糸井重里さんや山下達郎さんの言ってることは間違ってないんじゃ無いのかな

4月8日、糸井重里さんが「わかったことがある。新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰ががが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ」とtwitterでつぶやいたときに、そうそうそうだと思った。がすぐに「糸井重里は安倍を擁護している」とか「安倍から金をもらっている」とか「金持ちは俺たちの気持ちが分からない」とか批判の嵐が吹き荒れた。4月12日、山下達郎さんがラジオで「冷静さと寛容さが何よりも大事です。正確な判断は冷静さでしか生まれません」と言ったときも、僕はラジオを聞いていてさすが達郎さん、そうだよねと思ったが、世間的には糸井さんときと同じ感じの批判が吹き荒れた。
 
僕も筋金入りに安倍は嫌いであるし、アベノミクスで株が上がって世間に安倍ちゃん支持派が増大していたときも一貫して彼のことを「生理的」に嫌ってきた。そしてそれはいまのアベノマスクのこととか、もう安倍ちゃんの褒められる所なんて一つも無いのは知っているし、なんならクーデター起こしたい。が、それとは別に、悪口がネット上で吹き荒れている状態は不快。
  
これ児童教育の論文とかあされば見つけ出せると思うが、大人の論理において正しい喧嘩だとしても、子供に夫婦げんかを見せ続けていると子供の精神は病む。
  
実際、普段は安倍ちゃんを批判している友人が、こういう状況でTwitterを見ていると悪口があふれていて苦しくなると言ってtwitterをやめた。人間、好きな人への悪口はもちろん嫌いだし許せないが、嫌いな人への悪口であっても、たぶん脳や体は嫌な物として受け取っているからその微量の毒は人間を苦しめる。ゆがめる。
  
悪口では無くて批判である。と反論する人も居るだろう。しかし、大概批判は悪口込みの批判/否定である。もちろん、悪口を含まない批判も有って、松尾貴史さんや舛添要一さんのする政策批判やかわいげのある田中康夫さんの批判、立川談慶さんら落語家のする笑える皮肉や洒落の効いた批判なんていうのは、人を傷つけることを目的にしていないから、聞いていて嫌な気分にはならない。
  
逆に、普段から安倍のことを批判している人が、「それみたことか」と我が物顔に、批判込みの自慢や悪口を繰り返して溜飲を下げているのを見ると非常に不快になる。
 
そもそも安倍晋三がダメなのは下品だからである。下品を批判するに当たってこちらが下品になって良いわけは無い。なんて思っているが「反安倍ならなんでもいいんじゃないか」とか「批判の嵐が安倍政権を動かしたんだ」という意見もあり・・・。

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