会期:2024年10月1日(火)〜12月22日(日)
同時期開催中のトーハク「はにわ展」から埴輪絡みの展覧会をハシゴする。
ちなみに今回、トーハクは「はにわ」、東近美は「ハニワ」としているので、この記事の中での包括的呼称としては「埴輪」とする。
トーハクの「はにわ展」は、「挂甲の武人」国宝指定50周年ということでそれを祝うために全国から集結した埴輪たちによる祝賀会のような展覧会だった。
全国の主要な埴輪はトーハクに出張中なのでこちらには何が展示されているのか、トーハクとの関連があるのか無いのか、埴輪つながりということで楽しみにしていた、…のだが。
1979年、ここ竹橋東近美の地下収蔵庫新設に先立って行われた発掘調査にて出土した土器から展覧会は始まる。
現在は国立歴史民俗博物館に収蔵されているようだ。フムフム。
松浦武四郎記念館所蔵の河鍋暁斎。
今年の静嘉堂文庫美術館での「河鍋暁斎展」にも出品されていた作品だ。
こちらにも野見宿禰登場。
こちらの作品は明治天皇陵の造営期と同時期ということで埴輪ネタを皇室に結びつけてくる。
明治天皇陵に奉納された埴輪が資料の中に登場。
そもそも埴輪は本来こういう意味合いのものだ。
ついさっきトーハクでそれと同じ型から作られたという実物を見たばかり。↓
…なんだかだんだんキナ臭くなってきた。
この《子持家形埴輪》も先ほどトーハクで見たが、ここの解説でもやはり無理やり日本軍とかに結び付けようとする企画側の恣意的な意図が見え隠れする。
「ハニワと戦争は表裏一体であった」って流石に無理筋ではないだろうか?
「皇国史観に基づく歴史記述の脱却と克服」とか「戦争体験を乗り越えていく過程において、歴史の読み替えに強く作用した装置」とか、なんだかこの辺りから企画側の露骨なストーリーが目立つようになってきた。
1954年の《埴輪 踊る人々》は、結構ヒビが入っている。
立体系の作品群。
イサム・ノグチや岡本太郎の陶作品が並ぶ。
左の岡部嶺男については、
とのことだが、そりゃあ戦前戦後を生きた作家だから、戦争についてのコメントもあっただろうけれども、それがこの作家の全てとも見紛うような切り抜きをしてまでもどうしても戦争に結びつけようとする強い意志を感じる。
この辺りになってくると、さすがにもうどのように戦争とか天皇とかにこじつけてくるのか、逆にある意味楽しみになってきた。
懐かしい品々。
キン肉マンやビックリマンシールあたりはかれこれ40年前くらいにリアルタイムで通ってきた。
どうなんだろ。
漫画やキャラクターはわかりやすい要素を抽出して省略したり強調したりするのがお家芸なだけで、当時の漫画家がそこまで意識して埴輪や土偶のイメージを使い分けていたとは思えないのだけれど。
そしてここに提示されたものだけが埴輪や土偶を扱った全てではないとも思うし。
もう完全に企画側との対立軸としての視点で見ている私がいる。
とことんねじ込んでくる。
そして展覧会最後の作品。
本展覧会が「発掘された土器片から始まった本展」として収束するならば、ここでは1979年の新聞記事にしなければならないだろうし、美術館が開館した年として結論づけるのであれば1952年の新聞記事でなければ意味がない。
だがここで「当館が開館した1950年代」と幅を持たせて、数ある田附氏の作品の中からあえてこのくしゃくしゃにされて泥が付いた上皇陛下の写真を展覧会の最後の作品として用いるところに企画側の悪意を感じる。
あえて言おう。
皇居の目の前で国立の美術館が何やらかしてくれてるのよ。
最初から最後まで不敬にも程があるだろ。
作家自身が何らかの政治的意図のもとに作品を作り、政治的な表現をすることはあると思うし、それはそれで良いと思う。それこそ表現の自由だよ。
(そのような作品は主張やパフォーマンスが先行して作品そのものとしての表現は脆弱なことが往々にしてあるが)
だが企画側が初めから多角的事象の一面のみを強調したような筋書きありきで、それに沿うように世の中に数多ある作品群の中から意図的に自らのストーリーに当てはまる作品を集め切り貼りして構成し、それが全てであるかのように歴史を語るのはいかがなものか。
中には日本美術史的にはほぼ無名な作品群の中から埴輪が描かれているというだけで無理やり見つけてきてこじつけのような解説を付している作品も少なからずあった。
そもそもそれらの作家本人はその当時本当にそういう意図で制作していたのだろうか。
企画側の主張が強すぎて、皇室のみならず出品作家への敬意も感じられない。
森美術館の「ルイーズ・ブルジョア展」でも企画側のストーリーが強く見えていて少し興醒めしたが、まあ森美術館は私立美術館だから言ってみれば尖った企画でも無理筋な主張でもなんでも好き勝手やればいいのだ。
それらが積み重なって美術館の個性になっていくし存在意義にもなっていく。
世の中にはさまざまな視点や思想がある。それはいい。
だが東京国立近代美術館よ、あんたはそれでいいのか。
はに丸で可愛く終わらせようとしてもダメだよ。
私は昔、青年海外協力隊に参加した時、出国前に東宮御所にお招きいただき皇太子殿下(現天皇陛下)への謁見を行ったことがあるので瞬間風速的に皇室との微々たる接点があるにはあるのだが、今も昔も取り立てて熱烈な皇室信奉者というわけではない。
だが神話も含めた日本の歴史には誇りを持っているし、日本国民として皇室に対しての敬意や、日本を作り護ってきてくれた先人たちへの感謝の意は持っている。
それはごく一般的な日本人の感覚ではないだろうか。
もやもやした気持ちのまま会場を後にする。
出口のミュージアムショップはこれもんだった。↓
おいおいおいおい。
これだよこれこれ。
これこそ今回トーハクがやらなければならなかったやつだよ。
なのにあちとらさんときたらすみっコぐらしとのコラボなんかで日和りやがった。↓
くそう、東近美め、なんか今回ムカついたから絶対金を落とすまいと心に誓ったのだが、
…むぐぐ。
ええい、ままよ!行ったらあ〜!!
また増えた。
(そして、また嫁に怒られた…)
いや、違うのだ、これはアーカイブなのだ。
つまり私が100年後に残したいものなのだよ…ボソボソ
(言い訳が以前と同じということで、嫁、さらにブチギレ…)
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