河豚と鯵の共存
西伊豆のTという温泉町と言えば昔は金が出たところで花街もあり、殷賑を極めたところだが、今ではただの温泉街になってしまっている。 この町外れに小さな漁港があり民宿が立ち並んでいる一角がある。 ここの民宿はすべて温泉付きだがそのうちのKという民宿は料理も良いし色々と無理も聞いてくれるので、毎年のように通ったものである。
この民宿の親父は漁師でおかみさんが一人で切り盛りしている。働き者のおかみさんは綺麗好きで、トイレや洗面所はピカピカに磨いてあるし、ふとんも天気さえ良ければ毎日乾かしているからシーツや枕カバーはいつも太陽の匂いがするので私はとても気に入っていた。
親爺の船頭は無口だが、釣りに連れて行ってもらうと親身になって釣らせてくれるので坊主で帰るということは皆無だった。釣り物は、カサゴ、カワハギ、タイ、イカなどその時々によって異なるが、中でも当地でアカギと呼ばれるハタ科の魚は冬になると全身ヒラメの縁側という大変美味しい魚で、これが釣れると思わず顔がほころんでしまうというものだった。
ある夏のこと、釣り物がないということでアジでも釣ろうかということになった。場所は港を出てすぐ左手にある断崖の下で、ここのアジは腹が金色で小型だが大変うまい魚なのである。いわゆる地付きの魚で、外に居る白くて細いアジとは異なり小型だが幅があって一度食べたら忘れられない魚なのだ。
ところがこのアジの群れには番人がついていて釣り人を妨害するのである。
河豚である。
黄金河豚というこれも腹が金色をしている奴がアジの群れの上に頑張っていて、釣り人がアジを釣っているとすぐに寄ってきて、テグスだろうと鈎だろうと鋭い歯でバチバチ噛み切ってしまうのだ。しかも執拗この上ない獰猛さで、アジが人間に釣られるのを怒っているとしか思えない。
たとえばやっとのことでアジを水面近くまで引き上げてくると、追いかけてきた河豚が水面に躍り上がって来て歯噛みをしては口惜しがるのである。有る時などは釣れたアジと一緒に船の中に飛び込んで来そうになることもあった。こちらも仕掛けを片っ端から切られてしまうので頭に来るから上がって来る河豚を竹竿で引っ叩いてやろうとするのだが、そういう時には水面近くでサッと身を翻して逃げていってしまうのだ。
この河豚と鯵の共存関係はよく分からないのだが多分ここの河豚は金色鯵の美味なことを知っていて弱ったアジを捕食しているにちがいない。大事なご馳走を人間が吊り上げてゆくのは許せないというところであろうか。それにしても水面の上に躍り上がって歯をバチバチ鳴らす有様は誠に異様な感じで本当に河豚が怒り狂っているということが感じられた一幕だった。
船頭の話ではこういうときはアジは諦めて黄金河豚を釣ればよいのだというのだが、なんだか河豚を釣っても仕様がないという気がして釣らなかったが後から聞いた話では黄金河豚というのは結構美味しいのだそうである。確かにあの美味しい金色アジを食っているならこの河豚も美味しいのかもしれない。
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