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絵画の価値について考えてみる。

軽井沢安東美術館

先日、軽井沢へ旅行に行ってきました。
以前何度か軽井沢へ旅行したことがありましたが、ここ数年の私生活の変化や感染症の流行などもあり、GWに旅行へ行くのは久しぶりです。
新幹線を降り、ワクワクした気持ちで駅から宿泊施設までの道を歩いていたところ、道の反対側に以前まではなかった新しい建物が建っているのが見えました。
温かみを感じる赤茶色のレンガの壁面と、すっきりしたガラス張りのエントランスがとても印象的な建物で、ガラス窓には藤田嗣治の猫や少女の作品のビジュアルが貼られていました。
目を凝らして建物に書いてある文字を読んでみると、
「軽井沢安東美術館」
と書いてあるようでした。

個人が蒐集した、藤田嗣治だけの美術館

ホテルに着いてから早速スマホで美術館のWEBサイトを調べてみると、安東さんというご夫妻が個人的に蒐集した藤田嗣治の作品を常設展示するために建設された美術館で、昨年秋にオープンしたばかりであるということが分かりました。その数なんと200点あまり!個人でこれだけの藤田作品を集めるということも、そのための美術館を建設するということも本当に凄いことです。子どもも一緒の旅行で美術館へ一人で行くのは難しいかな?と感じましたが、是非行ってみたいと思って相談したところ、家族の行っておいでという気遣いのおかげで美術館へ行くことができました。

藤田嗣治と私

私が藤田嗣治という画家を初めて知ったのは、高校生の頃美大受験の予備校の夏期講習で人物油彩の課題をしていたときでした。浴衣姿の女性モデルを油彩で描く課題で、浴衣の女性=日本的な感じにしたいという考えから、日本画の絵を参考に平面的な感じで描いてみようと試行錯誤していました。そのとき、当時芸大の学生だったY先生が私の描いている絵を見て「フジタとか参考にしてみたらいいんじゃない?」と言って下さったのです。当時私は藤田について全く知らなかったので、フジタって誰?どんな画家なんだろう?と思い、早速予備校の図書スペースで画集を探してみました。そこで初めて見た藤田の作品は、まさに私がそのとき挑戦していた日本画のような平面的な美しさを油彩を使って表現しているものでした。西洋画の代表的なモチーフである美しい裸婦や、おかっぱ頭に丸い眼鏡の個性的な自画像、そして生き生きとした猫の絵がとても印象に残りました。

その後大学生になってから、2006年に東京国立近代美術館で開催された「生誕120年 藤田嗣治展:パリを魅了した異邦人」で、藤田作品を間近に見ることができる機会がありました。画集で何度も見ていた藤田の作品を生で見ることができる貴重な機会です。当時の私は自分の絵とは?ということを常々考えていたので、藤田の作品から何かヒントをもらえたらいいなという期待も持ちながら美術館へ向かいました。
実際に藤田の作品を見ながら、同時にその時代に世界で何が起きていたのかという説明を一緒に見ることで、その時代の空気感や藤田が感じたであろう様々な想いが絵に表れているように思われました。それはまるで激動の時代を生きた一人の画家を主人公にした、とてもドラマティックな映画を見ているような感じがしました。
藤田の代名詞である「乳白色の下地」が本当に陶器のように美しく、その上に面相筆で流れるような線で裸婦や猫が卓越した描写力で描かれている様や、後に藤田が国籍を変えるきっかけとなる大きな戦争画が凄まじい迫力で描かれている様を実際に生で見て、このような両極端とも言えるような全く違う主題を、その表現に合わせた技法を使い分けながら非常に完成度の高い絵に仕上げているという、画家としての職人的な巧みさに特に感動しました。
鑑賞後、私の中で藤田嗣治という画家は、1900年代という激動の時代に、いち早く日本を飛び出し、当時の洋画家の憧れの地であるフランスで、日本人の美意識を西洋の人々にも受け入れられる形で表現することに成功した、稀有な天才画家という認識となりました。

心の安寧・美術館建設のコンセプト

そのような認識を持っていた藤田作品を久しぶりに見ることになりました。
美術館に入ると、入り口のすぐ隣にカフェスペースも兼ねた動画視聴コーナーが設けられており、10分程の藤田の生涯を紹介する映像をコーヒーを飲みながら見ることができました。その後順路によって進むと、美術館の創設者である安東夫妻と館長の挨拶文と、実際にご自宅で作品たちが飾られていたときの映像が流れており、この美術館がどのようなコンセプトで建てられているのかということをよく理解することができました。
特にそのご自宅の映像が興味深く、リビングやキッチン、廊下の壁のいたるところに(と言っても富裕層のご自宅なので大変立派です)藤田の絵が普通に飾ってある様子は、美術館でしか藤田の作品を見たことがない私にとっては驚くべきことでした。その様子から、夫妻が藤田の作品を非常に大切にしていることも伝わってきました。
館長の挨拶文によると、

現在、世界中で活発に取引されている藤田の作品ですが、安東氏にとって藤田の絵は、専門家の評価や投資の対象ではなく、手元に置いてずっと愛でていたいものでした。投資ファンド会社の経営者として、日々、厳しい金融の世界に身を投じているなかで、家族とともに藤田のかわいい猫や少女たちと向き合う時間は、この上ない癒しだったと言います。こうして、安東邸の壁面には一枚また一枚と、藤田の作品が掛けられていきました。

藤田の絵に囲まれて過ごし、癒しと至福を感じる中で、ふと「自分が亡くなった後、この作品たちはどうなるのだろう」と不安を感じることが重なり、「我が子のような作品たちを散逸させたくない」という想いは、やがて美術館建設の志を芽吹かせます。
用地の取得から始まり、実際に建設に着手してから完成までの道のりは長く、途中コロナ禍もあって決して容易なことではありませんでしたが、夫妻の想いを形にしようという周囲の協力によって、こうして無事に開館を迎えられることとなりました。

https://www.musee-ando.com/greeting/

と書かれており、この美術館は上記のような専門家の評価や投資といった「外的要因」を起点にしているのではなく、安東夫妻の個人的な愛情や癒しといった「内的要因」を起点として蒐集された作品を、さらに多くの人々に鑑賞してもらい、心の安寧を感じてほしいという目的で建設されたということを知り、とても今の時代を感じるコンセプト(シェア意識)を持った美術館であるなと感じました。

聖母子・普遍の穏やかさへの祈り

展示室は大きく4部屋に分かれており、それぞれの部屋は緑、黄色、藍色、赤といった、安東夫妻のご自宅の壁紙をイメージした壁面になっていて、そこに年代順に藤田の作品が展示されていました。
最初の緑の部屋は藤田がフランスに渡って最初の成功を収めるまで。まだ画風を模索中の風景画や、過去に私が見た「乳白色の下地」の裸婦もありました。久しぶりに見ましたがやはりすごい描写力です。面相筆の線の迷いのなさに驚きます。
次の黄色の部屋は世界を旅をしながらどんどん画風が変化していく時代。中南米での作品や、ニューヨークで描かれたガラス絵、軽井沢で描いたドローイングなども展示されていて、安東コレクションの幅の広さを感じました。
次の藍色の部屋は照明が一段暗くなっており、主に聖母子を描いた作品が並びます。展示室の奥まったところはまさに教会のような雰囲気で、座って鑑賞できるように長椅子も用意されていました。そこには藤田が最晩年に手掛けた、礼拝堂の壁画の下絵もありました。
藤田は1950年代に再度フランスに渡り、フランス国籍を取得、そして改宗しています。この展示室にある作品はその時代に描かれたものでした。
「私が日本を捨てたのではない、日本が私を捨てたのだ」
この言葉から感じるのは、どれだけの悲しみや失望を藤田が味わったのだろうか。ということです。当時の世界情勢による社会の雰囲気や日本の美術界の空気感など、なかなか現代の自分が想像することは難しいですが、日本人であることをやめるという決断をするというのは余程のことであったのだろうなと思います。
戦争画制作の責任を問われたことがきっかけで、そのような人生の流れとなっていったということは知識としては知っていましたし、学生時代に見た展示でもその戦争画を見ていました。そのとき同時に、聖母子の作品も一緒に見ていたはずですが、やはり戦争画のインパクトが強く、聖母子の作品は当時の私にはあまり印象に残りませんでした。
しかし、そのときは感じなかったことを、今回この穏やかな聖母子を眺めているうちに感じられるような気がしました。この絵を描くに至った藤田の心情を、ほんの少しですが想像できるような気がしたのです。
それは私自身も大学を卒業してから今に至るまで人並みにいろいろと経験を重ね、人生の光と影について想いを馳せることが少しはできるようになったからかもしれません。
光の輝きが強ければ強いほど、影もまた濃く深く表れるということに。
晩年描かれた藤田の聖母子から感じられる祈りは、ドラマティックな人生を歩んだ藤田が最終的に到達した、普遍の穏やかさへの祈りのように私には感じられました。

猫と少女・日常への愛情

次の赤い部屋は今までの展示室の中で一番広い空間で、主に晩年に描かれた猫と少女の作品たちがずらりと展示されていました。どの作品からも前室の聖母子と同じように、画家の穏やかな日常に対する安穏とした気持ちや、身近な小さなものに対するこの上ない愛情を感じます。
作品サイズは比較的小さめですが、猫の躍動感やユーモラスな姿、少女が着ている衣服の素材まで感じさせる繊細な描写など、藤田の巧みな技が随所に感じられる作品ばかりです。
ゆったりした大きな革のソファーも置かれていて、解説によると安東夫妻のご自宅をイメージした空間になっており、鑑賞者にゆったり寛いで作品を楽しんでほしいということでした。そういった趣旨により壁にキャプションはなく、より作品を感覚的に楽しめるようになっており、この部屋が一番美術館の基本コンセプトを表現している空間なのだろうなと感じました。
この部屋には安東夫妻が最初に購入した版画作品も飾られていて、この作品との出会いが今この美術館建設に繋がっていくということに私は非常に感動しました。ここで入り口にあった安東夫妻の挨拶文を引用すると、

人間には、自分の力ではどうにもならないような運命、あるいは、人間の性である人間同士の嫉妬や欲望に翻弄されて道に迷うことがあります。

私たち夫婦は、そんな悩みや苦しみを、自宅でフジタの猫や少女たちと語らいながら乗り越えてきました。
エコールド・パリの時代に名声を博したフジタもまた、愛する人との別れ、二度の戦争、一部の人々の嫉妬など数々の予期せぬ事態に翻弄されました。晩年フジタが描いた可憐な猫や少女たち、そして気高い聖母子像の数々は、それらの困難を乗り越えてフランスに終の棲家を構えたフジタが到達した桃源郷で描かれたものであり、それゆえに私たちに共感を与えてくれるのではないでしょうか。

https://www.musee-ando.com/greeting/

と書かれており、安東夫妻もまた藤田と同様に人生の光と影の中で傷ついた心を、藤田の描いた作品を見ることで癒されてきたことが分かります。生きた時代も違うし、直接の面識もない人々の心が、言葉を交わさずとも画家の魂が刻まれた絵画を媒介にして時空を超えて繋がっていく。これこそがアートの持つパワーであると心から感じ、私もそんな藤田と安東夫妻の心の交流をこのような形で見せていただけたことにとても嬉しくなりました。
人と人の出会いが人生を変えるご縁になることもあるように、作品との出会いもまた人の人生を変えるのだということに、とても壮大なものを感じました。

猫と少女の作品がずらりと並ぶ、なんとも贅沢な空間!

絵画の価値とは?

久しぶりに藤田の作品をじっくり見ることができ、以前学生時代に見たときとは違った印象を抱いたことに気が付きました。
以前は藤田の栄光の時代の作品群に表現される、そのテクニックの巧みさやテーマの華やかさ、藤田自身のキャラクターの強さなど表面的な部分に興味関心を抱きましたが、今回はやはり晩年の穏やかな作品群の持つあたたかさや、そのような絵を描くに至った藤田の心情の経緯といった深い部分にとても心が惹かれました。
自分自身もここ数年で、そういった日常のあたたかさや穏やかさの持つ価値の大切さに気付き、大きく価値観が変わったのだと思います。
絵画というのは、見る人の精神性によってその価値は変わってくるのかもしれない。それが個人の意識だけではなく集団の意識として大きく変わっていった場合、その絵画の社会的価値も同様に大きく変わるものなのかもしれないと思いました。
そして、どのように人々の価値観が変わろうとも、藤田のような稀有な画家がその生涯を通して描いた作品には、人生の光と影の中で懸命に生きた画家の魂がその一筆一筆にこめられているからこそ、どのように時代が変わろうとも決して古くはならないし、どの時代の人々にも共感を感じさせるような普遍性があるのではないかと感じました。
自分自身絵を描いて発表している身なので、そういった人からの評価や反応という部分は決して無視できないと考えていますが、そういったことに悩みすぎるときは、自分の人生にまっすぐに向き合うことこそが前に進むヒントになるのかもしれません。何よりも自分の心を一番大切に。
藤田の作品はそんなことを私に教えてくれたように思いました。

そんなことを考えながら美術館を出ると、偶然にも入り口の前に下の子を抱っこした夫が通りがかるのが見えました。ホテルの部屋の中にいるのに飽きて外へ散歩に出かけたところで、ちょうど美術館の前を通ったときに私が出てきたそうです。
先ほど見た藤田の小さな女の子の絵を思い出しながら、人と人の見えない繋がりのようなものをまた感じ、なんだか不思議な気分になった一日でした。

追記1
最近ハマっている星読みyujiさんの影響でホロスコープの本をよく読んでいます。美術館で藤田の年表を見ながら、藤田のネイタルチャートについて想像する(やっぱり冒険を好む太陽射手座生まれだ!海外で活躍しているから9ハウスに天体があるのかな?とか、自己表現の5ハウスにトラサタがいるのかな?それともドラゴンヘッド?とか)のがとても楽しかったです!価値について想いをめぐらす…というのも、もうすぐ牡牛座に木星が移動するからその影響かもしれません。ホロスコープとっても面白いです!

追記2
その後藤田のホロスコープを面白半分で調べてみたところ、なんと射手座に太陽、月、水星、金星の4つもの天体が入っていることが判明して驚きました!藤田が世界中を旅しながら絵を描いていたのは、この射手座オーバーロードからなる冒険心と探求心からだったのかも…。
こんな風に偉人の行動心理を想像できる星読みは本当にすごい!

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