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先天的能力と消費/誰が東大に入るわけではない/親であるあなたが今、意識に上げるべきこと

わかりにくいお話を。


今、親御さんが「意識に上げなければならないこと」、現代、経済活動が行き着くところまで来ていている時代だからこそ、意識に上げねばならないことついて書いておきましょう。


それは、”全員が努力をして全員が東大に入れるわけではない"ということです。


別に東大である必要はないのですが、ひとまずわかりやすくするためにそうしておきます。


受験と受験に関わる勉学は、普段から述べている通り、一つのルールのもとで行うある特定のゲームです。
もちろん、受験系の勉学が、人の学び、勉学の全て、というものではなく、むしろその逆で、ほんの一部に過ぎません。

当然のことながら、ここには、向き不向きも得手不得手も存在します。


わかりやすい例は、研究者と呼ばれる人たち。学問のトップ層であると思われる彼ら・彼女たちも、皆が皆、受験のような勉学が得意なわけではないのです。


自分の周囲を見渡してみてください。
わかりやすいことではあるのですが、その中であなたが賢いと思う人は、どんな人でしょうか?

あなたの基準で、その人たちを無理やり「賢い順」に並べてみるとして、それは、受験の得意順、受験の偏差値順に並んでいるでしょうか?

多分、そんな風には並んでいないんじゃないかと思います。


つまりそういうことです。


受験やテストに関わる勉学は、非常に特異なゲームであり、種目なのです。


勉学という世界に限ってみても、その中での、特定のゲーム、いち種目にすぎないのですね。

受験に関わる勉強、それこそ学校のテストや成績を、全ての基準と捉え、学びを判定することなど、到底できないのです。

だから、我が子が、点数が取れないから、偏差値が低いからといっても、それはただそれだけのこと。
受験系の勉学、いわゆるテストで測るような勉学が得意ではないというだけのことなのですね。

何事においても、それが得意な子もいれば、苦手な子もいます。
受験系の勉学が苦手というのは、ただそれだけのことに過ぎません。


だとすると、そのことで、学びや勉学の全てを判定してしまうことをまずは避けなければならないのです。


だからこそ、常に学びの本質に立ち返る必要があるのだとも言えます。

受験系の勉学が苦手だからと言って、本当に、勉学を投げ出しても良いか?と言われれば、"それは違う"と答えるはずです。

勉学、総じて言えば「学び」という言葉の方が合うのでしょうけれども、勉学には、受験系の学習にとどまらない重要性があるわけです。

その大事さ、重要性に目を向けなければ、東大を永遠に追いかけ、「我が子が東大に入れない」ことを、「永遠に悔い続ける」ことになるでしょう


点数や偏差値が幾つであろうと、学んだ内容や身につけた学びには意味があるはずです。
ですから、学びにおいては、その本質をいつも見なければなりません。

ここでの問いは、もちろん、先天的な能力と後天的な能力、この2つの能力への問いでもあります。

先天的な能力の違いというのは、当然ある。
ところが、「東大ばかりを追っている」とそれを忘れてしまう。


「いえいえ、うちは何も東大までは考えていません」と言われるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。


東大と言わなくても、それが、100点のテスト、5の通知表、いえ、90点のテスト、4の通知表、いえもっと、平均点、そうしたものであっても、同じです。

所詮はどれも、当の本人(子)ではなく、あなたの基準に過ぎないからです。


あなたが「このくらいは(点数や通知表が取れて欲しい)」と思っているだけ。
子どもによっては、通知表の5は東大と同じであったり、90点のテストはMITと同じ、偏差値60はオックス・ブリッジに匹敵するかもしれないのですから。

真の基準は、子どもの中にしかありません。 

彼、彼女自身の先天的な能力の部分に応じて、本人だけが基準を持ち得るのです。


もちろん、後押しできるのは、後天的な能力、つまり、生まれつきではなく、トレーニングを積むことで伸びる部分の能力です。

そこをしっかりと支えていく、サポートしていくことだけが、大人の側にできることです。


(なお、可能であれば、子どもの先天的能力を見定めつつ、必要なサポートができるのが理想だと言えるでしょう。これは、子どもの現状の力に合わない、難易度のかけ離れた問題や教材をやらせてしまう悪手、よくある都市型の(おそらく教育虐待に近い)受験に関わる代表的な問題につながるものです。力の見極めは、少し難易度の高い問いになるので、この辺りは慎重に。無理な場合は、そこではなく、現状を承認してあげること、その上で目標を確認して、どこを目指しどう取り組むかを(主として本人が)考える、大人はそのサポートに徹するのが、もっとも現実的な方法になります。)


さて、本題。

おいおい、ここから本題かよ、と突っ込んでください。


冒頭で、”現在、経済活動が行きついている”という点に触れました。

そのせいで、実は、私たち大人は今、”全員が東大に入れると思い込む問題”に直面してしまうのです。

なぜか。

その鍵は消費にあります。


私たちの人生における活動は、消費という行動で満たされるに至りました。

その象徴として、あらゆるところに登場する、または潜む、「広告」があります。広告は、企業が大衆に消費を促そうとする代表的な手段です。つまるところ、消費が私たちの行動の柱のようになってしまっているのです。今や、消費とそれを促す企業広告の存在しない場所を探す方が難しいはずです。


消費は、かけた金額に応じて、benefitが確実に手に入るもの、の一つです。もちろん、過大広告に騙されなければ、ですが。


あなたが10万円を持っている。
冷やしたものを保存したいので、冷蔵庫が欲しいとします。

10万円でこのくらいの機能を持った冷蔵庫が買える、ということは、買う前からはっきりとわかります。
そして、見事にそれは裏切られることなく、冷蔵庫は「必ず」モノを冷やしてくれるはずです。

さらにあなたは何年か後、今度は予算が増えて、20万円で冷蔵庫を買うことになります。
そうすると、20万円にふさわしいさらに便利な機能を備えた、以前のものよりもハイスペックなものを買うことができるでしょう。

当たり前ですよね。

そう、詐欺に遭わない限り、過大広告に騙されない限り、あなたは、投じたお金に比例して、それなりのスペックの商品が買える、benefitが得られるわけです。

それが消費です。

特に、”経済活動が行きついた”と書いているのは、私たちの価値判断は、市場での価値、つまりお金に依るようになってしまったということの示唆です。

あらゆるものをお金に換算して考える。お金にならないもの、置き換わらないものは、無価値であると切り捨てる。そんな傾向がバブル期を頂点に極まったと言えるでしょう。

そのくらいに、消費を軸にした生活を私たちは送るようになってしまった。


さて、あなたは、これが勉学に何の関係があるの?と不思議に思われるかもしれません。

考えてみてください。

私たちは10万円を投じれば、10万円分の、20万円を投じれば20万円分の機能が確実に手に入ることを知っています。20万円の冷蔵庫を買ったのに、ものを冷やしてもくれない、ということは基本的にはあり得ません。かつ、10万円程度のものと同じじゃん、みたいなこともない。もしあってもそれは市場で淘汰されていく。

つまり、支払った金額に応じて、欲しい機能が手に入るのです。

単純に考えると、これらは比例的であるとも言えますね。

この消費における意識が、私たちの多くの場面に影響を与えてしまうとしたら、どうでしょうか。


例えば、子どもが、10の努力をすれば、それに応じた成果が「必ず」上がる、20の努力をすれば、それに応じた成果が必ず上がる、と考える。
それもわかりやすく、比例的に。

消費という行為では、これは裏切られない。

10万円の冷蔵庫は、10万円分の、20万円の冷蔵庫は、20万円分の益を「必ず」もたらしてくれる、これは裏切らない。


一方、大人は子どもの学習においてこう考える。

子ども本人が、10の労力を投じれば、10の結果が、20の労力を投じれば、20の結果が出る。もし20の結果が出ていないのは、20の努力をしていないせいだ、と。

本当にそうでしょうか?

30の努力があれば、30の結果を得られるでしょうか。100の努力を、200の努力を、と続けていけば、100、200の結果が出る?

それは、いずれ、「皆が東大に入れる」ことへと繋がっていきます。


私たち大人は今、消費行動の価値基準をあらゆる事柄の基準に当てはめようとしてしまいがちです。

そこにあるのは、投じた金額に応じて、比例的に、欲しい機能、benefitが手に入るという意識です。


しかし、我が子の学習は消費のようにいきようもありません。
先述の通り、先天的能力の問題は、いつもそこにあるのです。


ところがそれを無視して、我が子の能力が、受験系の勉学という特異なゲームにおいて、無制限に、伸び続け発揮されうると考えてしまう。

もっと他のゲームなら、もっと能力が発揮されるかもしれないし、他の種目なら、先天的な能力だって高いかもしれない、さらには後天的に能力が伸びやすい分野があるかもしれない、そうしたことは、すっかり忘れ去られたままに。


全員が東大に入れるかもしれない病に、あなたは苛まれていないでしょうか。無意識のうちに。


これは、そんな消費ピーポーな日本人である、僕を含めた、あなたのためのお話です。


(おわり)


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