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学校の現在地/1-英語学習の問題/【2-学習全般の問題】/3-人の成長

英語の学習について、前記事で書きました。

ではその2です。


「2-学習全般の問題」

では英語以外、もしくは英語含め、学習全般で何が起きているのでしょうか。

ひとまず、思考しない人、を多数、生み出す教育が行われていると言えば、大はずれはしないでしょう。

思考しない人は、主体性を持ち自ら考え行動する、というような、社会(この場合は企業)が求める人材になることは、まずありません。

(あるとすれば、全く違う場所で、全く違う学びに出会えた時、つまり、偶然とか奇跡、といった類。多くのこの手の問題を考えるとき、こうした外れ値を参考にすることはありません)


学習においてはもう一点。

勉強が"よりできなくなる"方法をし続けている、というのも特徴でしょう。

強いトップダウンからの、課題・宿題による極端に管理された学習がその良い例です。

最適化が行われていないアナログの管理教育下では、個々に本当に必要な学習内容を学習していくことは、不可能に近いでしょう。

いずれAIによる最適化がなされるとしても、今のところ、デジタルでも明示されるものは、多くの場合、「ここを間違えたから、ここを勉強しなおして」という単調なものに過ぎません。

本質的には、そもそも概念の理解にまで遡らなければなりませんし、「理解」の領域に踏み込むことは、現状のデジタルでは難しいでしょう。

ですから、現場の管理され過ぎた受け身の教育は、今、無意味耐性(無意味なものをひたすら耐えるだけの能力)を鍛えるだけ(内田樹氏の言葉を借りる)にとどまるでしょう。

同時に、懸念されるのは、わからない、できない、が許されない、見逃されない、という問題です。

学習における能力差、いわゆる地頭のよさの違い、は、必ず存在します。

ある子は、中1でも中2の内容を理解できますが、ある子は、中2でも中1の内容理解が届きません。こんなことは、日常、ざらにあります。

(僕が近年述べている通り、今は、2学年下くらいの能力の子に、当該学年の教科書を教えている感覚が強い)

この差を考慮しないまま、「できないこと」「わからないこと」が「見逃される」ことなく、学習を管理され、強要・強制される子どもたちは、多くの場合、メンタルに支障をきたしていきます。

現実問題として、そういう風に、メンタルのバランスを崩した子たちが、多く存在します。

これがどの段階で来るかは、その子の能力に応じて、ということになるでしょう。能力の壁のようなものといえばいいでしょうか。
優秀な子ほど、後々になって、それが来てしまいますから、むしろその方が厄介であったりもします。

特に、小中高一貫して、課題宿題、思考を要さない指示命令型、強制、強要の学習スタイルになってしまっていますから、学年が上がっても、力が伸びていない。
それなりに学習の難易度が上がった際に、そのことに気づいても、もう遅い、むしろ、壁のようなものが来るタイミングが遅い子ほど(つまり優秀な子ほど)、苦しむことになるのです。

こういった具合に、勉強ができるようにならない方法で学んできた子たちは、今、非常に大きな困難とリスクにさらされていると言えるのです。


勉強すれば勉強するほど、勉強ができなくなる。

今行われていることは、そんなふうに見えてしまうのです。



思考できない人づくり、
主体性を奪う学習スタイル、
メンタルを病む学習スタイル、
苦しいのに学びにもつながらない。


私たちのチームメンバーは、そのようなわかりやすい現状を毎日のように目にして、頭を悩ませているところです。(少なくともうちに来て学んでくれる子だけは支援できますが、これでは地域全体は救えない、どうしたものか。)

さて、この現状を、みなさんはどう考えますか?


(その3に続く) FB投稿より



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