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伝統工芸の形式美と、シンデレラフィット

東京はお盆を迎えた。実家はお寺の檀家なので、お盆やお彼岸は、お坊さんがお経をあげに家まで来てくれる。だが今年は、家々を訪問することは控えているという。他国の教会でクラスターが発生したニュースがあったが、新型コロナの存在は、信仰の仕方にも影響を及ぼしていることを実感する。我が家は仏壇はあれども、そこまで敬虔な仏教徒ではないので(檀家なのにすみません)、「しょうがないね」というくらいなのだが、お盆やお彼岸は慣わしどおり行う。お盆さんのお迎え準備をせっせとする実母を、私と子どもたちも手伝った。

あれこれ準備がある中で、弟と盆提灯を出すことになった。納戸の上のほうからおろしてみたら、意外とずっしり重量感がある。ダンボールの中を覗くと、美しい桐箱が入っていた。なんだか背筋がピンとして、箱の前で正座になる。宝箱を開けるような気分で蓋を持ち上げると、幾つもに分かれた提灯の部品が、三層に分かれて収納されていた。厚紙が飛び出したり、へこんだりして、各部品の収納場所が決まっているようだ。組み立て図の裏面には、収納図も絵付きで描かれているくらいの複雑な収納。でも、なんともピッタリ入って気持ちいい。

収納位置を確認しながら部品を取り出す。そこからは工作好きの弟の出番。図を見ながら一緒に組み立てる。組木の組み立ては、凹凸がピッタリ合う瞬間が気持ちいい。手順を違えたら完成しないところも、謎解きのようで楽しい。弟もそこをおもしろがりながら、盆提灯は無事に完成した。

デザインの美しさだけでなく、組み立ての手順や所作に至るまでが盆提灯の美しさを形成している。伝統工芸の形式美に見惚れた30分だった。これは今風に言えば、シンデレラフィットだ。100円ショップで棚にピッタリ合う収納ケースを大人買いするのも、私は大好きである。形式にピチッとハマる気持ち良さは、ご先祖様から脈々と受け継がれてきた感覚なのかもしれない。


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