見出し画像

【美術展2024#98】ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子 ピュシスについて@アーティゾン美術館

会期:2024年11月2日(土)〜 2025年2月9日(日)

アーティゾン美術館では、2020年の開館以来、石橋財団コレクションとアーティストとの共演、「ジャム・セッション」展を毎年開催しています。第5回目となる本展は、国際的なアートシーンで注目を集めるアーティスト、毛利悠子を迎えます。毛利は、主にインスタレーションや彫刻を通じて、磁力や電流、空気や埃、水や温度といった、ある特定の空間が潜在的に有する流れや変化する事象に形を与え、立ち会った人々の新たな知覚の回路を開く試みを行っています。本展タイトルに含まれる「ピュシス」は、通例「自然」あるいは「本性」と訳される古代ギリシア語です。今日の哲学にまで至る「万物の始原=原理とはなにか」という問いを生み出した初期ギリシア哲学では、「ピュシス」が中心的考察対象となっていました。当時の著作は断片でしか残されていませんが、『ピュシス=自然について』と後世に名称を与えられ、生成、変化、消滅といった運動に本性を見いだす哲学者たちの思索が伝えられています。絶えず変化するみずみずしい動静として世界を捉える彼らの姿勢は、毛利のそれと重ねてみることができます。毛利の国内初大規模展覧会である本展では、新・旧作品とともに、作家の視点から選ばれた石橋財団コレクションと並べることで、ここでしか体感できない微細な音や動きで満たされた静謐でいて有機的な空間に来場者をいざないます。

アーティゾン美術館


コロナ禍以降各地で急速に広まった感のある自館コレクションを基にしたセッション系展覧会
アーティゾン美術館はその先駆けと言ってもよいのではないだろうか。
既存の作品に新しい観点を発見し、既存の作品を通して新しい表現を生むこの試みは主催側の美術館としても腕の見せ所だ。
そしてアーティゾン美術館はそれを毎度うまいこと提示してくる。
ということで今年も楽しみにしていた。

今年取り上げたのは毛利悠子氏。
ヴェネチアビエンナーレ作家でもある。

さて、まず「ピュシス」ってなんだ?
※「ピュシス」とは古代ギリシャ語で「自然」や「本性」を意味する言葉
だそうだ。

そうか、なるほどわからん。
まあ見てみようではないか。


会場に入る前から作品が並ぶ。

《Decomposition》 2021-

ボ〜〜〜〜〜っと音が鳴り響く。
ブラックの静物画に対しての作品とされている。
果物からの電気抵抗を利用しアンプで増幅して音に変換しているとのこと。
後に登場する照明にも作用しているというが、果物から照明を点けるほどの電力をどうやって抽出するのか仕組みはよくわからない。
心地よい音色は夏に行ったシアスター・ゲイツ展を思い出した。


ブランクーシの引き裂けなさそうな《接吻》に対して、毛利作品はくっつくのかくっつかないのかハラハラさせられる関係
磁力に弄ばれるようにフラフラと揺れ動くフォーク。
現代の恋愛観や人間関係の曖昧さや脆弱さを表しているようにも見えた。

《Calls》 2013-
《接吻》1907-10 コンスタンティン・ブランクーシ

この階段のエキスパンドメタルについては特に言及がなかったけれども明らかに倉俣作品から引っ張ってきているな

《How High the Moon 2-seater》1986 倉俣史朗
《エキスパンド・チェア》 1988 倉俣史朗


マルセル・デュシャンの《大ガラス》をわかりやすく引用する。

《めくる装置、3つのヴェール》 2018-

デュシャンの作品自体はややこしくてわけわからんが、この「眼科医の証人」部分はビジュアル的にわかりやすいアイコンなのであちこちの作品で引用されまくっている。

《照明用ガス…(眼科医の証人による)》 ケリス・ウィン・エヴァンス
《〈デュシャン/大ガラス〉より》 奈良原一高
杉本博司
《檢眼圖》 瀧口修造、岡崎和郎


アーティゾン美術館所蔵のデュシャンの《トランクの箱》はこちら。

《マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクの箱)シリーズB》 1252

辿っていけばそもそも元ネタのデュシャンも既成の検眼用具からの引用だ。


毛利氏はこの映像を撮るために実際にベリール(北フランス)まで行ったとのこと。
行くだけで丸2日かかったそうだ。

《Piano Solo:Belle-lie》 2021-2024
《雨のベリール》 1886 クロード・モネ

マイクで拾った波の音を音域ごとに鍵盤に割り振り、波の音とともにピアノが不規則に音を奏でている。


この辺りのシリーズはマティスのドローイングに対するアンサーになる。

《I/O》 2011-
《I/O》 2011-
《I/O》 2011-
《I/O》 2011-

タイトルの《I/O》は、入力/出力の「Input/Output」、初めてこの作品が発表されたオーストラリアのパースが面している「Indian Ocean」、デジタル信号の「1/0」などいくつかの意味を含有しているそうだ。


会場内は壁を取っ払って一室とし、その中に毛利作品が配置されていた。

それぞれの作品がアーティゾン美術館所蔵作品に対する個々のアンサーとして存在しているだけでなく、作品同士に関係性を持たせていたりと様々な伏線が張ってあり、会場全体で一つのインスタレーション作品のように感じた。

毛利氏は今回の展示を「寄せては返す波のよう」であるとし、藤島武二の《波(大洗)》をキービジュアルとして会場入ってすぐの場所に表札のように展示していた。

《波(大洗)》 1931 藤島武二


ということで、人工的な機械だらけの展示だったのだが、結局どのように「ピュシス」だったのだろう。

家に帰って晩酌しながら図録の作家インタビューを読んでいてビール噴いた

お気づきかと思うのですが、私のインスタレーション作品ってモノを集めて動かすという、機械仕掛けの技術だらけなんです。なんなら自然らしい自然はひとつもない(笑)。そういう、技術を主軸としたアートをつくってきた美術家が、個展のタイトルとして、初期ギリシア哲学者の著作をまねて「自然の本性について」なんてうそぶくのが面白いな、と思ったのがこのタイトルにした理由のひとつでした。

展覧会図録より

ズコー
いや、それはわからんて。



【美術館の名作椅子】↓


【美術展2024】まとめマガジン ↓


いいなと思ったら応援しよう!