ坊やが踊っています

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