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子ども部屋の断捨離

念願であったIKEAのTROFAST増設が叶ったので、朝から子ども部屋の整頓を行った。

子ども部屋というのは、定期的に断捨離をしなければ、ものが永遠に増え続ける場所である。特に分散登園中の弟は、幼稚園に行かない時間の多くを工作に費やしているため、日々生まれる作品をどうするかは、非常に頭の痛い問題である。

つい先日は、Eテレのノージーのひらめき工房を参考に、ティッシュ箱を胴体にしたカブトムシとクワガタを作り上げたのだが、胴体から、足とツノやアゴが悠々と飛び出しているので、二体並べると結構な幅をとる。そんな代物が日増しに増えるので、昔の作品は処分して行かねば、収納場所はすぐに飽和状態になる。よし、整頓ついでに、断捨離やりきろうじゃないか。

断捨離の何が大変かというと、断捨離の実行者が決裁権者であることだ。長年、連れ添った所有物との永遠の別れを決めるのは自分。それが、自ら生み出したものであれば、別れのつらさは倍になる。私が自分のものを断捨離するときにはそう思うので、子どものものを勝手に捨てることはしない。愛着のあるものが忽然と消えたら、どれだけ傷つくかということが、容易に想像できるからだ。

子ども部屋の場合、断捨離の実行者は私で、決裁権者は子どもである。私は精神的にラクな立場である。今日は弟が判断を下さねばならない。「これいる?」と弟に尋ねながら、ひとつずつ「残す」「捨てる」を決めていった。

「すてる」「すてる」「すてる」とスイスイ答えるときもあれば、「うーん、どうしよっかなー」と、答えを出せずに困り果てるときもある。5歳児、一丁前に判断しているようだ。判断を尊重できるよう、場所づくりをするのが私のお役目。棚や収納の配置を変えたり、多数のおもちゃがぶっ込み状態の押入れ内を入れ替えたりする。

押入れの奥に追いやられたおもちゃは、存在さえ忘れられているので、久しぶりに日の目に出すと、弟が早速食いついた。古いおもちゃに気が逸れて、選別が疎かになる。「すてる」「すてる」「すてる」「すてる」…おいおい、いい加減になってないかい?あとで「ない!」と後悔してもしらないよ?「じゃあ、のこす」。どっちよ。そんなときも、必ず本人の意思を再確認して行動に移すことにしている。理由は前述したとおりだ。どうしても時間はかかる。結局、半日仕事になってしまった。

お昼過ぎ、無事に終了。すっきりした子ども部屋を見回して、気持ちが晴れやかになったのは私だけではなかった。山積みだった本や教科書の一切が棚に収納された兄の机。ものが何もない机がよっぽど気持ち良かったらしく、ゲーム中の兄の目を盗み、弟はそこで新たな工作を行っていた。今日もまた、新たな作品が世に送り出された。次の断捨離Xデーに向けて、脳内カウントダウンがもう始まった。




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