
男性よ、紳士であれ
こんにちは、日伊通訳マッシ(@massi3112)
今日はイタリアと日本の紳士さのことを書きたい。
イタリア人として、女性に優しく紳士であることは当たり前のことだ。
この精神は、僕が幼い頃から言い聞かせてきた父親の影響だ。父親の背中を見て育った僕は、女性に紳士であることと同時に、人に優しく助け合いながら生きることが当然として生きてきた。
日本に来て思ったことは、僕の当たり前が当たり前ではないということ。
ある日、いつも行くミスタードーナツで顔見知りの店員さんがいたので、挨拶した時のこと。
いつもと違う、ドーナツを作る作業服を着ていたので、僕は「あ、可愛らしいね!」と言った。
いつものミスドで、いつもの可愛い店員さんとの会話
— マッシ 🇮🇹🇯🇵 日伊逐次通訳者 (@massi3112) October 3, 2019
店員さんがドーナツを作る作業服で対応してくれたから、パッと見て「あ、可愛らしいね!」と言ったら嬉しそうな顔で「何を言ってるんですか!もうお上手ですね。褒めても何も出ないですよ☺️」って。
女性はどうしてこうもチャーミングなんだろう!
僕にとっては当たり前のことだ。その女性を見て褒めることは、挨拶に等しい。
するとその店員さんは顔を真っ赤っかにさせて、笑顔で喜んでくれた。僕にとっては、ドーナツよりもその笑顔を見れただけで、お腹いっぱい胸いっぱいになった。ドーナツはもういらないとまで思った。(もちろん、そんな迷惑なことはせず大好きなハニーディップを買った。)
「女性には紳士であるべき」という精神は父親に子どもの頃から教えられて育った。僕にとって当たり前だけど、来日してびっくりしたのは「当たり前ではない」。
— マッシ 🇮🇹🇯🇵 日伊逐次通訳者 (@massi3112) October 11, 2019
いつでも女性が優先。僕の優しさは当たり前に相手のためにある。その先にいい思い出と素敵な笑顔が残れば、僕の人生は薔薇色。とてもいい影響になるのだ。
だから、女性の笑顔がなければ僕は生きていくことができない。生きていくために、紳士に情熱と愛情を持たなければならない。
女性に優しくない男は男ではないのだ。
僕が感じていることは、多くの日本の男性は女性をアクセサリーとして意識していることがあるということ。自分の自慢が多く、相手を知ろうとすることを最初からしない。
見た目よりも心に気を配るべきだ。自分の存在は相手のためにある、相手の喜びが自分の喜びであることを理解するべきだ。
見栄や意地は必要ない。かっこつけず、ありのままの自分の方が、失敗しない。
男性たちには紳士であってほしい。自分が楽しく生きていくために。
Massi