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脱炭素の必然性

「自動車」「マイカー通勤」「ドライブ」「カーライフ」という言葉をよく聞く。これらは常に我々の憧れであり、豊かさや便利さを象徴する言葉である。自動車があると便利であるし、自動車を操ることや自動車に乗って出かけることはその悦びや魅力とともに語られることが多い。

確かに、私も自動車は便利でも喜びでもあると考えているが、そういった綺麗な一面の裏で、いつもガソリンのことが心配になってしまう。ガソリンはいつか無くなってしまうのではないかと。

巷では電気自動車が増えて来ているが、純粋なな電気自動車でみればまだまだ少ない。やはりガソリン車が多く、ハイブリッド車やPHVは電気を使いながらも、ガソリンを消費する。

車の燃料であるガソリンは地中から掘り起こす石油によって作れるものである。地中から掘り起こしているということは、もちろんその数は有限である。となるといつか石油が無くなり、ガソリンが精製できなくなるということだ。

上記のEnergy Shiftというサイトによれば、

1956年、アメリカの地球物理学者ハバート氏は「資源には限界があり、石油生産量は1970年代前半にピークに達し、その後は減少する」とする『ピークオイル論』を発表しました。それから約半世紀が過ぎた現在も変わりなく石油を使えているのはなぜでしょうか。

石油が限りある資源であることは変わりません。世界でのエネルギー消費量は年々増加しています。このままでは近い将来、石油が使えない生活になってしまうかもしれません。ちなみに、2018円末時点での石油の可採年数は、あと50年という統計データが発表されています。

上記のように記されている。記事ではピークオイル論に言及されているが、石油量の限界については今まで様々な説があった。それでも、今も変わらず石油が手に入るのは新たな油田の発掘やシェール革命(シェール層という岩石に含まれる石油を採掘できるようになったこと)によるものだとされている。

とは言っても、2018年時点の統計では50年分しか残っていないとされており、当たり前であるがずっと永続的に手に入るモノではない。


私は自分で自動車に乗るたび、また自動車の便利さや悦びに触れるたびに、石油の有限性を思わずにはいられない。我々の豊かさは、今現在、この石油によって支えられているのであり、石油が無くなればそれはすぐに失われる儚いものなのである。そこにもっと多くの関心を寄せたほうがよいのではないだろうか。

電気自動車の話になれば「やれ充電スポットが無い」「やれ航続距離が短い」「やれバッテリーに不安がある」と言い、「ガソリン車の方がいい」という意見をよく目にする。

確かにそうではあるが、石油がいつか必ず無くなるという事実からすれば、そのような電気自動車の開発や水素エネルギーやバイオエネルギーなどの開発はもはや避けては通れないのが現実である。文句をつけているだけでは、カーライフを維持することができない。

そう、いつかはガソリンやディーゼルの石油燃料から脱却しなければいけない。これはほぼ確実に言えることだ。それはもちろん環境に対する影響もあろうが、石油の有限性に起因するものである。

世界は電気自動車にシフトしていて、現状ではそれが技術的にも政治的にも批判されることの方が多いように感じる。日本メーカーの締め出しだとか電気関連やバッテリー関連からの政治的な操作だとも言われる。それでも我々は石油燃料でない何かを、ガソリン車でない何かを強く求め続けなければならない。

そうしなければ、我々の豊かさ自体が脅かされる。脱炭素は、パフォーマンスでもカッコよさでもなく、必然だと考え。

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