いのちの授業。|2021/11/18
先日、20年以上の付き合いになる友人との繋がりから、都内私立中学校でいのちの授業を。
いまの子どもたちを取り巻く環境は、知れば知るほど悲しさと不安が募る。
我々が幼少期に経験してきたような「思い出」と呼べるものはこの2年、ことごとく中止や縮小開催になっているし、街を歩けば公園の遊具の使用禁止はいまだにチラホラ。
いましか経験できないこと、いまだからこそ楽しめることを経験できずに多くの規制を強いられて過ごしている彼らに「いまを生きる」「生き抜く」ってメッセージを投げかけるのは、一人の大人としての無責任さも感じている。
言葉にするからには、コロナ禍ではじめた鎌倉の海あそびプログラムは僕が行動として示せることとして、今後も継続していかないとね。
一方で、このようなプログラムはシーズンも限られるし人数や環境の制約もある。こうして教育の場でお話しして多くの子どもたちに言葉にして届けられる機会はとっても貴重。
「いのちの授業」というとずっしり重たいけど、僕のように死を本気で覚悟した人間がいまを前向きに生き抜いていこうとするスタンスを、先行き不安が叫ばれるこんな時代だからこそありのまま届けたいなあと思います。
僕にとっての「いのちの授業」は死と向き合うこと=人生の時間の有限性を意識するきっかけづくりと思ってお話しさせてもらっています。
人生の恩返しとして発起したことなので、いつでもどこへでもとんでいきますっ!
数回経験させていただいた中で、子どもたちの純粋な心の声が聞ける質問タイムはライブ感があってとても好き。(原稿用意するのは、あまり性に合わないタイプ)
先日は特にそれを強く感じたので、一部ここに備忘録として。
「病気なのにヘラヘラ、ニコニコしていて誰かと喧嘩になることはないの?」
これ、質疑応答の最初にもらった質問で。興味深かったなあ。
明るく前向きに!って考えて行動していること、発言していることが人によってはヘラヘラと表現されることもあるのかと。うまく表現できなかっただけかもしれないけど、ハッと大きな気づきをいただきました。
「誰かと喧嘩にならないの?」
病人は落ち込んでいるものだ、笑顔じゃない、そんなイメージが心の奥底にはあるんだろうなあ。
彼が、というわけではなく社会全体としてそういう空気感や偏見は少なからず存在しているだろうし。
病って悲しいもの、つらいもの、嘆くもの、不幸なもの、苦しいもの。
こうした側面もあるのは事実だしまったく否定する理由はないけれど、病人もまた人それぞれ。
どう受け止め、どうふるまい、どう生きるかは自由でいい。
ちなみに僕は、平均余命2年なんて言われている人間ですから「お前、なんでそんなニコニコしてるんだ!ふざけるな!」なんて言われて喧嘩になったことは一度もありませんっ。夫婦喧嘩は例外???
「普通なら落ち込んでしまう状況で活動しようと思ったり、前向きでいられるコツは?」
「発覚してから治療中、心の支えになったのは?」
治療中、夜も眠れないほどの不安は感じたこともなければ、前向きでいよう!と無理して元気出そうと思ったことはなくて。
必ず生き抜く信念のような決意に支えられて、不思議といつも活力でみなぎっている、ハイのような状態。
だったけれど。
そこまで信じきれたのはやっぱり、想いを届けてくれる人たちの存在があったからなんですよね。
治療の情報や、人の紹介。身体に良さそうなものを教えてくれたり、自作した無農薬の野菜を届けてくれたり「槇なら大丈夫」って何気ないエールまで。
ぼくの周りに、特別な才能と技術と知識を持った人がたくさんいたから克服できたんだよって話しではありません。
病を公表し、生きることを諦めない!と勝手に宣言したことで、僕の病をまるで自分事のように考えて想いを届けてくれたひとりひとりのパワーの総結集。
人が人を想う力、言葉がもつ底知れぬパワーに支えられて、前向きに生き抜く決意ができたのです。
ただし、自らの病をオープンにすることは躊躇いや不安、恐さがあるのは当然のこと、それがすべてとは思っていません。病との向き合い方は人それぞれで良い。
特に子ども同士では病を抱える重み、苦しみを理解できずに放たれたひと言に傷つくことはあるだろうし、それをネタにしたいじめも存在するくらいセンシティブ。言い出すのはかなりの勇気がいること。
生きることは選択の連続で、付き合う人や環境も、状況によっていつだって変わりうる。誰かは告白によって離れていくかもしれないけど、それはきっと何かのきっかけ。抱え込みすぎずに本当に少しずつでもいいから自分から手放してみて欲しい。新たに理解してくれる人との関係が生まれたり、手放した事実が誰かにとっての「自分事」になった時、想像以上のパワーを感じられるんじゃないかな。
受け取る側になる皆さま。
何も聞かれず腫れ物に触るかのような接し方をされることが僕にとって一番寂しかったことです。(ただの寂しがり?)
その人のことを想って発した言葉って心に残るし、そして何より気にかけてくれる人がいる事実にホッとして前を向けるんだと思います。
傷つけることを過剰に恐れずに、言葉をかけてあげてください。
この他にも、はじめましての31歳おじさんになんの忖度もない疑問をぶつけてくれた子どもの純朴さになんだか嬉しくなった授業でした。
思ったことをそのまま口にできる素直さ、持ち続けて欲しいな。
「生きて、生きることを伝える」ことは僕が勝手に決めた人生ミッション。
地道に、コツコツと想いを届けていきたいと思います。
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