「本当にリスキリングが必要なのは誰なのか。低いレベルで異次元の人たち」

昨日このような発言があり、珍しく対応が速く更迭となったわけですが

岸田首相が衆院予算委で、同性婚について「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ。社会全体の雰囲気にしっかり思いを巡らせた上で判断することが大事だ」と発言した事について荒井氏に質問をしたところ

「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」
「社会に与える影響が大きい。マイナスだ。秘書官室もみんな反対する」
「人権や価値観は尊重するが、同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」

と発言しました。つまり先日の岸田首相の発言から繋がっているので、荒井氏の発言が更迭ならば、首相の「社会が変わってしまう」も辞めるべきレベルの発言ではないでしょうか。

「社会が変わってしまう」のではなく「変えたくない」が正しい表現ではないでしょうか。

同性婚を認めることに「どちらかといえば賛成」を合わせた『賛成』は全体の約6割。「どちらかといえば反対」を合わせた『反対』は約4割。『賛成』が『反対』を上回りました。

社会は同性婚賛成に動いているのですから、その社会を見たくない、見ようとしない、認めたくないというのが本音なのにも関わらず「社会が変わってしまうから」と自分が反対なのをぼかすやり口に出ているわけです。それでも失礼な発言である事には変わりありませんが。

そういう人が首相をしているわけですから、その周りに就いた人たちもやはり同じ考えと言うわけです。他の考えを認めない排他的な場所で、この国のあらゆる事を勝手に、自分たちの価値観だけで決めているわけです。

なので荒井氏のあのような発言も出て当然です。そんな人たちの中にいるわけですから、心の中では思うのは自由でもさすがに口にしてはいけないだろうという感覚さえもなくなってしまうからですです。使わない感覚は退化するのです。

「同性婚なんか導入したら、国を捨てる人も出てくる。首相秘書官室全員に聞いても同じことを言っていた」とも発言。同時に「LGBT(の人)も好きでなっているわけじゃない。サポートしたり、救ってあげたりしないといけない」と語った。

首相秘書官全員に同じ考えなのか確認してみてほしいし、性的少数者を好きでなっているわけじゃない「救ってあげたり"しないと"」というのは矯正する意味なのか、そこも確認が必要です。

これ以上追及されるのを避けるために更迭と言う形で切り離したのだと思いますが、同性婚に反対と言う姿勢の人が「救ってあげる」という発言をするならば、異性愛にするなど「治療できる」と思っている可能性もあります。

「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症」「(同性愛などは)回復治療や宗教的信仰によって変化する」「世界には同性愛や性同一性障害から脱した多くの元LGBTの人たちがいる」「LGBTの自殺率が高いのは、社会の差別が原因ではなく、LGBTの人自身の悩みが自殺につながる」「性的少数者のライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題だから」「同性愛の原因について、家庭環境、特に親子関係に問題がある」「同性愛者の母は、子供と密接な関わりを持つ親密な母や子供に対して過度に統制的で抑圧的な母が多く、同性愛者の父は子供との距離感があったり、敵対的、或いは子供に対して否定的な父が多い」などと書かれた冊子が配られました。

杉田水脈氏の進退も長い事そのままにしてあったので、性的少数者について発言しても問題ないだろう、一時的にニュースになってもすぐ忘れるだろうという程度の認識だったと思います。人を傷つける事に何も感じなくなっている人たちが、命や生活、教育などについて決めている事が本当に恐ろしいです。

政権への影響を問われ「ちょっと首相には申し訳ない。僕個人の意見として言って迷惑を掛けている。首相自身がそういうことを言っているわけでも、考えているわけでもない」と答えた。今後の対応については「慎重に、あらゆる発言を気をつけてやっていく」と述べた。

首相には申し訳ない(その前の「ちょっと」も問題を軽く見ている表れか)、あなたはどこを見て、誰に謝っているのかと絶句してしまいました。

人をナイフで刺し、目の前でその人が血を流して苦しんでいるのに、まず最初に職場の上司に「ご迷惑おかけしました」と言う人がいたらどう思いますか。

官邸で岸田のスピーチライターを務める荒井は、「普通の感覚」を大事にしているという。家族や高校の友人、ネット上の意見に至るまで幅広く情報収集し、いわゆる「世間」の相場観を知ろうと努めている。

「普通の感覚」とはいったい何なのでしょうか。この記事によれば、情報収集の範囲が家族という思いきり身内の狭い世界。そして高校の友人。友人となる人たち大抵同じ考えを持つ人が集まるわけですから、これまた狭い世界。ネット上は気を付けて見ていないと自分の好きな情報だけを集めてしまうので、これも偏ってしまいます。

市井の人の感覚という意味で「普通の感覚」と使ったのでしょうか、それとも異性を好きになるというのが荒井氏やその周囲の人たちの「普通」なのでしょうか、更迭してもこれで終わらせてはいけないし、尋ねたい事がたくさんあります。

まず、岸田政権は、持続可能で多様性を認め合う包摂的な社会を目指すということを申し上げてきました。今回の荒井秘書官の発言は、そうした政府の、政権の方針とは全く相入れないものであり、言語道断だと思っています。厳しく対応せざるを得ない発言であると思っています。

「普通の感覚」を大事にする人の差別発言は、「多様性を認め合う包摂的な社会を目指す政府の方針」とは違うので更迭となったわけですが、そうなると同性婚について「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と発言した首相自身が言語道断という事になるのではないでしょうか。

心の中で思っていたとしても、それを言って良いか悪いかを適切に判断していくのが大人です。まして政治に携わる人は言葉を大切にしなくてはいけないはずです。

武田砂鉄さんが天野祐吉さんの『テレビは嘘が嫌い』から引用していて

「政治の言葉やマスコミの言葉と言うのは、本当にもう言葉ではないと僕は思う。言葉の形はしているけど、あれはこん棒や石ころみたいなもので、人をねじ伏せたりかりたてたりするのには使えても、人間の心に届いてくるようなものでは全くないと思うのだ」

言葉は一度口から出たら戻せないんです。簡単に「撤回します」と政治家が使っているのを目の当たりにする事が多いですが、撤回なんてできないんです。

人権や言葉、人の心など、学びなおしが必要な人がたくさんいるようです。

まず荒井氏は自らの言葉で、今回の発言についての追及に答えなくてはいけません。そして岸田首相もご自身の「社会が変わってしまう」という事についてしっかりと答えるべきです。

自分の考えなのに「普通」とか「社会が」と他の人もそうだと拡大させる人には注意が必要だと改めて感じた一日でした。

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