大森海岸のボラ釣り
大森海岸がまだ海水浴客で賑わっていた頃の話である。
今では埋立てられてしまったが、昭和三十年ごろは大森海岸にはノリシビが立っていてハゼ、カレイ、ボラ、セイゴ、コノシロなどが幾らでも取れていた。
初冬の日曜日に私はUとSと三人でハゼ釣りに出掛けた。竿は一本竹にガイドをところどころに結び付けた手製の竿、魚籠(ビク)と言えば八百屋から貰ってきたみかん箱をこわして板をのこぎりで引いてそれにコールタールを塗りたくって防水したという代物。これは何ヶ月たっても匂いが抜けないので閉口した。それに当時は貴重品だった網ビク。これは魚を持ち帰るまで生かしておくために水中に吊るしておくものである。
大森海岸でボートに乗った我々は十分程沖に漕ぎ出したところに立っている棒くいにボートのへさきについている綱を縛りつけ釣り始めた。
周りには職漁師が舟の艫(とも)に座って両手に一本ずつ長竿を持ってギャング釣りをやっていた。今ではもうお目にかかれないが当時は冬の風物詩だったボラ釣りである。ボラは冬になると目蓋が下がってきて目が良く見えなくなるので、赤い布を鈎に巻きつけてボラが餌と間違えて寄ってきたところを引っ掛けて釣り上げるのである。勿論、水中が見えるわけではないので竿を交互に上下させて当たりを取る。竿尻にシャモジのような肘受けがついていてボラが掛かると竹竿の弾力を利用して一気に抜きあげるのだ。カツオ釣りに似ているがカツオ釣りのように魚を後方に投げるのではなく自分の手元に魚が飛び込んできた瞬間一寸竿を緩めて船中に落としこむのである。
これ以外にも鰻を薙刀のような道具で引っ掛けて捕る漁師の姿も見られた。海底に薙刀状の長い柄のついた竿を立ててはしごくようにするのである。何十回あるいは何百回かに一度鰻が身体をくねらせながら薙刀の刃の部分に引っ掛かってあがってくるのだ。重労働であることは間違いない。
こんな珍しい風景を見ながら釣り始めたのだがなかなか簡単には釣れてこない。
それでも午前中はポツポツ、ハゼやセイゴが釣れていたが潮がききはじめると面白いように釣れ始めた。夢中になって釣りまくって片っ端から舷側に吊るしてある網ビクに魚を入れていたが、すこし雲行きが怪しくなってきたのでそろそろ帰ろうかと思ってどの位釣れたかと網ビクを引き上げてみたところ何としたことかオールを載せるY字型の金具に残っているのはビクのヒモだけで、下はすっかり切れ落ちているではないか。唖然として三人は声も出なかったが、せめて少しでもお土産にと思い直し残りの餌を使い切るまで釣ろうということにしたのだった。
折りしも風も少し出てきて海面がザワザワし出したなと思った途端、猛烈な引きが来てアッという間に竿の穂先が水中に引き込まれた。持っている竿を立てることも出来ない。何秒か堪えていたがハリスが切れてしまい魚はバレてしまった。直ぐに太いハリスに替えて餌のゴカイをつけるのももどかしく投入するとすぐに又強烈な引き込み。やっと船の上に放り投げるようにとりこんだのは良い型のボラである。
それからは糸は切られる、鈎は伸びてしまう、しまいには竿も折られてしまうという悪戦苦闘の中三人は各々十本以上のボラをものにして鼻高々となり餌もなくなってきたのを機に引き上げることにした。ところが今まで釣りに夢中で気がつかなかったが船の舳先が水面スレスレになっていて水がジャブジャブ船の中に入ってきているのだ。見れば先刻船の舳先の綱を棒くいに縛り付けてあったのが満潮のため水中に没してしまって舟が舳先から水中に引きずり込まれる寸前である。海中に手を突っ込んで必死にほどこうとするのだが、水に濡れた綱はとても船の上から手を差し伸べたくらいでは手に負える代物ではない。このままでは舟は沈んでしまうという危機的状況である。
その時敢然とSが潜って外してみると言い出した。のこる二人は心配だがそれよりほかに手立ても無く「気をつけてな」と言ってSの動きを見守るばかり。
褌一つになったSは冬の海にザンブとばかり飛び込むと水中に見えなくなってしまった。やがて浮き上がると綱をたぐって棒くいを手で掴まえていてくれと言う。綱が張っていてはほどけないのだ。一分程Sが潜ったきりの時間が永く感じられたことは勿論、Sがこのまま浮いてこなかったらどうしようと頭の中に色々悪い場面が浮かんでくる。
やっと綱が解けた時には船上の二人は手をたたいてSに感謝の気持ちを表したものだった。大急ぎで海岸にボートを漕ぎ寄せ、流木を拾い集め焚き火を起こしSの身体を温めた筈だが情けないことにその場面をはっきりと思い出せないのである。
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