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初めての楽器・ウクレレ事始め5     〜初めての発表会〜

 案外レッスンは真面目に通っていて教室に通い始めなんやかんや言いながら1年近くは経って、今日は生徒さんが集まっての発表会だった。
 生まれて初めての演奏・発表会。いささか緊張気味というか、かなりテンパった状態。発表曲は、『Leaving on a Jet Plane』ジョン・デンバーがオリジナルで、ベトナム戦争当時ピーター・ポールー&マリーのカバーも有名な曲を選んだ。初心者にとってはそこそこ難曲らしい。
 発表会には、生徒さんとその関係者で約30人位が大久保の地下にあるライブハウスに集まり、過去、何度か参加した顔見知りどうしは、声をかけあっておしゃべりしていたが、私は当然、誰一人知る人おらず、アウェイ感十二分に感じつつ席に着く。見回すと殆どの人がウクレレを手にして参加。本来はギターの人もいたりともう少し色々バリエーションあるらしいのだが、今回の発表会はウクレレ三昧とのこと。年齢的には子供・未成年の方が半分、おじさんは私だけで、ほとんどが女性。妙齢のお方も多い。最初に記念撮影をしてみんなで、日立のCMの、この木何の木、、、のテーマを合奏。正直、自分の演奏終わるまで、気もそぞろ、違う曲を聴くと自分の曲を忘れてしまいそうと心配しながら曲を弾く。どんな感じで始るのか気になってしかたない。そうこうしているうちに発表会が始る。くばられたプログラムの曲の感じから、最初の数人は、教室歴の浅いひとが前座的に始ってとそうい感じで組まれている。トップバッターの演奏者の方が、『星に願いを』をすごくゆっくりだけれど丁寧にソロで弾く。なんだか素朴な感じがすごくよく、感動しきり。その後の、玉置浩二の『メロディー』の弾き語りもなかなか良かった。二番目の方も『ルージュの伝言』をきちんとまとめ、いよいよ私の出番。野球の打席順でいうとクリーンナップのはずなのだが、、。ステージに立った時はそれほど緊張していなかったが、弾き始め、途中で間違えてしまってそこから、混乱、同じフレーズを二回三回繰り返す、ドツボに嵌るパターンに。みると自分の手が震えていて微妙に弦がおさえられない。でもそれをそうなんだ、参ったなあ、と思ったりしている。身体と頭が分離し緊張しながらそれを冷静に受け止めている自分もいたりする。ソロ演奏は、何と言っても音楽の流れはとめられない、私が手を止めたとたん音楽は止み、静寂が生まれる。といいながら、流れは寸断され、メロディーが、つまづいては、ずっこけ、ふらつきながら、そこをなんとか立て直し、前へ進ませようとする、いやすでに倒れながら、ほふく前進のような5分の演奏だったのかもしれない。発表会なのか、練習のライブ中継なのか、よくわからない感じもしながら、でもなんとかボロボロになりながらも最後を終わらせた。んんん。最初から上手く行くでもない、少々難しい曲にチャレンジしたといういみで、良しとする。さいごまで弾ききった。『Leaving on a Jet Plane』のジェット機、不時着ってとこか。               自分で発表し終えたらあとは参加者の演奏を聴きにまわって、それがなかなか良かった。さすがに、私以外、あんまり外す事もなく、それぞれ上手。プロのミュージシャンとはまたちがい、たどたどしさもありながら一生懸命弾く曲を聴くのはなんだか良い。それなりに慌ただしい日常生活の時間の中で時間を作って練習して、どきどきしながら発表会にのぞむ。お互いその苦労、思いがが共感できる。それが会場で伝わる。一緒に練習をしたわけでもなく、個別に違う事をやりながら生まれる不思議な一体感。なかなか良い経験をさせていただいた。その場に居合わせるライブ感もそうだし、純粋に上手い歌、技巧をこらした音楽だけが心を動かすわけでもない。色々な意味で音楽がひとの感情を動かすこと力について少し感じるものがあった。たまたま音楽と人の心について最近心を動かされた、エッセイとTV放送のことを思いだしながら演奏を聴いていた。

 エッセイの方は同窓会の話で、筆者が何十年ぶりかで小学生の同窓会に出席するのだが、みんな変わり果てた相手の容姿の違和感とともに、それぞれ社会的な立場の違い、成功したり、思う様にいかなかったり、人生も終盤になると色々な思いが邪魔して、人との距離が昔の様にはいかない。お酒がはいってもなお昔そのままの関係に戻る事も難しい。社交辞令と余所余所しい会話にしかならず、お互い手持ちぶさたで、なんともいえない気まずさを感じながら会は進むのだが、最後に、昔歌った校歌を皆で歌おうとなって、音楽が流れ始める。すると、忘れていた昔の記憶、思い出が、音楽とともにドッと蘇り、皆が滂沱の涙をながしながら過去を振り返り、会が一体感をもって当時の思い出を懐かしんだという話。普段は忘れていた記憶が、その当時聴いていた音楽、歌っていた曲によって記憶が蘇る経験はだれしも共通にあるよう思う。                           もうひとつはNHKのTV番組で、沖縄出身の彫刻家へのインタビューで音楽、芸術のもつ力というようなものを語ったシーンを思い出す。若い頃その彫刻家は、横浜の在日朝鮮人たちが集まる定時制高校で美術の教室を持っていた。今以上に差別が厳しく学校に通ってくる生徒はひとくせも二癖もある連中ばかり。美術を教えるくらいならもっと実用的な教科を教えてくれと最初、美術教師は相手にされず、日本人の先生に反抗的な態度をとる彼等彼女ら。両親たちは朝鮮に起源をもちながら彼等は日本で育てられ、日本ではいつもよそ者として扱われ、朝鮮に帰ったとしても同じ様に同胞として迎えられもしない。朝鮮からも日本からも疎外された存在として、自分の出自に迷い深く傷ついていた。美術教師はなんとか彼等彼女らの親から受け継いでいる朝鮮人として誇りを大切にしそれを形にしようと相談して、生徒達皆で朝鮮の民族衣装をつけた少年少女の銅像をつくろうとする。でも年上のオバサン生徒達たちは文句ばかりつけて協力しない。チマチョゴリの着方がだらしない、そこは違うと、手伝わず文句ばかりをいう。そんな彼女らと美術教師が本気になって真剣に衝突し、彼女たちとのお互いの思いを共有しあう、紆余曲折を繰り返しながら、彼女らも最後は巻き込んで、みなの力で銅像が完成させる。しかし、それだけでは終わらなかった。なぜこんな像を学校に立てるのかと役所のよこやりがはいり撤去をもとめられる。そこを美術の教師が奔走し役人を説き伏せ、やっとの事で銅像の除幕式を迎える。幕が引かれると同時に、校庭に生徒達が一斉に集まり、あのうるさいオバチャン生徒含め、女性達が、チマチョゴリを身にまといながら、完成した銅像を囲み、皆が手を取り合って一緒に輪になりアリランを歌い踊る。まるで映画のシーンのように。そんな思い出をその後教師をやめた彫刻家が語っていた。

 音楽や芸術が役に立つか、それは分らないが、どこか個人の体験や記憶とも結びつきこころを動かす。個人だけではない集団の歴史的な共通の思い出を歌や音楽を通じて共有することができる。その場にいるひとを結びつけ、過去から未来に時間を越えて思いを伝播する力がある。そんなことを思う。少しまえまでのグローバルスタンダードというような、人のあるべき正しさはこうだというような世界標準を称揚していた世界にとって、先祖代々からつづく民族的な事や、地域的なローカルな辺鄙な文化というのは、あるいみ発展途上で、非効率的とさえ言われて軽んじられていたよう思えるが、ここ数年で世の中的には段々と逆方向に揺り返しが来ている気がする。それを簡単に多様性というのもどうかと思うが、もう一度、ひとそれぞれの育ってきた環境、地域の特殊性、祖先からうけついできた血と歴史の重要性といいうような、そんな、ある種、前近代的なプリミティブなところの、価値を取り戻そうとしているよう思える。歌や音楽にはそれらを、込めて思い起こさせ、人の心を夢中にさせ、熱狂させる力を時として持つ事があるよう思える。ただ、熱狂が必ずしも善き方向へと向かうとは限らないのがまた人の歴史の常ともいえるのだが。。。。。。            

 なんかへたっぴな演奏で、現実逃避しておおげさなことを考えながらビールを飲みながら後半はリラックスして聴いていた。まだまだ、練習不足。そんな大それたことでなく、もう少しまともにつっかえずに、色んな曲を弾いて、釣りの合間に船の上で弾けるとよいなと思う、日曜日の午後でした。


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