弥生式竪穴住居の話。
昭和二十年、東京は大空襲を受けたがとくに私の住んでいた港区麻布霞町はこの前まで自衛隊の基地になっていた麻布三連隊に隣接していたこともあり猛烈な空襲を受けた。特に夜間、低空で飛来する米軍機を迎え撃つ速射砲のオレンジ色の光がサーチライトで映し出される敵機の腹をまがまがしい色に染めているのを50年以上経った今でもハッキリと思い出すことができるのだ。
当時小学校三年生だった私は二つ違いの姉とふたりだけで遠い親戚にあたるTさんのところに疎開することになった。疎開先は岩手県の前沢というと