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反抗期男子に振り回されて、いつかオレオレ詐欺に遭うかもしれないと思った話

2020年の誕生日は、とんだバースデーだった話の続き。

母の誕生日を忘れ、さらにそれをごまかそうとした弟。大泣きして反省し、謝罪の意を示すと、安心してコテッと寝てしまった。彼が大きく安堵したのには理由がある。

泣いている弟の様子を見に行ったとき、「どうしてそんなに泣いているの?」と尋ねると、驚きの答えが帰ってきた。

「おかあさんがおこって、ぼくをパンチして、ぼくがしんじゃったらどうしようかとおもったの」。

え!? なんでそんなこと思うの?? 

なぜ、そんなこと言い出すのか訳がわからず、助け舟を出してもらおうと、隣にいた兄に声をかけた。

「お母さん、そんなことしないよ!!お兄ちゃん、お母さんはそんなことしないでしょ?」

「うーん、お母さんはやる可能性があるかもね」。

なんだって!?

どうしてこんなこと…。私は子どもたちにとって、そんなにも恐怖を与える存在だったのか。

「お母さん、そんなことしないよ!」

「でも、お母さん、昔まな板投げたことあるでしょ」。

あります。イライラしすぎて、賃貸の床にまな板を投げて穴を開けてしまい、血の気が引いたことが…。街中のコインパーキングのボタンを押さなければ気が済まなかった、兄の幼少期エピソードと同じくらい、我が家でネタになっている話だ。それを長年、親に危害を加えられそうになった話として捉えていたのだろうか。もしそうであったら、どうしよう…。

活発で言葉が遅かった兄の育児には、かなり手を焼いた。苛立つこともよくあったし、弟より断然怒って育てていると思う。誤った判断をする自分を責めることも多かった。でも、自分が悪いと思ったら必ず謝ってきた。兄が謝罪の意味を理解できない年頃から、抱きしめて「ごめんね」と伝えることは忘れなかったつもりだ。

しかし、想いは届かなかったのか。怒られた理由は忘却の彼方へ消え去っても、激しい剣幕で怒られた恐怖や悲しみは、心に刻まれてしまったのか。

「ふたりとも、お母さんのこと怖い?」

「おこるとこわい」と、弟。

そりゃそうだ。きみはそのくらいの感覚で言っていたのかな。要領の良い弟に激昂したことは一度もなく、恨まれる覚えも正直ない。

「小さい頃からずっと怖いと思ってた」と、兄。

やっぱりきみはそうなのか…。愛情が足りなくならないようケアしてきたつもりだったけど、兄の心には届いていなかった。私の隣でのびのび成長してくれていると思っていたのは、私だけだったんだ。

胸がいっぱいになり、涙を堪えきれなくなった。

「お母さん、いなくなったほうがいい?」

久しぶりに感情的な言葉が出てしまった。こんなことを言っても、埒が明かないのはわかっている。子どもたちは泣いて止めると、相場は決まっているからだ。母と何かを天秤にかけるのはダメなのに、言葉を止められなかった自分を責めていると、兄が口を開いた。


「うん」。


え…


なんだかんだ、いつも私の肩を持ってくれた兄。寝るときにはまだ抱っこを求めてくる兄。まさか、こんな風に反旗を翻されるとは思わなかった。いや、思わなかったのは私だけで、昔からずっと複雑な想いを抱き続けていたのかもしれない。涙が止めどなく流れ落ちてきた。

体中の塩分が失われそうになりながら、どうしても気になることを尋ねた。

「なぜそんなにもお母さんを怖いと思うの?」

「だって、まな板投げたから」。

「どうしてお母さんがまな板を投げたのか知ってる?」

「わかんない」。

ん?

「お母さんがまな板を投げた」という話を繰り返し聞くうちに、記憶に残ってしまったというわけか。その瞬間にトラウマがあるわけではないようだ。

今は理解できないかもしれないが、その当時の兄と私の日々、駄々をこねる子どもと新米お母さんのやりとりについて説明する。お母さんも1人の人間で、判断を間違うこともある。自分の善悪に当てはめたら悪なことでも、相手の状況を慮ったときに、間違いを犯した相手を許すこともある。自分が嫌だからと言って、相手のことを何も知らないままにダメと決めつけたり、攻撃したりするのは違う、と。

「お母さんが言いたいことわかる?」

「なんとなくわかった」。

何をどうすれば話が終わったと言えるのか、わからなかった。ただ、これ以上話をしても落としどころが見当たらなかったので、やめにした。

「なら、良かった」。

この間、反省の弁をつぶきながら泣き続けた弟は、あまりにも長い時間、泣くことになったものだから、ホッとしたらすぐに寝落ちしたのだった。


***


夜、夫に今日の出来事のすべてを話すと、話しながらまた涙が出てきた。つらい気持ちを昇華できない。感情が昂る私の話に黙って耳を傾けていた夫が、沈黙を破った。

「その話、なんかおかしくない?」

「え、そうなの?」

「だって、覚えもない出来事をそんなに恨むかな。後悔はあったとしても、そこまで恨むようなことはしてきてないよ。誕生日を忘れたことに焦って、また話作ってるんじゃないの?」

そういえば、以前に似たようなことがあった。2年生のとき、何十回も言っているのにしない、という態度に雷を落とすと、突然、学校でいじめられているという話を始めたのだ。その内容があまりにも具体的すぎて、信じ込んだ母。すぐに担任の先生に連絡を入れると、あまりにも先生がポカンとしているので、そこですべてを悟った。嘘を言って注目を逸らし、私の怒りを鎮めようとしていたのだ。

そうか。そうかもしれない!なんてこった!!

でも、いじめ話のときとはちょっと雰囲気が違う。前は自分がいかに可哀想かの演出をして、「可哀想な自分をこれ以上責めないで」というサインを出すに留まっていた。けれども今回は、明確に私を攻撃してきている。「お母さんはいなくなればいい」とまで主張してきた。

これが反抗期か!

「母の誕生日を忘れるなんて酷い!」と声高に訴える母を見て、悪いと思いつつも、面倒くさい、うるせー、いなくなれ、って思ったのかもしれない。確かにこの日の私は、一言でまとめれば「面倒くさい女」だった。

いじめ話のときは、先生との電話を切った後に話し合うことで、兄の深層心理を知ることができた。けれどもう「実はこう思ってたの?」なんて聞けない。反抗期ならば、心の内をすべて語り合うことが解決策ではないだろう。自分のときのことを思い起こせば、それは容易に想像できた。不要な追いかけは、いなくなれって言われるのがオチだ。

そういうことかー。気づかずに真正面からマイナスパワーを受けとめてしまったよ。兄が不安定になると、どうも気が気じゃなくなり、盲目になる。

ちょっとこれ、将来、オレオレ詐欺に引っかかってしまう気がしないか。男の声で、「お母さん助けて!仕事で大変なことがあって…」とか言われた日にゃ、心乱されてお金振り込んじゃいそうだよ。我が家にはオレしかいないし、余計に危ない。1人でいるのは危険だ。夫にはできるだけ長生きしてもらわねば。そういえば、娘しかいない家には、オレオレ詐欺の電話はこないのだろうか。「ウチは娘です」とか言ってあしらうのかな。とにもかくにも、私の周りには男しかいないから、心を強く持たねば。

なんて話していたら、少し元気が出てきた。気づけば日付は変わり、2020年の誕生日は過ぎ去っていった。

次の日の朝、起きてきた兄はいつも通りだった。淡々と朝食を食べ、登校の準備をしている。私も何事もなかったように接した。兄は玄関で、一言残して学校へ向かった。

「週末にホットケーキ焼くから」。


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