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させていただきます

社会人になりたての新人研修の時の話だ。研修は1週間くらいあって、各部署の先輩方のありがたいお話を聞く。

とある部署では30代過ぎの爽やか系イケメンの先輩が研修をしてくださった。ハキハキと話し、原稿を眺めているといった感じもなかったので好印象だった。だが、話を聞いているうちにあることが気になってきた。

「それでは説明をさせていただきます。」「次のスライドへ移らさせていただきます。」「説明を終わらさせていただきます。」といった具合だ。やたらめったら「〜させていただきます」を連発していた。

確かに「させていただきます」はとてもへりくだっていて、それ自体では丁寧な言葉ではある。だが、あまりにも多く連発されると、どこか早口言葉を聞かされているような感覚になって、丁寧さが失われるなと感じた。

おそらく、本人は丁寧で綺麗な研修にしようと思っていたと思う。まさか「させていただきます」が悪影響を与えている(私だけかもしれないが)とは思っていないだろう。なぜ丁寧な表現を使っているのに、印象が悪く感じてしまうのだろうか。

他にも、食べログを見ていると「アクリル板を設置させていただいております」という記載のある居酒屋があったが、そこをへりくだる必要はあるのだろうか。どちらかと言えばアクリル板は客側の利益(飛沫の飛散防止)につながるものだろう。なぜそんなにも下手にでるのか。

こんなモヤモヤを抱えながら過ごしていたが、最近とある本に私が思っていたことと同じ文章を見つけた。

それは鴻上尚史氏の『「空気」と「世間」』の中にある一節だ。

 この前、テレビを見ていたら、ジューサーミキサーを通信販売していて、紹介する女性司会者が、「今日は、新製品のジューサーミキサーを紹介させていただきます。では、さっそく、このオレンジをミキサーにかけさせていただいて••••••これをコップに注がさせていただいて••••••飲まさせていただきます」と仮面のような微笑みで語っていました。
 どこまで「させていただく」と言い続けるつもりなんでしょう。そこまで「世間」にへりくだって、息苦しくはないのかと、正面から聞きたくなります。(この場合の「世間」は、テレビという性質上、不特定多数の「日本という世間」でしょう。もしくは、いつもテレビショッピングを利用してくれる「常連という世間」です)。
 もし、「世間」というものが人格を持っていたら、この女性司会者に向かって「ねぇ、慇懃無礼って言葉、知ってる?バカにしてるでしょ」と突っ込むはずだと僕は思っています。
 だって、あなたの目の前で「このジューサーミキサー、使わさせていただいていいですか?じゃあ、オレンジを入れさせていただいていいですか?コップに注がさせていただいていいですか?飲まさせていただいていいですか?」と言われたら、あなたは、相手を「ああ、本当に丁寧で礼儀正しい人だ」と思いますか?
 それは、じつは、会話ではなく、にこやかな「独り言」なのです。「〜させていただく」という待遇表現がいつのまにか、当たり前になってしまいました。「ここで休憩します」ではなく、「ここで休憩をとらさせていただきます」という言い方が定着しました。定着しましたが、僕はその言葉をきくたびに、「誰にへりくだっとるんじゃい。誰の許可をもとめてるんじゃい。誰が許さんのじゃい」といつも苦々しく思っているのです。
 そして、飲まさせていただきますと、4回もの「〜させていただきます」を連発する女性司会者は、快適なのか、と思うのです。「世間」のご機嫌を取って、丁寧に言い続けて、快適なのか。
 僕は「〜させていただきます」と連発すればするほど、言っている本人は息苦しくなっているとしか思えないのです。仮面のように張りついた笑顔がその証拠です。「〜させていただく」と連呼すればするほど、人はサイボーグのような建前の顔になっていくのです。本音のコミュニケイションから離れるよそよそしさを実感します。
 そして、4回も待遇表現を捧げる「世間」を、人々は本当に求めているんだろうかと思うのです。

この引用した部分は私がまさに思っていたことだ。「させていただく」は確かに丁寧であるが、何度も頻繁に繰り返されるとしつこく感じて、本当にそう思っているのかと思ってしまう。また、あまりにも「させていただく」と言われ過ぎると意図的に距離を取られているようにも感じてしまう。

先述の研修では「〜します」「〜いたします」と言えばよかったのではないかと思う。仮にも先輩職員がペーぺーの新人に研修をするのだから、新人という「世間」にそこまでへりくだる必要はまったくない。

「させていただく」は丁寧で礼儀正しい言葉ではあるが、その使う相手や頻度には気を付けた方がいい。かえって、悪い印象を与えてしまうかもしれない。へりくだり過ぎないのも世渡り術の一つなのだろうか。


記事を終わらさせていただきます。



【参考】
鴻上尚史『「空気」と「世間」』2009年 講談社

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