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電話転送にみる「責任」の在りか

先日、職場での話だ。

アルバイトのYさんがとった電話は私宛の電話だった。Yさんは私に一声かけた後、その電話を転送してくださった。

私は自分の電話機のコールを確認すると、すぐに電話をとった。だが「ツーツー」と電話は切れてしまっていた。

私はYさんに別に怒るともなく「電話切れましたよ!電話機の調子悪いですか?」と尋ねた。するとYさんは「すみません」と私に謝った。私はまったく怒っていたわけではなく、ただ電話の調子が悪いのかもしれないと思い、聞いただけだった。

なぜ電話が切れたことに対して謝るのだろうかと思った。Yさんはいつも同じ業務をこなしているし、電話の転送なども難なくできる。それは職場の誰もがわかっている。


それでもYさんが私にうまく転送ができなくて謝ったのは「使用者責任」という考え、認識が一般的にはあるからだ。転送はほぼ確実に電話機の不調によって引き起こされた。事実、転送をしてもらった瞬間に私の電話機はしっかりコールしていた。転送自体はうまくいっていたが、回線の都合で切れてしまったというところだ。

それでもYさんが謝ったのは「転送をうまくできなかった電話機を使っていた人」だからだ。Yさんはその使用者責任を感じ、私に謝ってくれたのだ。だが、それは電話機側の問題であって、使用者の作法や行為に起因するものではなかった。そこに私は違和感を感じたのだ。

しかし、こういったことは社会的には常識というか、一般認識として捉えられている。例えばとても静かな場所でスマホのメロディが鳴ってしまったとしよう。そうするとメロディが不意に、不本意に鳴ったとしても、その責任を問われるのはそのスマホの持ち主だ。周囲に対して謝罪するか、どう働きかけるかは別として、「責任」の所在は、携帯電話キャリアでもなく、アプリを作っている人でもなく、紛れもなくスマホ本体の現時点での所有者である。これは子供の問題に関して親が謝るという保護責任者という考えにも似ている。


これらのことを考えると例えば「自動車の自動運転」はどうなるのかと思う。自動運転中に誰かに危害を加えてしまったり、何かを破損させてしまったりするようなことになった場合、誰に、どこに、「責任」がいくのだろう。

今現在の考えでは何かあった場合は「運転者」だと比較的容易に考えられるが、自動運転の場合、運転手がいない、もしくは直接は操縦しない準運転者しかいないことになる。


電話の転送に失敗するくらいならば話はどうでもよいが、事故が起きた時にその「責任」がどこにあるのか分からないというのもまた問題であろう。まさか事故があるたびに、自動車メーカーが責任をとってはいられない。そういう難しさが技術の進歩には付きまとう。

今は、何かあればその使用者が責任を問われる、あるいは道義的に責任が生じる。責任の所在がハッキリしていることが多い。だがこれからは、「責任」が見えにくくなることも予想される。そのような事実にも向き合っていかねばならない。


誰のせい・・・?


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