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【美術展2024#40】シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝@森美術館


会期:2024年4月24日(水)~9月1日(日)

シアスター・ゲイツ(1973年シカゴ生まれ)は、米国シカゴのサウス・サイド地区を拠点とし、彫刻と陶芸作品を中心に、建築、音楽、パフォーマンス、ファッション、デザインなど、メディアやジャンルを横断する活動で国際的に高く評価されています。彫刻と都市計画の教育を受けたゲイツは2004年、愛知県常滑市で陶芸を学ぶために初来日し、以来20年以上にわたり、陶芸をはじめとする日本文化の影響を受けてきました。日本やアジア太平洋地域での印象深い出会いや発見、そして米国ミシシッピとシカゴにルーツを持つアフリカ系アメリカ人として生きてきた経験が、彼の創作の礎となっています。アーティストとして文化的ハイブリディティ(混合性)を探求してきたゲイツは、アメリカの公民権運動(1954-1968年)の一翼を担ったスローガン「ブラック・イズ・ビューティフル」と日本の「民藝運動」の哲学とを融合した、独自の美学を表す「アフロ民藝」という言葉を生み出しました。ゲイツの日本初、そしてアジア最大規模の個展となる本展は「神聖な空間」「ブラック・ライブラリー&ブラック・スペース」「ブラックネス」「年表」「アフロ民藝」の各セクションで構成され、これまでの代表作のみならず、本展のための新作を含む日本文化と関係の深い作品などを紹介します。
これまで多数派の声のみが取り上げられてきたことが問い直され、視点の多様化が求められる昨今、グローバルなアートシーンでは、第一線で活躍する黒人アーティストたちの表現に見られる多層的な経験が注目されています。黒人の歴史は、日本人の一般的な知識としては馴染みが薄いかもしれませんが、本展はゲイツの多角的な実践を通し、世界で注目を集め続けるブラック・アートの魅力に迫ります。同時に、手仕事への称賛、人種と政治への問い、文化の新たな融合などを謳う現代アートの意義を実感する機会となるでしょう。

森美術館


先日世田谷美術館で行われていた「民藝展」にも行ったが、それと何らかの関わりや共通項はあるのだろうか。

「アフロ民藝」とはなんぞや?
いざ森美術館へ。


いつもは展覧会の大きなバナーがかかっている入り口横壁面だが、今回は何も掲示せずに照明だけ当てている。
こんなの初めて見たかも。
片方だけに照明を当てているというのもやはりそこに何らかのメッセージが込められているのだろうか。


会場入り口には木喰上人の木彫が。
本展の象徴的な作品としての位置付けだそうだ。
まるで表札のような、そんな印象を受けた。


会場に入ると「神聖な空間」と題されたスペースが広がる。
掛け軸や壺、自他作品が点在する部屋には煉瓦が敷き詰められている。
常滑産ということで自身の文脈にも関係しているようだ。

お香のいい香りが会場に漂う
《人型1》


自身のルーツを辿る作品。
音を固定するために鍵盤に串がぶっ刺してあった。

《ヘブンリー・コード》
ぶっ刺さる串


自身の財団が管理するライブラリの再現。
さまざまな場所から引き継ぎ、公開してきたアーカイブが並ぶ。
これらは自由に読むことができる。
今回2万冊の本をシカゴから運んできたそうだ。

《ブラック・ライブラリー》


東京の景色を背景に「ジョンソン・パブリッシング・カンパニー」を再現。
ソファがありテーブルがあり、壁面には平面作品が掛けてあり、まるでリビングルームにいるようだ。

《ブラック・スペース》


ソファの脇には消防ホースを用いた作品。

《黒い縫い目の黄色いタペストリー》

デモを鎮圧する時に用いた高圧水の消防ホースを想起させる、とのことだが、正直解説なしにこの作品だけでそれを読み解くのは難しい。
作品表面だけ見ればそれこそ家のリビングに置かれているセンスの良い調度品のような印象。


ああそうか、この展覧会場は「」なんだ。
そう考えると、まず「玄関脇」には「表札」があった。
掛け軸や壺とともに素敵な香りで「応接間」に客人として迎え入れられた。
次の「部屋」ではオルガンでもてなされた。
そして「書斎」「リビングルーム」「シアタールーム」と続く。

この会場では一つ一つの作品がどうのこうのというよりも全体を大きなインスタレーションとして捉え、コンセプチュアルなメタファーを感じることが大切なのだ、きっと。


体育館の床が作品に。

《基本的なルール》

私にはジャクソン・ポロックのようにも見えた。
元々はアナログに描かれた床のラインが擦られ薄れ剥がれ削れる。
それをオールオーバーに再構築しているのが逆にデジタルっぽくも見えて面白いと思った。
意味は色々と考えてみるがどれが正解かはわからない。
解説によると、遊びやスポーツを通じて客観的思考や社会性を学ぶことができる場が徐々に失われている現状の批判、とのことだが、ホース作品と同じく解説なしにこの作品を初見でそこまで読み解くのは難しい。
言われればなるほど、とは思う。

だけどそれで良いのだ。

「家」に置かれた調度品はこれみよがしな主張をしない。
他人にとって意味や価値があるものではなく、ここには「家主」自身にとって意味があるものや大切なものが置かれているのだ。
私だってどこかへ行った思い出の品だったり、大切な人からもらった贈り物だったり、他人にとってはなんの意味も持たないが、私自身にとっては価値のある物をとりとめなく(しかし自分の感覚なりにバランスよく)飾る。

きっとそれと同じことなのだ。


次の章は「ブラックネス」。
ゲイツにとって最もプライベートでセンシティブな部分。
「家」で例えるなら「アトリエ」や「寝室」といったところだろうか。

《ドリス様式神殿のためのブラック・ベッセル(黒い器)》

赤いやつはボッテガ・ヴェネタとのコラボらしい。
ボッテガ・ヴェネタは先日Cassinaともコラボってコルビュジエの作品をイジっていた。

ファッションブランドがアートやデザインの領域に踏み込むことはステイタスの一つなのかもしれないが、一時的な関わりでなく、ぜひ長期的に美の伴走者としてサステナブルに関わっていってほしい。
先日東京国立博物館表慶館の「カルティエと日本 半世紀のあゆみ「結 MUSUBI」展」に行ったが、一流メゾンとしての自負と矜持を感じた。
そういった覚悟や積み重ねがカルティエやエルメスといったブランドステイタスを多角的に強靭にしているのだろう。


《7つの歌》

《ヘブンリー・コード》でも用いていた7という数は、ゲイツの7人の姉を意味するそうだ。

チョコン


年表部屋

「民藝」の解説を読み進めると、

「〜日本の植民地であった朝鮮の複雑な歴史的背景と、民藝が日本の帝国主義の道具として利用されたことを認めながらも、文化的な抵抗の手段としてのその役割に〜」

と後半突然ブッ込んできた感は否めなかった。
民藝ってそういうものだったっけ?
さらには山口庄司という架空の陶芸家のストーリーを想定し日本文化と黒人文化の融合を試みる。
が、どちらもいまいちピンとこない。
ゲイツのアイデンティティや歩みを置き換えているのだろうけれども、果たして日本の歴史や日本の民藝は黒人の歴史と並列で語れるものなのか?
アメリカの黒人の歩んだ歴史や差別はもちろん知識としては知っているが、体感的なリアリティがないためかこの辺りの表現はやっぱりしっくりこなかった。

年表


最後の章「アフロ民藝」
常滑の陶芸家小出芳弘という方が2022年に亡くなった際、「約2万点の作品」=「生涯」を引き受け、梱包し、目録を作り、輸送し、展示しているとのこと。
そもそも小出氏は元々高校の数学教師で、趣味の傍ら陶芸を始め次第にのめり込んでいき、ついには自分の窯を築いてしまったそうだ。
ゲイツが常滑で自身の作品を焼成するのに紹介された窯が小出氏の窯だったという縁で巡り巡って結果こうなった。
さしずめここはゲイツの「コレクションルーム」か。
収集癖の拗らせ方がパねぇ
展覧会終了後は全てシカゴに運びアーカイブして当地での陶芸研究に用いられるそうだ。
圧巻の情熱とリスペクト。


黒革の包みが。

PRADA!


最後の部屋「ダンスホール」
壁には貧乏徳利インスタレーション。
そのタイトルは《みんなで酒を飲もう》だと。最高。
イヤッフ~イ!!!!

1000本の徳利。
こちらは信楽焼で使われなくなったものを買い取って再利用している。
「ゲイツ」=「門」ということで新たに文字を入れて焼き直したとのこと。

DJブース

手前のミラーオブジェがぐるぐる回る中、往年のソウル/ファンクナンバーが心地よい音量で響き渡る。
学生時代からの大好きなジャンルに自然と体がリズムを刻む。
会場を見渡すとやはり同じように体でリズムを刻んでいる人がちらほら。
なんだかとてもいい。
そうだよ世界はこれでいいんだよ。
黒でも白でも黄でもなんでもいいじゃん。
イェーイ‼︎ みんなで酒を飲もう〜🍺
(だけどムスリムへの配慮はどうする…ボソッ)


会場に展示された作品群は、共感できる部分もあれば正直ピンとこない部分もあった。
だが、全体を通してゲイツの感謝や敬意や賞賛や祝福が溢れていたように思う。
それがとても心地良かった。

「アフロ民藝」とは黒人文化でもなく日本文化でもない未来への新たな概念とのこと。
異なる文化や価値観を一つに融合するのではなく、その違いを認め、理解し、尊重し、共感し、そして新しいものを作りだすためのゲイツからの提案なのだ。

そこにはゲイツなりの平和へのプロセスが凝縮されていた。
なんだかゲイツとは美味い酒が飲めそうな気がした。


「家」を出て振り返る。

あ、この壁は「門」の文字そのもの(門=ゲイツ)だったんだ。

「門」の字に見立てて左右対称にするには余計なものはいらない。
そして普通「家」の外壁に看板は掛けない。
ここはゲイツの「家」だからあえて壁のままにしているんだ。
私にはそんなふうに思えた。

壁の照明は、夜暗くなってからの帰宅時に灯っている門灯のようにも見えた。
それは「おかえり。お疲れ様。私はここにいるよ。」という家人からの労いと配慮。

「ようこそ、いらっしゃい」
「ありがとう、またね」

この明かりにはゲイツからのそんなメッセージが込められているような気がした。



図録デザインがとてもおしゃれ。
お香と置物も買った。

本日の戦利品

この置物はゲイツが作ったものでも何でもないが、私にとってはゲイツ展に行ったという記憶であり証であり意味のあるものとなった。
ちょっと高かったがあの会場で買うことに意味があると思いカードを切った。

そうだ、これはそういうアート体験なのだ。
ゲイツもいろいろ収集してそれをそのまま展示していたではないか。
これを家に置くということは私なりのアート表現なのだ。ドーン‼︎
(…という言い訳は嫁に通じるだろうか)

トーゴの置物
三沢厚彦コレクションに混ぜてみた


また変な置物が増えた…(そしてやっぱり嫁に怒られた…)



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